第114話 一歩半

 剣の腹を相手に向けるように構え、そのまま振り下ろす。

 その力を限度一杯まで引き出された"雷鳴の剣"は、京太郎の全身へ引き寄せられるように網状の雷撃を繰り出した。


「くそっ! もういい加減にしろ!」


 坂本京太郎は意外にもそれを再び受ける。


――ほう?


 同じ”雷鳴の剣”を持つ者と相対したことはこれが初めてではないが、ここまで綺麗に術を受け流されたのは初めてだった。

 これは例えるならば、十人の優秀な投擲手が投げた石を躱すのと同じくらいには難しい。少なくとも素人の腕前でできる芸当でないことは間違いなかった。


――思ったよりやるじゃないか……!


 瞬間、京太郎は剣を弾いて、かなり正確にアルの右肩に斬りかかる。その剣尖が描く一筋の線は意外なほど美しく、素人特有のブレがない。

 真剣による立ち会いは腰が引けてしまうのが当たり前だ。アルですらそうであった。人間は識閾下において人殺しに対するストッパーが働く。遠距離戦ではあまりそうした心理は働かないが、接近戦では特にその感覚は強い。


――人を殺すときは、もう一歩半、間合いを詰めるつもりで斬りつけなさい。それくらいでちょうどいい。


 訓練学校の師範はそう言っていた。

 相手の頭部を鈍器で叩き潰したとき、ぽよんと眼球が海老のように跳ねる瞬間を見る。

 それを観てくすりと笑えるかどうかが、日常的にその一歩半を詰められるかどうかの素養だ。


「……どこで……剣を覚えた?」

「は?」


 間合いを離しながら、そう問いかける。

 京太郎は不思議な顔をして、


「いや、――どこでも学んでいない」

「その割には綺麗な剣筋だな。殺しの剣に迷いがない」


 すると男は、少し辛そうな表情になった。


「それは、……今だけ信念を曲げているためだ」

「ほう?」

「ここはイメージの世界だ。――ちょっとだけ、ズルさせてもらってる。君を説得できないと、その他の大切な人も傷つくことになりかねないからね」

「そうか」


 短く言って、アル・アームズマンは再び京太郎に斬りかかった。今度は試すような斬り合いではない。本物の剣士と剣士がする、技巧と筋力がものを言うやりあいだ。


 剣の腹で相手の切っ先を払い、隙を見つければすかさずそこに斬りつける。だが、それは全て誘われた一撃だった。

 京太郎は全ての剣戟を打ち払い、返す刀でアルに致命傷に近い一撃を浴びせようとする。


「――ッ!」


 そういうやりあいが幾度か続いて。

 チャンバラごっこに付き合うつもりが、いつの間にか全力を出す羽目になっていた。

 だが京太郎には足りていないところがある。純粋な筋力だ。剣の扱いは達人級だが、この男には肝心の膂力がなかった。


「なら、――こうだッ!」


 三度、脳天をたたき割るべく上段の振り下ろしを力任せに叩き付ける。

 十分に手がしびれた頃合いを見計らって、今度は脛を狙った。

 足斬りは最も人道的な剣術の一つである。相手を殺さずに戦闘不能にするためだ。ソフィア・ミラーなどはこの戦術が最も得意であった。彼女の場合、自分の足下に這いつくばる男を眺めるのが楽しかったのかもしれない。


「――おおっとォ!」


 京太郎は誤ってネズミの死骸を踏んだみたいに片足を上げてそれを躱す。

 そして、剣の腹を踏みつけるようにしてその動きを封じ、強烈な肘鉄をアル・アームズマンの鼻に浴びせた。


「ぐッ……ぶっ……!」


 ぶしゅ、と、鼻から血が噴き出す。


 そんな状況下にいながら、アル・アームズマンの脳裏にこの場とはまったく無関係の記憶が走馬灯の如く蘇っていた。

 いつの間にか周囲の様子も式場のそれではなく、かつて通っていた訓練学校の試験場に舞台を移している。


 ”探索者”たちが集う訓練学校から”国民保護隊”に入隊する時、特に選ばれた優秀な訓練生は”ゴブリン”と呼ばれる人型の”魔族”を殺すための試験を行う。

 グラブダブドリップ西の山中に秘密の繁殖場があって、そこの”ゴブリン”を相手に”童貞”(殺しの経験がない訓練生をこう呼ぶ)を卒業する……そういう名目のためだ。

 繁殖場にいるのは、人間の食事を出されて澄んだ赤色の血になるように改良された(通常、連中は土とか苔とかを食うためその血は黒っぽい)”ゴブリン”たちである。

 試験の際、”ゴブリン”たちはちゃんと人間に見えるように化粧を施され、服を着せられる。

 訓練生たちはそうした連中を、玩具で遊ぶように虐待して殺す。それが国の守護者であるために必要な素養であるとされた。

 彼は今、その当時を思い出している。


 周囲では、ごく一般的な街人や、ぼろぼろの剣と槍を持たされた”ゴブリン”たちが、かつての同期たちに追われていた。

 アルだけが我関せず、ただ相手を見据えている。


「――野蛮だな」


 京太郎は鼻の頭をごしごししながら、言った。


「こんなことをする必要、あるのか?」

「ある」


 街の守護者は応えた。


「問題は、――ここで一線を越えられるかどうかじゃないがね」

「ふむ? それはどういう?」


 体力回復のための時間稼ぎだとわかっていたが、アルは応えた。


「この後、訓練生には一週間ほど休暇が与えられる。本当の試験はそこ・・なのさ。訓練生の行動は秘密裏に監視され、中でも私生活に影響が見られなかったものが合格するんだ」

「――やっぱ、おかしくなっちゃう子とかいるのかい」

「いる」


 アルは断じた。


「娼妓に対する暴行が多数報告されるようになってから、このやり方は見直されつつある」


 こういう時、義理の弟が書いた冒険物語の中に登場する、偽善極まる一文が真理なのではないかと思わされることがある。


――邪悪な行動は、何よりその者の心を変質させるものだ。


 と。


「坂本京太郎」

「――ん?」

「これを観ても、……お前は我々を救う価値があると思うか?」


 目の前の奇妙な男は、首を傾げた。

 何をそんな、当たり前の質問をするんだとばかりに。


「私は、――私にできうる全てをするためにここにきたのだ。今更迷うことなどない」


 アル・アームズマンは、”雷鳴の剣”が再び輝くのを見上げて。


――ひょっとするとこの男は、ぼくたちの希望なのかもしれない。


 そう思った。


 まあ、それはともかくとして。

 決着はつける必要がある。それがアームズマン流だ。


 次の一撃が最後となるだろう。

 いつの間にか指先がしびれている。

 気力も萎えつつある。


 小柄な彼には、そもそも持久力がない、という欠点があった。

 そのためにいつも”竜の鎧”を身にまとっているのだが……今はそれがない。

 だから。


「あと一度だけ試させろ。――それで終わらせる」


 坂本京太郎は、嘆息混じりに構えた。


「了解」

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