第79話 線引き

 湖畔に戻ると、リムとフリムが隣り合って座っていた。

 二人の距離は、近くも遠くもない。


――どうやら少なくとも、ってわけではなさそうだな。


 それとも、案外何もなかったとか。まあそれも考えられる。これ以上は下種の勘繰りだ。


「ただいま」

『おう、……おかえり、サカモト』


 リムはすでに麻布の服を身にまとっている。奇妙なもので、今更ながらさっきの裸が不謹慎なものに思えてきた。


「あんまり長く離れているとシムたちが心配する。そろそろ戻るよ」

『そうかい。……あの子はよくやってるかい?』

「ああ。賢い子だ」

『当然だね。アタシの弟なんだ』

「そういう言葉、もっと本人に言ってやれよ」

『冗談じゃない。アンタが、――代わりになってくれ』


――それじゃあ意味がないんだがな。


 京太郎は嘆息して、この不器用な”人狼”を見る。


「フリムは、……もういいかい」

『ああ』


 言って、その“人狼”はそっと顔を撫でた。すると、みるみる彼の顔面が人間のそれに変化する。《擬態》したのだろう。

 本当の顔を隠して生きるとはどういうものなのだろうと思ったが、化粧のようなものと考えれば理解できないこともない。

 フリムは、傍らに落ちていたハンチング帽をしっかりかぶり直して、


「行こう」


 リムとフリムには、別れの言葉も必要ないらしい。

 京太郎の胸にかつて別れた人との思い出が蘇り、ちくちくと痛んだ。


「さよなら、リム」

『ああ。――あんがとな。サカモト』


 そして、”どこにでも行けるドアノブ”を捻る。

 こっそり扉を開け、当たりに誰もいないことを確認してからさっと外に出た。

 そこは”マジック・アイテム”ショップ裏の路地で、なんだか不良品っぽい、カチカチのビスケットが山と捨てられている。


 静かな場所に出て、二人、


「仲直り、できたかい」

『ああ、……兄貴とは会えなかったけど』

「彼とは私が会っておいた。『ここにお前の居場所はない。だが、俺はお前を許している』だそうだ」

『そう、――か』


 フリムは、帽子のつばをぎゅっと下げて、


『悪ぃ。少しだけ泣くわ』

「では、先に行く」


 京太郎は路地裏を出る。まだ店の前にシムとステラはいない。どうやら店主と値下げ交渉でやり合っているらしい。どうやらステラは定価で物を買うと負けた気持ちになるらしく、時間があるときはこうしてゲーム感覚で交渉するのが癖になっているらしい。

 ステラが”魔女”から受け取ったという”お小遣い”は『人生を八度遊んで暮らせる』というほどだから滅多なことで使い切ることはないらしいのだが。金持ちほどよくわからないところでケチ、というのはどの世界でも共通の心理なのかもしれない。


 手持ち無沙汰になって、京太郎は”異世界用のスマホ”で普段やりこんでいるゲームを始めてみる。

 ゲームは所持しているアイテムの表示がバグった感じになっており、どうやらガチャでいくらでもキャラクターを手に入れられるし、経験値アイテムを利用すればすぐに最高レベルまで育成できるようになっていた。


――よしよし。『ルールブック』で指定したとおりだな。


 さっそく、いまピックアップされている当選確率1%未満の激レアキャラが引けるか試してみる。


 五分もせずに飽きた。



『おっす』


 姿を現わしたのは、フリムが先だった。切れ長の目が心なしか赤い。


「お疲れ」


 京太郎が言うと、人に化けた”魔族”は脱帽して、丁寧に頭を下げる。

 それが、この享楽的な”人狼”にとってどれほど例外的な行動だったか、この時の京太郎は知るよしもない。


『今日は、――サンキュな』

「……ああ、うん」


 京太郎は気まずく頷く。そもそも彼の頭には、この世界で起こっているありとあらゆる悲劇は前任者のやらかしが原因だという負い目があった。とはいえ、悲劇が一切存在しない世界が健全かというと、それもよくわからない。

 理想郷とは、人類がその歴史の中で常に追い求め、未だ叶わずにいる社会の在り方だ。


『今後、何か厄介ごとがあったらいつでも頼ってくれ。……っつってもおいら、いい女紹介してやることくらいしかできねぇけど』

「別に、そういう見返りを求めて何かしたわけじゃない」

『そうか。……あんた、良い人なんだな』

「そういうわけでも、ないんだけどな」


 一通り行動を起こしてようやく、京太郎は自分の胸に矛盾したものを見つけ出す。胸にモヤモヤしたものがまとわりついていた。

 この期に及んで、自分が行っていることが真っ直ぐ正しく在るのかどうか、よくわからなくなっている。

 今だって、彼のためにしてやれることはたったこれだけじゃあない。万一”人族”に正体がバレた時のため、特別に”無敵”ルールを採用してやることだってできるだろう。

 だが京太郎は、あえてそれをしない。

 この世界の管理者として、ただただ他者に尽くすための存在でいるわけにはいかないためだ。

 

 坂本京太郎は、最悪、――シムやステラが今後の戦いで死んでしまっても、それはそれで仕方ないことのように思っていた。

 もちろんそれが、避けるべき事態であることは間違いない、が。


 荒神として世界に君臨する管理人もいる。

 機械のごとく公平な裁判官となる管理人も。

 気まぐれに世界全体の利益のみを追求する管理人も。

 一つだけ言えるのは、


 異界管理人という職に就く者の適正は、異世界人と自分自身の線引きをどこに置くか、という問題の中にあるといって良かった。

 京太郎は未だ、その置き場所を掴めずにいて――それでも前に進み続けている。


 ほとんど無意識的にせよ、坂本京太郎はこのことにうすうす感づいていた。

 自分の心が、少しずつとはほど遠くなっていることに。


『じゃ、おいら、そろそろ仕事に戻るよ。……ずいぶん道草食っちまったから、アンドレイさんにどやされちまう』

「ああ、それじゃあ」


 京太郎はそれだけいって、スマホに視線を戻す。せっかくなので、これまでスキップしてきたゲームのシナリオを最初から読んでみようと思ったのだ。


 次に顔を上げたとき、フリムの姿はどこにもいなくなっていた。

 しばらくして、


『お、お待たせしました、京太郎さま!』


 と、なんだか嬉しそうな表情でシムが現れる。

 京太郎は普段と変わらぬ笑顔で、彼を出迎えた。


「大丈夫。ぜんぜん待ってないよ」

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