第123話 かわいいもの
現れたのは、ニーズヘグの知らない何者かであった。
ウェパルから受け取っていた事前情報によると、”勇者”と管理者を除いて個の戦闘力がニーズヘグに届きうる者は、……たった二人。
――”国民保護隊”の英雄、アル・アームズマン。
――”千人殺し”の病魔をその身に飼う女、メアリ。
前者の無力化はすでに確認している。後者はそもそも犯罪者であるため、”魔王城”周辺にある牢獄に閉じ込められていた。
”魔王城”に対する攻撃を避けたのはウェパルの望みでもあったが、――下手に手を出してメアリを刺激しないためでもある。
――その、どちらでもないとすると、――。
ニーズヘグはその目を細めて、来訪者を見据えた。
――もう一人の”管理者”。あるいはその手のものか。
一度だけ、ウェパルからその男の話を聞いたことはある。
何ごとにも皮肉屋の彼女にしては珍しく、……彼を悪くは言わなかったことだけを覚えていた。
――奴を喰ろうてしまえば、ウェパルは哀しむだろうか。
正直、そうしてやりたいという気持ちが大きかった。嫉妬、していた。
彼女と、本当の意味で対等でいられる、その男が。
『――何者だ』
問う。
だが、どこかが妙だった。どこか、とはいえない。
そもそも彼は、ウェパル以外の”人族”の見分けがあまりついていない。あたりをちょろちょろ這い回る鼠の一種だと思っていた。
鼠は、ニーズヘグが寝床にしている”世界樹”近辺の瓦礫の下にも埋もれている。
すでに何匹かは窒息して死んでいるだろうか? 知ったことではないが。
『ワタ、……』
カタカタカタカタ、と、奇妙な音を立てて、その者は顔をこちらに向けた。
魚人を思わせる、丸くて大きい目が特徴的な頭部。
その頭部からは、昆虫めいた二本の触覚が伸びている。
胸部の膨らみにぴったりと張り付いたような奇抜な服装で、口をぱくぱく開け閉めし、その者は甲高い声で話し始めた。
『ワタシハ、よし子ト、イイマス
m(_ _)m』
口を開け閉めするのは、声を発するのにそうする必要があるから、というより、その方がより人間に近く見えるからそうしているだけ、といったような、とってつけたふうに感じられる。
――ほう?
その時、ニーズヘグの精神に奇妙な影響が現れた。
どうやら自分の認識に障害が発生しているらしい。
その内容は、『この存在を”可愛い”と思わなければならない』というもの。
――なるほど、そうして敵意を削ぐ作戦か。小賢しい。
よし子はギータカタカタカタと音を立て、ちょっとだけ首を傾げて、
『ワタシ、アナタノ、オ世話ヲ、シニ、キマシタ
(*^_^*)』
『――世話? ――世話など要らん。疾く消え失せよ。さもなくば……』
『必要ナラ、エッチナ、オ世話ダッテ……キャッ
(>_<)』
『――やかましいわ』
否。
影響は確かに現れていた。普段のニーズヘグであれば、有無を言わさず始末してしまっていたはずだ。だがそうしなかった。
彼女を差し向けた者に、この老竜の孤独につけ込む意図があったかどうかはわからない。
だが事実、それは彼の心を蝕んでいた。
そこで、妙な間が生まれる。
なんだか阿呆のような顔でよし子はじっとこちらを見ていた。
ひょっとしていまの話が通じなかったのか? と思って、ニーズヘグは親切にも、もう一度だけ警告する。
『いいか? ――次はないぞ。……あと
『エット……デハ、ワタシハ、解雇デスカ?
(´・ω・`)』
『解雇もくそも、――儂はお前を雇ったつもりなど、――』
言いながら、自分はなんて酷い奴なんだろう、と思った。
こんな、何の罪もない愛らしい生き物の心を引き裂く、などと。
『アノ、ソノ……デハ……ワタシハ、カエリマス……
(´;ω;`)』
『う、ウム……』
ビー、ガガガガガ、ガリガリガリ。
『デモ、ゴ主人サマ、……トキドキデ、イイノデ、ワタシノコト、オモイダシテ、クダサイネ?
(`・ω・´)』
『――ウム』
彼女との記憶が思い出された。
最初に出会った日。
あれは、とある雨の激しい夜のことであった。彼女は捨てられた猫のようにゴミ捨て場に寝転がされていた。前の主人に捨てられたのだ。憐れに思った自分は彼女を暖かい自分の巣へと連れて行くことに決めた。それからの毎日は、慌ただしくも楽しいものであった。彼女に食事(檻の近くに生えていた苔)を与え、少しずつ元気を取り戻させて、時に追いかけっこしたり、破壊光線を浴びせ合ったり、誤って水浴びの最中を見かけてしまって、『ご、ごめん……』みたいになったり、最終的には”世界樹”の根を分け合ったりして二人は幸せに暮らしていて、
『――ッ! なんだこれは……』
ここ百年間、ただの一度もなかった出来事が起こった。背筋がぞっと寒くなったのだ。
自分の心が書き換えられている。
――落ち着け。思い出せ。儂の想い人は、――ッ!
