第156話 閑話
「なあなあ、京太郎くん」
「ん?」
「一つ、きーてもいい?」
「ああ、別にいいけど」
「京太郎くんって、彼女とかいたこと、あるの?」
「……いや、いないけど。なんでそんなことが気になるんだい」
「いや、別に。――京太郎くんってほら、見るからに童貞っぽいから」
「何を言う。一応、私だって、人並みの恋は経験してるんだぜ」
「え? それマジで?」
「ああ」
「どんな人? それどんな人?」
「あー、……いや。この話は……」
「いーじゃんいーじゃん、聞かせてよぉ」
「私は話してもいいんだが、相手が良くないかもしれないんだ。ちょっとその人、一部界隈では有名人だからね」
「え? アイドルとか、女優ってこと?」
「ちょっと違うけど、まあ人気商売ってことだ」
「マジか。すごいじゃん」
「すごくはない。当時はお互い、普通の学生だったし」
「ははあ。そんなスゴイ女の子と付き合ってたせいで理想が高くなっちゃって、その年になっても未婚なんだ?」
「……君は、本当に人の痛いトコロをざくざく刺してくるなあ」
「やっぱそうなん? 理想、高いの?」
「そういうつもりはない」
「じゃ、なんで未婚なのよ?」
「うーん。いやまあ、理由は色々あるけど」
「時間はたっぷりある。存分に語りたまえよ」
「なんだその、謎の上から目線は」
「いーからいーから♪」
「……たぶん私は、自分に納得できてないんだ。この年になってもまだ、自分を肯定しきれてない。好きでないものを他人に勧めることはできないだろう? だからじゃないかな」
「へぇ……………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「…………おい、どうしてくれる、この空気。語らせたのは君だぞ」
「ああいや。わりとそういう悩みって、月並みなのかなって思って」
「悪かったな、平凡で」
「ああ、違うの。そういうんじゃないの」
「?」
「私も一緒だなって、そう思っただけ」
それは、いつだったか。
仕事終わりにした、二人のぼんやりとしだ無駄話。
▼
たった三センチ。
それだけ手を挙げるだけでいい。
何とかなる。
まだ左手は無事だし、気力は尽きていない。
顔を上げられなくても、ゆっくり時間を掛けて、文字を書くことくらいできる。
左手の中には、使い慣れたペンが一本。
ペンは、『ルールブック』の新規項目を書き込むべく動いている。
――エラーだけは。エラーだけは避けるんだ。
途切れそうになる意識をつなぎ止め、彼は最後の一筆をしたためた。
【名称:もう一人の自分
番号:SKー18
私こと坂本京太郎に変わって世界を管理する”もう一人の自分”。記憶その他、魂のようなものが存在するのであれば、全ての情報を私のものを引き継ぐ。】
――よし。これで……。
と、その時だった。
「やめて」
いつの間にかこちらをのぞき込んでいたウェパルがこちらの手を止め、……そして、『ルールブック』に書き込んだ内容をペンでぐしゃぐしゃにした。
「それはダメ。やっちゃダメ。――」
「ウェパル」
「それができるってことは、やっぱりあなたは、特別なんだね。まあ、ソロモンが連れてきた人だから、当たり前だけども」
そして、京太郎の土手っ腹に空いているドス黒い穴を見て、
「刺してゴメン」
わりと素直に謝ってきた。
果たして、理不尽に刺されたあと頭を下げられたからといって、それが何かの慰めになるものだろうか。
しかし少なくとも、その時の京太郎はなんだか救われた気がした。
「別に構わないよ」
「そう。良かった」
「でも、なんだかすごく、……寒いんだ」
「その話、長くなる?」
「いや、……もし長引いたとしてもたぶん、もうちょっとしたら突然終わると思う」
「良かった。あなたとのおしゃべりにはうんざりしていたの」
ひどい。
それが、彼女の狂ったユーモアだとはわかっているが。
「ひとつだけ、約束してくれ」
「なに?」
「もし、……ほんの少しでも、私を憐れに思うなら、――その気持ちを、この世界の人々にも、向けてやってくれないか」
「どうして?」
「どうしてって……ええと」
言葉に詰まる。
これあれだ。
――なぜ我々は、他者の命を尊重しなくてはならないのか?
っていう。
子供に尋ねられた親が、わりと返答に困るやつ。
京太郎は応えに窮した。
何せ、――殺しを禁ずるような”ルール”は、あの本のどこにも書かれていない。
もし自分が”造物主”で、世界から争いをなくしたければ、『ルールブック』に一筆したためるだけで済むだろう。
――それをしていないってことは……つまり……。
世界の”造物主”はあるいは、争いを望んでいるのではないか。
正直に言ってそれは、京太郎には受け入れがたい事実だった。
もし自分たちの世界にも”造物主”が存在するのであれば、その人は素晴らしく高潔で賢くて、誰よりも優しい人物であって欲しいという願いがあったのだ。
自分たちの争いが、自分たちの苦しみが全て、――得体の知れない、どこかの誰かの気晴らしに過ぎないのかも知れない、という可能性は、考えるだけでおぞましい何かがある。
「…………………ふむ」
恐ろしい真理を垣間見た気がして、京太郎は目をつぶった。
――落ち着け。少なくともいまは、絶望している状況ではない。
それに、彼女みたいなひねくれ者に”正しい言葉”を言ったところで、きっと意味がない。
だから京太郎は、こう答えた。
「私が」
「え?」
「私が、そう望むから、じゃ、ダメかい」
「あなたが?」
「昔から、……私と、私の仲間たちが作る物語は、ハッピーエンドで締めくくると決めてるんだ」
「なんだそれ」
すると、意外にもこれはウケて、ウェパルは口角を少し上げる。
「あなたの個人的なこだわりってこと?」
「良い仕事をする上では、そういうことも大事だ」
「ふーん」
ウェパルは少し黙っていたが、やがて根負けしたように、一つ、言った。
「ま、いいよ」
「約束できるかい」
「うん。もうその価値もないってわかってるから」
「――?」
「細かい説明はまた今度、機会があったらしてあげる」
「ちょっとまて。――となると私、ひょっとして、刺され損かい?」
冗談交じりで、言う。
少しでも笑って終わろうと思ったのだ。
その瞬間だった。小さな奇跡が起こったのは。
ウェパルは急に顔を伏せて、強く京太郎の頭を抱いた。
眼前に迫る彼女の顔は、――それまで見たことがない類のもので。
少なくとも、そこに邪気は感じられない。
「ばか」
唇に、温かいものが触れた気がした。
その感触を楽しむ暇もなく、そこでいったん、意識が途切れる。
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