第111話 終焉の監視者

 悲惨な結末が迫りつつあった。

 もはや京太郎には、目で訴えることしかできずにいる。


――ダメだ。

――やめてくれ。

――君は間違ってる。

――話せば分かるはずだ。


 だが、ウェパルは置き捨てられた新聞紙を見るような目をちらと向けただけ。


 リカは、そんな彼女を仇のようにじっと見据えている。

 そして、


「…………………――ッ!」


 瞬く間にリカが接近、ウェパルの首元に手刀を振り下ろした。

 ”勇者”によって繰り出されたその一撃は、常人が受ければそれだけで致命傷となっていたことは間違いない……が、ウェパルはぴくりとも笑みを崩さず、その場に佇んでいる。”無敵”ルールが発動しているのだ。


「――やはり素手ではダメか」

「うふふ」

「オ主をぶちのめそうにも、”鉄の手袋”の修復には時間が掛かる。それを待っていたら、この街の住人は全滅する。……なるほどのう」


 リカはウェパルに無防備な背を向けて、白い髯をばりばり掻いた。


「八方塞がりか」

「――ええ。お前がかつて、友だちを殺した時みたいにね……」

「ふうむ……」


――やめろ! 頼む!


 悲鳴を上げるように思う。

 が、気持ちとは裏腹に、意識は深淵に呑まれていく。


――だめだ。ここで私が気を失うわけには……。


 どこで間違えたのか。

 自分がもっと賢ければ、このような事態は防げたのだろうか……。

 そうに違いない。

 ウェパルの正体に最初から気付いていれば、話し合う機会はいくらでもあった。

 自分は無力だ……。

 いつから?

 恐らくはずっと。

 産まれてこの方、ずっとだ。



 と。

 内省的な気持ちに酔いしれながら、ごろりと地面の上に倒れる。

 怠惰の毒に全身を冒されて、京太郎は目をつぶり、ただ意識が消失するのを待った。

 前の仕事を退職後、しばらく何をする気にもなれず、アパートの布団に包まりながらただただ社会を憎んでいたあの頃のように。

 あの時はひどかった。めちゃくちゃだった。自分の容姿をすら気に掛けず、世捨て人同然の生活だった。ネットでどうでもいいゲーム実況者がニートを小馬鹿にするジョークを口にしただけで身も心も引き裂かれたような気持ちになっていた。

 あの時自分は、確かに”不幸”っだった。


 ようやく立ち直った頃には、キャリアアップに目覚めた若者による前向きな転職というよりは、ただ生きるためだけに”無職”という状況を脱しようともがく憐れな三十前後の男が誕生していた。

 そういう心の負い目があるからか。

 どうしても新しい職は身につかず。


 悪夢しか見ないというのに、眠りの中にしか救いはない。


 完全にウェパルの術中に嵌まっているとわかっていてもなお、立ち上がる気力が失われていた。

 気付けば意識は、心地よい深淵に呑まれていく。

 目を覚ました時はきっと、何もかも終わっているだろうとわかっていても。


 …………………。

 ……………………………………。

 ………………………………………………………。

 ………………………………………………………………………ん?



 と。

 そこで、突如として京太郎の心の靄が晴れる瞬間があった。

 まるで、両足に絡みついていた鎖がぱっと解かれたみたいに。


――そうだ。

――なにを眠っている暇がある。

――義務を果たさなければ。

――立て! 京太郎!


