第112話 アルバート
その後。しばらくして。
”龍”の始末に成功したニーズヘグは、およそ六度にわたって光線を吐き、街を蹂躙した。
あれほど機能的に完成されていた魔術都市は今や見る影もなく、子供が白いクレヨンでぐちゃぐちゃに塗ったような空白が生まれている。
攻撃の目標として唯一例外なのは、”魔王城”と”世界樹”だ。
ひょっとすると奴は、この街を再び”魔族”の根城とするつもりなのかもしれない。
”魔族”と”竜族”は似て非なるものだと聞いたが、時に”魔族”に肩入れする竜もいるという。奴もそのうちの一匹であったということだろうか。
千切れて消えてしまいそうな意識を必死につなぎ止めながら、アル・アームズマンはそれを見つめていた。
――壊れる時は案外、あっさりしたものだな。
本当にこの街は……よくできたところであった。
ありとあらゆる生活の水準が、よその国ではとても真似できないレベルに達している。
各国から集められた多彩な材料が使われた食事も。
少ない賃金でも与えられる暖かい寝床も。
”魔導線”の力で清潔に保たれた厠も。
複雑怪奇なヒトの悪意を律するための法も。
この街の守護者として任命された時、アル・アームズマンは産まれて初めて泣いたことを覚えている。
この世界で最も護る価値のあるものの盾となる以上の誉れはない。そう思った。
それなのに。
自分が愛したこの美しい街が今、為す術なく陵辱されている。
奇妙なのは、その恐るべき破壊を受けてなお、街の人々は無傷であるという事実。
――あの、坂本京太郎とかいう男の仕事だろうか。
アル・アームズマンにも、その程度は察することができていた。
状況は混沌としていて、真実の糸をたぐるのは難しそうだ。しばらくは休暇を返上して働く必要があるだろう。もし、全て滞りなく解決したら、の話ではあるが……。
先ほどからずっと、脳裏をよぎっている想いがあった。
そのせいでいま、彼の心は死にかけている。苦しめられている。立ち上がれずにいる。
そんな彼に、差し伸べられる手があった。
逆光でよく見えないが、その手には見覚えがある。
ちょうどさっき、振り払ったばかりだ。
「立て。――仕事の時間だ」
無視する。無視せざるを得ない。もはや、手を伸ばす気力すら奪われている。
そんなアル・アームズマンに、坂本京太郎は問答無用で腕を重ねた。
その瞬間である、――。
▼
目の前に、人生最悪の日の想い出が鮮やかに蘇る。
日頃からその脳裏にちらつく想い出が、まざまざと……。
いつの間にか彼は、アルバートと呼ばれていた少年時代にまで退行していて、かつての記憶を強制的に見せつけられていた。
彼の目の前には、姉の死骸が転がっている。
アルバートにとって、たった一人の肉親だ。
貧乏人の子に産まれ、両親は早くに死んだ。
最期に遺してくれた、とある中流家庭との縁故で二人、居候になって。
肩身の狭い思いを共有した姉だった。
その身体は黒く焼けただれ、もはや見る影もない。
肉親であるアルバートですら本人かどうか判別できないくらいに。
彼女が彼女であるとはっきりわかったのは、その手に家宝のペンダントが握られていたためだ。
家宝、といっても対した物ではない。安っぽい銀の細工に、かつてこの近辺でよく採れた小さなサファイアが嵌まっているだけのシロモノだ。
銀は溶けて泥のようになっていたが、ぎゅっと握りしめられていたサファイアだけは無事のようだった。
――まあ、こんなんでも売れば幾ばくかにはなるだろう。
アルバートは、死者の手からそれを奪い取って、実に淡泊なため息を吐いた。
起こったことは単純である。歴史書には数行で書かれる程度の珍事に過ぎない。
――自身の才覚と裁量を勘違いした田舎領主の反乱。
それに巻き込まれた形だ。
”マジック・アイテム”を使った戦闘は時に、まったく無関係な者を巻き込む。この場合は火系魔法のぶつかり合いだった。
どちらが敵で、どちらが味方だったかもよく覚えていない。
アルバートは森に隠れた。姉は家に隠れた。
運が悪かったのは姉の方だった。
三白眼を空に向けて、「さて、これからどうするか」と考える。
――まず、宝石を売る。サファイアはかなり強力な”マジック・アイテム”の材料になると聞いたから、きっと良い値段になるだろう。
――それで当座の金を稼いで、”探索者”の訓練学校に。
――うまくすれば”国民保護隊”に入隊できるかもしれない。
――とにかく、何らかの”マジック・アイテム”を扱える職に就かなければ。
――姉の復讐はきっと、それからになるだろうな。
端から見れば、肉親の死に涙一つみせない冷たい少年に見えたことだろう。
だが違った。彼は、自身の憎悪を夕食後の薬のように呑み込んでいた。
彼は、ごくごく当たり前のように復讐を誓っている。
だから、
「よう、坊主」
”鉄腕の勇者”が、焼け残ったソファの一つにどかりと座った時は、眉をしかめた。
彼の手には、――憎むべき相手が持っていたと記憶している”マジック・アイテム”があったのだ。
「悪い。――オ主の復讐、勝手に果たしちまったわ」
奇妙な老人は、当然のようにそう言った。アルバートは何も答えない。
「到着が遅れちまっての。――というのも、昨晩呑みすぎたせいなんだわ。ちょっと調子の乗りすぎてタルごと一杯。小便が止まんなくてのオ。出発が三十分ほど遅れた。……んで、この有様よ」
てっきりその時、アルバートは何か冴えた切り返しをしたものだと思っていたが、実際にはそうでもなかったようだ。
少年は何も言わず、ただ、リカ・アームズマンを睨んでいる。
「いいか? 理解したか? ――オ主の姉は、ワシが脳天気に小便している間に死んだ。そういうことだ」
「……………………ッ」
アルバート少年は、歯を血が滲むほど食いしばる。
「復讐する相手はまだ、ここにいる。――だからそんなふうに、今にも死にそうな顔をするんじゃない」
それは、アルバートのその後の人生を決定づける言葉であった。
十年後、アルバートはリカ・アームズマンと再会することになる。
その時も彼は、笑ってこう言ったものだ。
「あの時の約束、忘れてませんよ」
と。
老人は口角を上げて、頭を撫でてくれた。
あの時から、――自分にとって理想の死は、リカ・アームズマンに返り討ちにされる瞬間だと決めていたのだ。
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