第113話 不幸な記憶

 アルバートがアル・アームズマンと名を改めたのは、自分を好きになってくれた人があの老人の親族であるため。彼女の親族になるためには改名が必須であったため。

 それだけの理由である。


 精神的な不能者である彼にとって、誰かを愛するということはどうにもぴんとこない。

 で、あるからして、相手選びは自身を好いてくれている女性のうち、最初に手を挙げた者を選んだ。その人が他と比べてどうとか、容姿が好ましいとか、そういう理由はなかった。


 そして、結婚式の当日。


 驚くべきことに、アルバートが結婚相手の名を認識し、脳に記憶したのはその日が初めてである。結婚相手の名前はエリ・アームズマンと言った。

 人前では貞淑だが二人きりの時は情熱的な女性で、さすが”勇者”の血を引く者だと思った記憶がある。

 今は確か、召使いと二人旅に出ていて一年ほど家には戻っていない。

 後にそういう関係になるとわかっている女性との結婚式だった。

 その時ばかりは人並みに幸福を感じていた、ような気がするが……。


――今、それを改めて見ていると……どうもな。


 式は教会で行われるのが通例だ。

 大抵、魂魄が飛んでくる確率が低い朝方の六時過ぎに行われる。その時間帯は”祝福された時ブレッシング・アワー”と呼ばれていて、”探索者”たちもその時間帯は空気を読んで、なるべく死なないように心がけているのだ。


「女神の名の下に、――その生涯を互いをただ一人の異性と認識し、――病めるときも、健やかなる時も、――その命ある限り、――」


 その時の記憶を今、客観的に観察していると。


――何もかも燃えて消えてしまえばいい。


 そう思えた。

 大好きなのは姉さんだけだった。

 愛していたのは姉さんだけだった。

 この女じゃない。


「では、誓いのキスを――」


 この女じゃない。きっと。

 ぼくは、愛する人を失った、これっぽっちも価値のない世界で何をしているんだろう。

 ふと、静寂の中で、


「……………しろ」


 群衆から、ぽつりと声が上がる。

 見る。

 アルが記憶する限り、――その時、その場にはいなかったはずの男がいた。

 坂本京太郎である。

 その絵面には見覚えがあった。一昨日、復活の儀式を受けた際にもその男は、群衆に紛れるように立っていた。まるで珍妙で野蛮な習慣を見守るように、眉を段違いにして。


「おい、しっかりしろ。仕事の時間だぞ」


 アルは眉をしかめ、幸せそうに目をつぶっている嫁を置き去りにウェディングロードを逆行する。


「お前。そこで何してる」


 問いかけると、世界中の人間がよくできた蝋人形のように固まった。

 たった一人、無駄に清潔な格好をした東洋人を除いて。


「説明している暇はない。昔のことでごちゃごちゃ考え込むのはもう終わりにしよう。手伝ってもらうことがある」

「なんだと」


 なんだか無性に腹が立っている。

 なぜそんなことを言われなければならないのか。

 こちとら、誰のお陰で憂鬱になる記憶を延々と見させられていると思っているのだ……。


 奴の悩みのなさそうな顔を見ていると、だんだん腹が立ってくる。

 ので、試しに一発、ぶん殴ることに決めた。


 軽いジャブを彼の右頬にぶちかます。

 すると、「ぶえっ」みたいなことを言って面白いように京太郎はぶっ倒れた。

 京太郎は、なんだかそれがとんでもない異常であるかのように驚いていて、


「……っ。イメージの世界だからかっ」


 とかなんとか言っている。

 アルは、なんだか嗜虐的な気持ちがわき上がってきていて、きっと幸せな異国の幸せな家庭で何一つ不満も不自由もなく暮らしてきたであろうこの男を徹底的にぶちのめさないと気が済まなくなっていた。


「ぼくと勝負しろ、”正義の魔法使い”。ぼくが負ければ、貴様のいう”仕事”を手伝ってやる」


 こういう時、アームズマン家の者は伝統的に、決闘で決着をつけると決まっている。


 いつの間にか自分の右手には”雷鳴の剣”が握られていた。

 京太郎の手にも全く同じものが握られている。

 これで条件は対等だ。

 京太郎は、「えっ、えっ? ちょっとまてこの流れ聞いてない」とか言っていたが、アルは気にせず彼に剣を振りかぶった。

 剣同士が交差し、東洋人はそのへんの町娘のように無力に、数歩ほど後ずさる。


「待てって! 自慢じゃないが私は、この剣を持つだけですでにじゃっかん、二の腕に乳酸がたまってきている」

「知るか。――お前と会った時からぼくは、ずっと君の脳天をかち割りたいと思っていた」

「それマジ? サイコ野郎にもほどがあるだろ……」


 柄をぎゅっと握りしめると、詠唱なしで”雷鳴の剣”が輝きを放った。

 使い慣れた”マジック・アイテム”特有の現象である。A等級以上の”マジック・アイテム”は時に、意志を持つように感じられることがあるのだ。


――お前もぼくを肯定してくれるか。……よし。


 そういう時、アル・アームズマンは、必ず相手を徹底的に八つ裂きにすると決めていた。


「天の力よ。――雷神の力よ。我が剣に宿りて、邪悪を打ち払え!」


 ”雷鳴の剣”が輝きを放つ。

 記憶の中の結婚式場は一瞬にして滅茶苦茶になった。


 不思議なことに記憶の中にあると思っていただけの人々は、意志を持つように慌ただしく悲鳴を上げて式場を後にする。位置が悪かった嫁と教会で働くおじさんたちが雷撃を受けて丸焦げになった。


「邪悪って、――お前、それはさすがに酷いぞ!」


 坂本京太郎は、なんとか剣を盾にすることで雷撃を受け流すことができているようだ。どうやら、まったく戦えない、というほどではないらしい。

 とはいえ、今はただ”雷鳴の剣”の力を解放しただけ。

 まだこの触媒の力を一割も出してはいない。

 勝負はこれからだ。


 凶相を歪めて、アル・アームズマンは剣を構える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る