 そして坂本京太郎は、がばと起き上がって叫んだ。


「リカッ! ウェパルの言葉を聞いてはならなぃ……? あれ?」


 そして、右を見て。

 左を見て。

 もう一度右を見て。


「ここはどこだ?」


 呟く。

 その空間にあえて名前をつけるならば、”無”。

 何もない、ただただ、目に痛いくらいの白が広がっているだけの、無限に広い空間。

 灯りがあるとは思えないのに、視界は妙にはっきりと拓けていた。


 一瞬混乱したが、異世界を行き来するようになってからというもの、この手の異常事態に身を置くことには慣れている。

 何者かの術で幻覚を見せられているとか、そんなとこだろう。


 とりあえず、自分が寝転がっていた場所をちょっと撫でてみた。

 なんだかぶよぶよしたクッション状になっていて、つかみ所がない。


「おーい。ここはどこだ?」


 立ち上がる。なんとなく足下がおぼつかない気がする。

 厭な予感がした。

 ここはどこか、心が病んだ人が閉じ込められる専用の病室か何かで、自分はこれまでずっと異世界にいるという哀しい妄想に囚われていたのではないか。


――もしそうなら……もうちょっと幸せな夢にしてほしかったモンだな……。


 だが、それはないという自信があった。

 京太郎の手には、しっかりと『ルールブック』が握られていたためだ。


 とりあえず立ち上がり、少し歩いてみる。


 すると、突然だった。

 目の前に一脚の粗末なソファと、だらしない格好で座っている少年が現れたのは。

 とはいえ、京太郎の心には波風一つ立たない。

 この三十分間、いきなり色んなことが判明したりすることが多くあって、たぶん”驚く”という感情をどこかに置き忘れてしまったらしい。

 京太郎は実に冷静な口調で、言った。


「やあ」

「……………うん。お疲れ」


 小さな鼻に理知的な目は、どこかシムに似ている気がする。

 だが、燃えるような赤髪と、頬のそばかす、目の下にくっきり浮かんだ隈が彼の印象を大きく変えていた。

 もちろん京太郎は、その少年に見覚えがある。先ほど顔を見かけたばかりだ。


「君は……”勇者”の一人?」


 そう訊ねると、彼はこちらを見もせずに、言った。


「うん」

「名前は?」

「自分で調べてくれ。赤髪の”勇者”はぼくだけだから」

「そうか……。いま、何してる」

「時計を見てる」


 なるほど彼は、リカ・アームズマンの記憶の世界に登場した瞬間からずっと、ぼんやりとした顔つきで懐中時計を見続けている。


「なんで?」

「時間って、目を離すとすぐに進んじゃうからさ。こうして一秒一秒、針が進んでいくのをちゃんと確認しておかないと損した気分になるんだ」

「へえ……」


 変わった趣味だな、と思った。

 だが気持ちはわからなくもない。自分も今度試してみようかな、と思った。

 誰かといる時とか、ずっと時計を見続けていたら嫌がられるだろうけど。


「それで? 一応聞くけど、君は敵か、味方か」


 少年は相変わらず時計に視線を向けたまま、


「味方……かな。一応。ぼくはどっちでもいいけど」

「なぜ、私をここに連れてきた?」

「そりゃもう、――君に勝ってもらうためだ」

「ふむ」


 京太郎は嘆息する。


「君は何者だい」

「言ったろ。――ぼくは”勇者”のうちの一人、……」

「違うだろ」


 何ごとにも予防線を張る京太郎であったが、今回ばかりはそう確信することができた。


。リカ・アームズマンの記憶を垣間見たんだ。君と同じ顔をした少年が、彼の”鉄の手袋”で殺されたのを」


 少年は、最初から特に隠すつもりはなかった、という風に平然と応える。


「そうだねえ。……まあ一言で言うなら、”不殺の勇者”に産み出された”マジック・アイテム”の化身ってとこかな。彼女は万が一の時のため、ぼくに世界を監視するよう命じていたのさ。そして、この世界にとって終末に直結するシナリオが確定した時、キーパーソンをここに招いて、解決の手段を提示するようにしている」

「へえ……」


――ユーシャ・ブレイブマンはなんでもありの”マジック・アイテム”を持つという。


 なればこそ、こういうこともあり得る話、か。


「なるほど。では、君にできることを教えてくれ」

「うーん……」


 少年はしばらく悩んで、


「人生相談、とか?」

「そうか」


 京太郎は嘆息した。


「そろそろ結婚相手を見つけたいんだけど、どうしたらいいかな」

「ふむ」


 少年は難しい顔を作って、


「難題だねえ」

「だろ」

「でも思うに、なんだかんだで人間って、自分にとって最も都合が良いように行動する生き物だと思うんだ」

「ふむ」

「もし、本当に君が相手が欲しいというのであれば、ぼくに相談するまでもなくとっくに行動しているよ。あなたが今の有様なのは、別にそれでも構わないって、あなた自身の心がそう願っているからじゃないかな」


 一理あるかもな、と、京太郎は思った。


「……ところでぼく、すごく驚いてるんだけど、きみはそんなくだらない個人的なことを訊きたいの?」

「いや、そうでもないよ。――っていうか、思ったより真面目に応えてくれたのでこっちも驚いてる」


 浮ついた気持ちが、だんだんはっきりしてきているのがわかる。


「じゃあ、――本格的に話を聞く前に、君の名前を聞かせてくれ」

「言ったろ。ぼくはユーシャ・ブレイブマンの”マジック・アイテム”で……」

「その名前は?」


 赤毛の少年はそこで、じっと見つめていた懐中時計から目をそらした。

 そして、目の前にいる世界の管理者をじっと見て、


「ぼくの名は”機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ”という」

「そうかい」


 少しだけ、胸が痛い。


 できることなら、――惚れた女くらい自分一人の裁量で救いたかったのだが。

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