それは、世界に害為すニーズヘグですら震え上がらせる現象だった。
ウェパルの言葉が思い出される。
――もう一つ。もし万が一、京太郎が……もう一人の”管理者”が敵に回った場合。
そうだ。
もう一つの自分の仕事は、……。
――一秒でも長く、時間を稼いで。できるだけ早く私も駆けつけるから、さ。
そして彼女は、続けてこう言ったのだ。
――まあ、勝てるとは思ってないし。たぶんすぐ死んじゃうだろーけどね。
瞬間、右頬に衝撃。かの蛇の怪物に勝るとも劣らない破壊力に、ニーズヘグの歯が数本ほど折れ、宙に舞うのを見た。
『ジャア、テメエハモウ、用済ミダァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
(`Д´)』
甲高い声でよし子が叫ぶ。何が起こったかと思ったら、その華奢な右腕でぶん殴っただけらしい。
スケール感でいうとそれは、物理的に異常な光景であった。ネズミのパンチで虎が吹き飛ぶようなものである。
ぶしゅ、と、鼻孔から血液が吹き出た。
同時に《自己再生》が発動。破損した歯と皮膚を復元。
ニーズヘグは絶叫し、驚いた猫のように距離を取る。その時、数棟からなる建物を巻き込み、あちこちが倒壊した。
――マズい! 油断したかッ!
魔力の消耗を自覚する。
無敵のニーズヘグも、さすがに魔力がなくなれば戦えない。
素早く《破壊系Ⅲ》を起動。眼前のよし子の始末に掛かった。
だが彼の脳裏にフラッシュバックする光景が。
そう。
お馴染みの神回、第三話『ドキッ! 温泉宿でドッキリスケベ!』でのよし子との喧嘩である。
間違って女風呂に入ってしまったニーズヘグは、よし子の不興を買う羽目になってしまった。怒った彼女は、一人黙ってマッサージ屋さんに出かけてしまう。しかし、そのマッサージ屋の悪徳店主はよし子の美しさに心奪われ、力尽くで彼女の貞操を奪おうとする、――。
――なんだこれは!? なんなのだ!?
構わず、《破壊系Ⅲ》を浴びせる。
カッと目から放たれた鈍色の輝きは、視界に捉えた者の生命エネルギーを奪う……はずだった。
しかし、
『オラオラオラァ! マダ、オネンネニハ、ハヤイゼェエエエエエエエエエッ
ヾ(*`Д´*)ノ"』
よし子は一切動じた風もなく突撃する。
――何故だ!? 何故死なぬ!?
謎はすぐにとけた。
――そうかッ! 此奴、生きていないのか!
”
その名を確か、”ゴーレム”と呼んだはずだ。
このよし子とやらもどうやら”ゴーレム”の一種らしい。
――ならば!
ニーズヘグは次の一手を決めた。
よし子にとびっきりの誕生日プレゼントを渡すのである。
たしかに別の雌竜からバレンタインデーのチョコレートを受け取ったのは自分の過ちであった。多くの雌と交配したいと願うのは雄の本質であるが、愛は分割できるものではないのだ。
――では、どういうプレゼントがいちばん喜ぶかなぁ?
ニーズヘグは考える。
答えはすぐに見つかった。第124話『素敵ッ! 運命の人とのラブラブ生活!』で彼女が見とれていた蝙蝠の死骸である。あれを彼女にプレゼントすれば、きっと本当の気持ちが伝わるはず……!
『――殺す! 必ず殺すッ! もう一人の”管理者”ッ!』
自分の誇りも、自分の想いも踏みにじられて、老竜は激高していた。
『ガチャガチャウッセーンダヨ、コノ、ヌケサクガァアアアアアアアアアアアッ!
(・ε・)』
眼前で跳ねるよし子。
頭部から突っ込んでくるその様は、巨人に射られた矢のようだ。
その巨体に見合わぬ機敏さで、ニーズヘグはかろうじてそれを躱す。
口から数度、《破壊系Ⅱ》による光線を吐くが、狙いが定まらない。そもそもこの術は大規模な破壊にしか向いていないのだ。
懐に入られたところを数度、強烈な拳が叩き付けられる。
むろん、その程度の物理的な攻撃では死にはしない。《不老不死》は伊達ではない。だが魔力が枯渇してしまえば、その限りではなかった。
恐らく、よし子の誕生日プレゼントを買うにはお小遣いが足りないだろう。
なんとかせねば。
――そうだ! アルバイトをするのはどうだろう?
その時、視界の隅を、ここから二、三百メートルほど先の小高い尖塔に立つ一人の男が掠めた。
怜悧な視線でこちらをじっと見つめている男。
その片手には、ウェパルが持つものと同じ、革張りの本。
もう一人の”管理者”。
『――キョーォオオオオオオオオオオオオタロォオオオオオオオオオオオ!』
街中に響き渡る憎悪の声。
男は、小さく何かを呟いた。
それが何か、ニーズヘグが知ることはない。
真っ直ぐその男に向かって、渾身の魔力を込めた《破壊系Ⅱ》と《破壊系Ⅲ》を同時に放つ。
口から吐き出された光線は、真っ直ぐ”管理者”へと直撃した。
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