第78話 心の選択

『フリム……だって?』


 京太郎の隣から、ひょっこりとハンチング帽に切れ長の目の男が現れた。


『よ、よう……』


 そして、恐る恐る、という足取りで扉をくぐる。


『久しぶりだな、リム。おいら……』


 瞬間、京太郎の耳朶を、世にも恐ろしい咆哮が叩いた。

 野性に還ったリムが、もの凄い勢いで飛びかかる。既視感のある絵面だ。


「たいへんもうしわけありませんでしたぁッ!」


 京太郎は身構えたが、リムが掴みかかったのはフリムの方だった。彼はもの凄い勢いで押し倒されて、どぼんと湖の中に沈み、水中で暴れる。


 そこから先は、二匹の野犬が噛み合っているような、それでいてどこかじゃれているような喧嘩が始まった。

 それは、お互いの喉元に噛みつこうとしているようでもあり、互いの牙を重ねて愛し合っているようにも見えた。

 京太郎には、不思議とそれがエロティックに映っている。なんだか気がした。


 ガウガウガウガウ、と二人の”人狼”は吠え合って、やがてごろりと草むらの上に転がる。


――そういやこいつら、元恋人なんだっけ。


 この頃には、鈍い京太郎にもかつてこの二人がどのように別れたか、おおよそ察していた。


『勝手にッ! 勝手に出て行ってッ! んで、いきなり戻ってくるんだから、あんたは……』

『…………すまん。……すまん…………』


 フリムはすでに《擬態》を解いて狼の顔を取り戻している。兄弟だから当然かもしれないが、その顔と毛並みはフリンとほとんど同様だった。


『でも、おいら……あの時はきっと一緒に来てくれるって……約束の場所で三日待ったんだぜ』

『行けるわけないだろう。――あたしは仲間を守らなきゃならないんだから』

『そんなふうに、掟に縛られて自分の幸せを捨てるなんて……!』

『わかってないねえ。――みんなのために尽くすのが、あたしの幸せなんだよ……、つがいになるのは二番目・・・だ』


 二人は、ほとんど囁くような口調で語り合っている。

 この会話をずっと聞いているほど無粋ではなかった。

 京太郎はこっそりと、


「三十分で戻る」


 そう告げて、湖を後にする。


――三十分じゃ足りなかったかな。……”亜人”って何分くらいかけてする・・んだろ。



 リムが水浴びしていた湖は、今や懐かしい、初日に軟禁された建物のすぐ裏手にあった。

 どうやらあの屋敷、もともと村長であるリムのものだったらしい。見上げると恐らく二階層の水源と繋がっている滝があって、そこを通り過ぎるとすぐに”回復の泉”がある広場へと出られた。

 ちなみのこの”回復の泉”、あれから追加ルールを書き込むことでちょっとだけパワーアップしている。

 今では、ネットで事前に調べた世界各国のスープがランダムに出る上、容器に入った瞬間に各種具材が出現する仕様になっていた。これでちゃんとしたおかずにもなるし、味に飽きるようなこともないはずだ。


 京太郎が“泉”の前を通り過ぎると、


『うおおおおおおおおおおおおお! でたあああああああああああああああ! おいしいものくれるマンだあああああああああああああ!』


 という悲鳴のような声とともに、一瞬にして子供たちに囲まれた。

 シムで重々承知していたことだが、子供の”亜人”は動物園とかでよく売ってる人形みたいで、とても可愛らしい。気のせいか皆、肉付きも良くなっていて、身体も清潔になっている気がした。生活に余裕が出たため、身ぎれいにする余裕が生まれているらしい。

