第109話 次の一手

 つかの間、街を美しく照らしていた朝日も、いつしか分厚い暗雲がすっぽりと覆い隠している。


 龍と竜はいまだ大地を転げ回り、山を砕き、互いの身体に光線を浴びせ合っていた。

 シムはいま、雲間に隠れて身を震わせている。

 ステラは、例の水着みたいな格好で連絡待ち。

 ソフィアたちのパーティは、ロアの不思議なナイフの活躍でワイバーンの群れを圧倒中。

 騒ぎを聞きつけて現れたアル・アームズマンは、いま目の前にいる何者が敵かを推し量り、結論を見いだしかけていた。

 カーク・ヴィクトリアはどういう形であれアルの指示に従うしかない。

 サイモンはびっくりしていた。とりあえずびっくりしていただけで、特に何も考えてはいない。

 リカ・アームズマンは腕を組み、目をつぶっている。


 坂本京太郎は、今から起こる状況について、必死に思考を展開していた。


――ウェパルの次の一手は。


 あるいはもはや、彼女の作戦は瓦解しつつあるのではないか。そう思った。

 先ほど、感情的に京太郎と敵対した時点で。


 一つだけはっきりしていることがある。

 ウェパルは少なくとも……坂本京太郎を殺すつもりはない。

 理由は不明だ。

 さすがに”管理者”殺しは隠し通せない、とか。

 あるいは単純に、こちらに情があるから、とか。


――できれば後者であって欲しいところだが……。


 何にせよ、向こうにこちらを害する気がないのであれば、やることは一つ。

 京太郎は今から、ありとあらゆる手を使って彼女の目的を邪魔するだろう。

 同じ『ルールブック』を持つ者同士が相対した場合に起こるのは、イタチごっこのように不毛なやり合いではなかろうか。


――そういうつもりなら、……もう、辞めにしてもらいたい。


「いちおう、弁明を聞きたいのです。リカ」


 一同沈黙する中、最初に口を開いたのはアル・アームズマンであった。

 彼は”雷鳴の剣”を抜き放ち、その切っ先を真っ直ぐ養父に向けている。


「ぼくの仕事は国民の生活を守ることだ」


 そして、いまや街を横断するのにぴったりとなった破壊の痕跡を見て、


「今回の一件、”魔族”の侵略とぼくは見ている。――そして今、あろうことか我らが”勇者”が”魔族”をわざと逃がしたところを見た。これについて、どういう了見かお聞かせ願いたい」


 対するリカ・アームズマンは、高所から見下ろしながら、


「黙りなさい」


 にべもなく応えた。


「黙れ、って……そ、そういうわけにはいきません。状況は混沌としているが、それでも責任の所在ははっきりさせなければ」

「だからオ主は頭が固いっちゅーとる。――今はそれより優先すべきことがあるじゃろーが」

「そういうのはたいてい、他の隊員がやってくれています」


 老人は、ふ――――――――――――っと、とてつもなく長いため息を吐いて、


「オ主のそういうところ、いずれゆっくり説教したる」


 ”鉄腕の勇者”は、アル・アームズマンを聞き分けのない子供のように扱って、


「……っでもまあ、ええわ。……もうそろそろじゃろーし」

「はて? それはどういう、」


 アルが何ごとか問いかける。だが、そこまでだった。

 決定的な。

 この街の住人の、決定的な何かが踏みにじられたと感じた瞬間は、その時だ。


「こ、…………れ、は…………?」


 アルが力なく、厚い鎧に覆われた膝をつく。


「ぐ、う………ッ?」

「おいおい……なんだこりゃあ!?」


 カーク、サイモンも同様だ。


「足に、力が…………ッ」


 真っ先に反応したの京太郎だった。


「どうした?」


 思い切って、半壊した教会の四階から、地面に向けて飛び降りる。落下の恐怖よりも義務感が上回っていた。

 ごろごろと瓦礫の山に着地し、素早く立ち上がる。ジム通いが幸いしてか、少しは動けるようになっていた。

 まず京太郎は、アル・アームズマンに手を貸す。だが小男は、憎悪に歪んだ顔つきでそれを振り払った。


「触るな!」

「いや、そう言われてもな。……どうしたんだよ」


 尋ねると、この男にしては珍しく、震えた声で言う。


「わ、わからん……だが、……厭だ…………」


 それはまるで、冬山で遭難した人のようだ。

 また、この現象に苦しめられているのはどうやら、目の前にいる三人だけではないらしい。


「ひええええ……っ」

「なんだ……なんだよこれ……」

「もうダメよ…………こんなの……ダメ………」


 人々の力ない悲鳴に気付いて周囲を見回すと、教会前の広場に出ていた十数人ほどの野次馬が、アルたちと同様にばたばたと倒れている。


 気配を辿ったところ、これはこの街に住む人々全員、同様に起こっている現象のようだ。

 例外はリカ・アームズマンと京太郎だけであった。


――精神の汚染。……そうか。


 物理的なダメージを無効化しても、心に与える影響は……。


「落ち着け。君らは……少なくとも死なない。そういうルールを書き込んだ」


 と、その時だった。”異世界用スマホ”に着信。

 誰かと思って画面を見ると、そこに表示されていたのは『ウェパル』の文字だ。

 慌ててそれに出る。


『はろー。たのしんでるー?』

「……何をした?」

『ちょっとねー。そっちいま、どの辺?』

「教えてやると思うか」

『たのむよー。”勇者”の居場所だけは調べらんないから……ホント、お陰様ですっごく苦労させられたんだぜ』

「まったく……」


 どうやら、先ほどの激情は鳴りを潜めたらしい。

 会社でのやり取りを思わせる、落ち着いた口調だ。

 だがその分、彼女の純然たる狂気が感じられる気がした。


『いやー、一人一人、ぷちぷち蟻みたいに潰してやってもいいけどさ。――やるならやっぱり、一括で対処するのが”管理者”流だもんね。ええと、ニーズヘグの光線がぶち当たったところのどこかだと思ってるんだけど……うーん? どのへんかなー?』


 ウェパルは、そこで、少しだけ声色を変えて、


『言っておくよ。――京太郎くん。君は勝てない』

「なんだと?」


 後々になって思えば、それはウェパルの計算だった。

 彼女は、京太郎の意識をスマホに集中させておいて、ふと、――肩に、彼女の手がそっと乗っていることに気付く。


「これで、詰みだね」


 そんなささやきが、すぐ、耳元で。


「――ッ!?」


 背筋が凍る。どうやら姿を消す”ルール”か何かを使っていたらしい。


「ちょっとだけ眠っててね。……起きた頃にはぜんぶ終わってる」


 そして悪魔がするような、――どこまでも甘い取引を。


「そしたら、……嘘っこでもいいから、二人で恋愛ごっことか、してみよっか」

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