第56話 女衒の人狼

 淫靡な街角から裏路地に入り、少し進むと、お城をミニチュア化したような店が現れる。店は営業中かどうかもよくわからない独特な雰囲気で、正直一人でこんなところに入る奴の気が知れなかった。

 フリムの話によると、ここいらで遊ぶ場合は必ず女衒を通して宿を取るらしい。そのためこういう、隠れた場所に店があっても営業には困らないのだ。


「うい、ごめんなすって」


 フリムは勝手知ったる、という調子で木造の扉を開いた。

 店の中は一見、ごくごく平凡な居酒屋の内装だが、よくみると奥の看板に通常の相場では考えられない、六時間ごとのチャージ料が提示されている。


――日本円で言うと、宿代酒代込みで一晩一万から二万円ってとこか。


 京太郎にはそれが高いのか安いのかよくわからない。

 とりあえず六時間も初めて会う女の人と過ごさなければならないというのは、かなりコミュ障には厳しい条件だと思った。


「あら、フリムちゃん。珍しいじゃないのこんな時間に」

「旧いなじみと会ってね」


 カウンターの奥では、短髪白髪、陶器のような白い肌の、がっしりとした体つきの男がグラスを拭いている。彼の人種には見覚えがあった。バルニバービの沼地の出身。”サイクロプス”の一件で知り合ったサイモンと同じ人種だ。


「なじみ?」

「ああ」

『じゃあ、――”魔族”かな?』


 白髪の男は、恐らく”魔族”の言葉で口をきく。

 同時に、ステラとシムが身構えた。


『こいつ、……人間なのに……ッ』

『ああ、大丈夫だ。この人は恩人。おいらが身を立てるまで面倒見てくれた人だ。信頼できる』

『そう……なの……?』

『それに、ここなら盗聴される心配もない。プライバシーの問題もあって、娼館でその手の術は使えないようになってるからな。たぶん自宅よりも安心だぜ』


 フリムが合図すると、白髪の男がカウンターごしに手を伸ばした。


「アンドレイよ。よろしくね」


 京太郎は代表としてその手を握る。するとアンドレイは「んー……」と少し考え込んで、


「三人の中では、あなただけ”人族”。そうでしょう?」

「……よくわかりますね」

「《擬態》の見破り方はフリムちゃんで十分練習したからね~」

「そう……なんですか?」

「ええ。でも安心して、言葉で説明できるものじゃないし、誰にも伝えてないから」

「ふむ……」


 それより京太郎は、目の前の男性が未だに手をにぎにぎしたまま離してくれないことの方が気になっている。


「ええと……?」

「不思議な手」


 京太郎は震えた。もし、無理矢理この男に抱き寄せられてチューなどされようものなら、きっと自分はあらがえないと思ったのだ。ただでさえ、京太郎はこっちの世界に来てから得体の知れない相手とばかりキスしている。


「手が柔らかいわね。肉体労働者の手じゃない。あなた、どこかの貴族の出? いや違うな。ちょっとだけ爪から洗い物の匂いがする」

「いやその、」

「肌は綺麗だけど少し日焼けしてるってことは、ここ数週間以内に冒険に出たばかり。だから苦労してるのね……少し頬がやつれてる。あとあなた、あんまり筋肉質な身体じゃないわ。その割には三人のリーダーっぽいところ見ると、何かの強力な”マジック・アイテム”持ちってことかな。最近、すごく良い仕事するっていう”探索者”チームが街に来たって聞いたけど、あなたたちがそうかしら」


 つらつらと長台詞を聞かされて、京太郎は閉口する。

 アンドレイは女の子のように笑って、


「ごめんなさい、気に障ったなら謝るわ。……初対面の人についてあれこれ想像するのが好きなのよ、わたし」

「はあ」

「で、どう?」

「は?」

「どれくらい当たってた? いまの推理」

「ええと……最近この街に来た”探索者”ってところは当たってます」

「それ以外は?」

「当たらずとも遠からず……というか……」

「残念。百点満点じゃなかったか」


 京太郎は苦笑する。

 その時、店の奥から数人の若い娘が顔を出した。人種は様々で、そのうちの一人などはテレビアイドルとして世に出ていてもおかしくないくらい可愛らしい子だ。正直、ちょっと結婚したいと思った。


「ねえママ、もうお客様なの?」

「いえ、今回は違うのよ。まだ休んでていいわ」

「はぁ~い」


 そして、娘たちは奥へと引っ込んでいく。


――ここ、ああいう子が相手してくれるのか。


 ゴクリ……と、唾を飲んでいると、


『鼻の下が長いわよ、スケベ』


 すかさずステラのツッコミが入る。

 京太郎は実に自然に眉をしかめ、眼鏡をくいっとしながら不愉快そうな顔をした。


「ここには仕事のためにいる。個人的な快楽を追求するためではない」

『ふーん。そーですかー』

「それより、本題に入ろう。――シム」


 声をかけると、少年はぴしっと直立不動の姿勢を取って、かつての友人に言う。


『ねえ、フリム。”勇者狩り”について何か知らない?』

『”勇者狩り”?』

『うん。昨日、アームズマン家の現当主の次男……』

『ああ、ルー・アームズマン。あの夢見がちの坊やだろう。知ってるよ。なんどか”奴隷”を斡旋したことだってある』

『そ、そうなんだ』

『あの兄ちゃんが刺された件なら、早朝に保護隊の連中が訊ねてきてあれこれ訊ねていったさ。――もちろん、ほとんどまともに取り合わなかったがね』

『ほ、保護隊相手に? ……大丈夫なの?』

『へいきさ。連中だって、おいらたちを邪険にしたら遊び場に困ることくらいわかってるしね』


 フリムは皮肉っぽく笑って、アンドレイが出した甘いビールを口に含む。

 その様子は、久しぶりに訊ねてきた後輩に粋がっているヤンキーに見えないこともない。


――なるほど、たしかにあのフリンの弟だな。


『それで……? ”勇者狩り”の情報は』

『別に答えてやっても構わんが……その前に事情を聞きたい。なんだってこんな厄介な件に首突っ込もうと思った?』

『も、もちろん、保護隊に恩を売るためで……』

『そりゃ、普通の”探索者”の理屈だ。おいらたち”魔族”の理屈じゃねえ。ちょっと動機が弱いぜ』


――まあ、この人たちなら多少のリスクに目をつぶっても私が”管理者”だと伝えてもいいか。


 京太郎は、この小柄な”ウェアウルフ”のために補足の説明をしようとする。

 だがシムはそれを制して、


『わ、悪いんだけど、フリム兄さんにもそれは話せない。……でも、”魔族”のために絶対に必要なことなんだ』

『なんだって?』


 フリムは、細い目を少し見開いて、


『……おいらに話せなくて、その”人族”の男には話せるのか?』


 一瞬、ちらとこちらに向いた感情は、兄貴分としての嫉妬心だろうか。


『うん。……ごめん』


 シムはしゅんとして頭を下げる。

 フリムは少しつまらなそうにしたが、やがて納得した。


『まあ……昔っから、”魔女”さまは無理難題押しつけてくるって有名だからなぁ』


 このときばかりは、”魔女”の風評に感謝、である。

 フリムは、「仕事中だから」と全員が冷たい豆茶を注文することも含めてずいぶん不満げだったが、


『ま、しゃーねーか。……可愛い後輩の頼みだかんな』


 話し始めた。


『今んとこ、巷で評判の容疑者は……三人いる』

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