 京太郎は、子供たちのふわふわした毛並みをポムと撫でてやり、


「よし。ご期待通り、おいしいものあげるマンになってやろう」

『やったあああああああああああああああああああああああああああああああああ』


 例の顔面あんパン男になった気分で、”加工済み食肉獣”の追加分を『ルールブック』で出現させてやる。

 子供たちの注意が逸れている間にその場を離れると、――フリンが京太郎を睨んでいた。


『よう、サカモト』

「やあ、フリン」


 フリンは、フリムとほとんど差異が見つけられない顔で、しかし以前同様に不機嫌そうにつかつかと歩み寄り、


『……………………ん』


 と、拳を突き出した。

 フリムで作法を学んでいたので、京太郎は拳をこつんとする。


『……これで、ダチだ』


 その台詞に京太郎は内心噴き出しそうになった。こういうところ、兄弟である。


「あれから何か、厄介ごとは?」

『万事順調だ。あのでっかい空飛ぶ蛇みたいなやつのお陰で”人族”も寄りつかなくなってる』


 その時、遙か遠く、恐らくは“迷宮都市”の方面で、いつだったか京太郎が生み出した”魔族”の守護者、――”龍”のいななきが聞こえた。


――よしよし。思った通り頑張ってくれてるな。


『……それより、ずっと言いたかったことがある』

「ん?」

『あのあと、ちょうど連中に食われかけてたガキどもが戻ってきてな。”ミート・イーター”の件、マジで感謝してる。助かった』

「そうか」


 京太郎は頬をかく。あの時は何が何やらよくわからないまま『ルールブック』を使っていたが……まあ、それで人助けになったのなら、それでよかろう。


『今日はどうしてこっちへ?』

「フリムに頼まれてね。君らと仲直りしたいようだったから」

『何? ……あいつがここに来てるのか?』

「ああ。すぐそこの湖畔にいる」

『悪い、案内してくれるか』

「今は……止めといたほうがいいかも」

『ん?』

「リムといる」

『ああ、――そういうことか』


 フリンは、鋭い爪で首の辺りをもしゃもしゃしながら、


『ようやく素直になったってとこだな』

「あの二人、イイ仲だったのかい」

『ああ、――』



 その後、フリンが語ったフリムの物語は、大方京太郎が想像した通りだった。

 ”人族”に紛れてびくびくして生き残るか。

 ”魔族”同士、身を寄せ合って破滅するか。

 どちらの選択が正しいかなど、京太郎にはわからない。

 だがリムは前者を、フリムは後者を選んだ。一言でいうなら、ただそれだけの話だ。


『結局は……自分の心がどちらを選ぶか、だ。それでいいと思ってる。俺らはさみしがり屋でね。死ぬよりも独りぼっちが怖いから、ここにいる』

「そうか。難しいな」

『なあ、サカモト。――あんたは『人狼村の悲劇』って話、聞いたことあるかい』

「寡聞にして知らない。――なんだそれ」

『知らないならいい。”人族”の考えた、くだらねえ創作さ』

「ふうん」

『その中で、”人狼”は得体の知れない怪物みたいに描かれてるが……俺たちにしてみりゃ、考えられないことだ。その”人狼”はただ、仲間がいなくて、一人ぼっちで、どうしようもなくって……ビビってるだけなんだ。実はな、その話の中で”人狼”は、誰一人も自分の手で殺しちゃあいないんだぜ。人間同士で勝手に殺し合っただけさ』

「へー、なるほどね」


 京太郎は、観てない映画の話を熱く語られている気分で頷く。

 二人はしばらく、子供が”加工済み食肉獣”をきゃあきゃあ言いながら食べている様を眺めて、


「……そろそろ戻ろうと思う」

『もうか? 早いな。なんなら泊まっていっても……』

「三十分で戻ると約束したからな。あんまり放っておくと再会が面倒になる」

『そうか』


 立ち上がり、座ったままのフリンに手を差し伸べる。


「行くかい。弟さんに会いに」

『いや、――やめとくわ』

「なんで?」

『一応あいつは追放されてるからな。その時、あいつとは兄弟でもなんでもなくなった。外聞もあるし、村の幹部が雁首揃えて会うわけにはいかん。姉御が会ってるなら、それでいい』

「そうか……」

『あいつにもそう伝えておいてくれ。湖畔にいるならセーフってことにするが、村への出入りは許されない』


 どうも根深い。第三者が介入して良い話ではないように思えた。


「でも、奥歯に挟まった骨を取ったって罰は当たらない。……何か伝言は?」

『「ここにお前の居場所はない。だが、俺はお前を許している」――それだけでいい』

「ふむ」

『“魂を賭けた”ぞ』

「わかった」


 京太郎は満足して、”亜人”の村に背を向けるのだった。

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