第110話 天邪鬼
「これで、詰みだね」
そう囁きながら、ウェパルの心はめちゃくちゃに引き裂かれていた。
この結末だけは。
この結末だけは避けたかったのだ。本当は。
これでまた、自分は独りぼっち。――いや、それでいい。そうでありたいと願ったから、自分はここまで心を殺して生き続けられた。
こちらにも譲れないものがある。
坂本京太郎に対する気持ちは、自分でもよくわかっていない。
彼とずっと一緒にいたい気もするし、唾を吐きかけてやりたいくらい憎んでいる気もする。
最初の印象は「いけ好かない」だった。あと「なんか不健康そう」。
長い下積みが認められ、ようやく一人前になって、自分の担当する世界が与えられて。
……と、思いきや、邪魔者が現れた。
それがこの、くたびれた男だ。
――ちょっとイジメてやって、すぐに追い出してやろう。
それが、最初に立てた、ぼんやりとした計画。
彼の教育係など、最初から真面目にやるつもりはなかった。
だから、たくさんたくさん、酷い目に遭わせてやったつもりだった。
でも。
――どうにもあの世界、『ルールブック』を無視できる連中がいるらしい。
”終末因子”が芽生えた世界。
滅びを待つだけの、不良品の世界。
ゴミ箱に捨てられて、あとは崩壊を見守るだけの世界。
自分の担当する場所が、そういうところだと気付かされて。
それで、ぜんぶひっくり返った。
何が何やら、わからなくなった。
その日ウェパルは、功を焦るあまり安易な”勇者”抹殺計画を実行に移そうとしていたのだ。
結果的に自分は、坂本京太郎に命を救われたことになる。
だけどなんで自分は、そんな世界の担当になったのか。
捨て駒に使われた? ソロモンならあり得る話だ。奴は我々の命などなんとも思っていない。
しかし、だとしても、わざわざ普通人を雇うリスクを犯したのは何故?
ソロモンの意図は、自分にはとても計り知れなかった。
自分より遙かに短い時間で、自分より遙かに貴重な情報の取得に成功した新人管理者。
坂本京太郎を見る目が変わっていることには気付いている。
ただその辺でうだうだしている人間とは違うと思えた。
すぐにいなくなってほしいと思っていた人。
嘘でも勘違いでも、自分のことを好きだと言ってくれた人。
彼とはいつからか、友だちになりたいと思い始めていた、のに。
▼
「……何が起こってる……?」
口を開くのも億劫なはずなのに、坂本京太郎はこちらを必死に見上げている。
疑問に思うのもごもっとも。
きっと彼は、精神攻撃を含むありとあらゆる術を無効化するルールを採用していたのだろう。
ウェパルは、友だちに新しいテレビゲームを自慢するみたいに応えた。
「私のからだ」
右手をちょっと突き出して、
「手でも足でも、なんでもね。とにかく私が触れたものは、権限の低い管理者のルールを無効化できるの。それを使って、あなたのルールを打ち消した」
「なんだと……?」
「むかしとったキネヅカってやつ? そういう体質なんだよねー」
そして、ぱんぱんっ、と、自身の膝と上着についた埃を払う。
「いま、この街のみんなに憂鬱が広まってる。――月曜日の朝より、もっともっと酷い憂鬱。お布団を出る気にもならない。仕事する気にも。――だから立ち上がれない。……ペンを握る気力も湧いてこない。……苦しいでしょ? でも安心して、憂鬱は憂鬱なだけだから。身体には影響しないから。怪我とかはないから」
言いながら彼女は、自分が何を話しているのかよくわからなくなっている。
彼を安心させたいのか、不安にさせたいのか。
たぶん前者のつもりだろうが、これっぽっちも上手くいっていないことは確かだった。
彼女は生まれつき天邪鬼なのだ。どうしても手に入れたいと思ったものに限って壊してしまう。一生懸命積み上げた積み木のお城ほど、すぐに崩してしまう。
だから彼女は、意図的に京太郎から目をそらして、
「”鉄腕の勇者”、リカ・アームズマン。――これからどうなるか、わかりやすく説明するね」
ウェパルは大きく息を吸って、
「これから、この街の人々は少しずつ死んでいく。死因は、――”餓死”。ゆっくり時間はかかるけれど、確実な死だ」
「だまされるな、リカ」
京太郎が叫ぶ。まだしゃべる気力があるとは驚きだ。
「少なくともここの人たちには、死なないルールを採用しておいた」
「ああ、それ無駄。――そっちは知らないかもだけど、”造物主”クラスのルールがあるんだ。私たち程度の権限じゃあ、そればっかりはどうしようもない」
ウェパルは、『ルールブック』をチラと見て、かの”造物主”の産み出したルールを参照する。
【名称:生命エネルギー
番号:STー12
説明:”空気”の時にも名前は出したけど、一応こっちにも。
”生命エネルギー”ってのは、”WORLD0147”における、あらゆるエネルギーの源。
呼吸したり、食事をしたり、睡眠状態になったり、誰かとおしゃべりすることで体内にエネルギーが蓄積され、生きる活力となる。
これが不足した者は極度の渇望状態となり、やがて死に至る。】
「餓死は辛いよ? 拷問みたいに酷い。何人かそうなるところを見たら、リカ・アームズマンも考えが変わるんじゃないかな」
「…………悪魔め」
黒スーツの女は、笑ってその言葉を受け流す。
「こちとら、誇り高く死ぬチャンスをあげようっていうんだぜ。お前はもうとっくに詰んでるんだ。――なんなら、力尽くで解決しようか? ”最初の勇者”に連絡して、もう一度、矢を撃ってもらえば終わりだから」
「……ぬう」
実を言うとこれはブラフだった。何故だか先ほどから、ノア・リードマンとは一切連絡がとれずにいる。
この時ウェパルは知らなかったが、実を言うとこれは京太郎の仕業である。”蜻蛉の夢”が働いているため、世界の反対側にいるノアはすでに戦意を喪失しているのだ。
だが、ノアがいようといまいと、彼女の計画は止まらない。
街は今、うめき声ひとつ上がらない、廃墟のような空間となりつつあった。
芋虫のように身体を横たえたグラブダブドリップの住人は今、奈落の底に散らばった自分の心を拾い集めようと、各々苦しんでいる。それが無駄な努力だとも知らずに。
――できる。
ウェパルは暗い悦びに浸っていた。
――この方法なら、……私一人でも世界を救える。最初っから、京太郎の力なんて借りなくて良かったんだ。
ちょうどその時だろうか。
街の西方の山間から、ニーズヘグが勝利の雄叫びを上げたのは。
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