第155話 とある世界の物語

 それは、ここでなく、どこでもなく。

 今では廃棄処分となった、とある世界の物語である。


 その場所では、我々がよく知るサルの子孫が繁栄していて、我々がよく知る封建主義的な社会を形成していた。

 とはいえそこが、完全に我々の世界の現し身であったかというと、そうでもない。大きな相違点が一つ、存在する。

 そこは、――空想と現実の境目が極めて希薄な世界であった。

 その場所において、ヒトは神の如き権能を持つ。

 ”かくあれ”と望めば、個人の理想が現実として顕現する世界であった。


 しかし、不可解なことがある。

 どうも、――その世界の住人は、自分たちが奇跡を起こせるとは夢にも気付いていないらしいのである。

 何もかも自分の思い通りになると定められているにもかかわらず、彼ら自身そう信じていないが故に、奇跡は起こらない。

 その世界はそんな、奇妙な矛盾を抱えていた。


 そんな、とある金曜日のこと。

 世界の真理に気がついたある男が、こんなことを言った。

 

――己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ。


 さすれば世界は丸く収まって、わりと良い感じだよ、と。

 その後いろいろあって、彼は磔の刑に処されることになる。

 その世界、その時代において、彼の考え方は早すぎたのだ。

 とはいえ彼は前向きだった。

 自分の死にはきっと、何かの意味があると確信していたのである。

 そんな彼に、少女はこう尋ねた。

 

主よ、どこに行かれるのですかドミネ・クォ・ヴァディス?」


 彼は、ニコニコ笑いながら、こう応える。


――私はこれから、磔刑に処されるのだ。


 そして男は別れ際、少女に一つの教えを説いた。


――狭き門を目指しなさい。滅びに通じる門は広くなだらかで、とても入りやすい形をしているから。


 彼女は生涯、その教えを守ることを約束した。

 男を見送った娘の顔には、見覚えがある。面影がある。

 いまより若く、髪は腰に届くほど長く、その顔には彼女らしい脳天気さが微塵も感じられない、が。


 彼女こそまさしく、ウェパルと名乗った女。

 その、かつての姿であった。



 さて京太郎はと言うと、ほとんど死にかけている。

 無理もない。彼の右腕は真っ黒に焼けただれていて、その腹部は、ちょっと見ただけで気が滅入ってくるくらいの大穴が空いているのだ。

 精神世界だからその辺うまいことどうにかなるだろうと思っていたが、甘い見通しだった。


 何が惨めって、そういう悲惨な状況下におかれてなお、想い人の熱い視線は、彼女の膝の上で寝転がっている、今にも死にそうな男に注がれている、ということ。

 そしてその男が、――百万回リセマラしてもこうはなれないだろうと思えるほどに魅力的なジョニ-・デップ似の白人で、彼を前にしたらそりゃ自分なんか霞むわなぁ、ということ。


 京太郎は、自分の全身が壊れかけたテレビみたいにノイズが走っていることに気付いて、終わりが近い、と思った。


――いかん。

――まだ、彼女にしてやれることがあるはずなのに。

――ほとんど身体がうごかない。


 ウェパルは、磔刑に処され、民衆に打ち捨てられたその男を膝の上に載せたまま、ぼそぼそと呟いていた。


「いやだ」

「…………………」

「いやだよ。こんなきもち……」

「…………………」

「あなたしかいなかったの」

「…………………」

「わたしのきもちをわかってくれるのは」

「…………………」

「わたし……わたし……」

「…………………」

「なにより、あなたのことが大切だったのに」

「…………………」

「あなたにいなくなってほしくなかったのに」

「…………………」

「あなたのいない世界なんて……」

「…………………」

「何の価値もないのに」


 昏いもや・・のような何かが、彼女の全身に立ちこめている。

 直感的に理解できた。

 彼女は今にも、奇跡を起こそうとしている。

 いま、彼女の眼前で斃れている彼が、――


 その力で、世界に終焉をもたらそうとしている。

 そう在る者の名を、どこかで聞いたことが、ある、ような。


――そうか。

――彼女は。


――かつて”終末因子”だったのか。


 京太郎は願った。

 救いがもたらされるのであれば、何もかも失っても構わない、と。

 今までの人生で、ここまで強く思ったことはないくらいに。

 

――やめるんだ。

――きっと後悔する。

――後悔して、……君の心にひずみを生む。


 ちょうどその時、ジョニデ似の男が完全に息絶えた。

 生前は饒舌だったであろう彼の舌は、死の間際に至ってはさほど回らず、黙して何ごとも語らなかった。


――まだだ。

――まだ死ぬわけにはいかない。


 ”バクの腕輪”の本質は、他者と記憶を共有し、痛みを分け合うこと。

 それだけだと思い込んでいた、が。

 ステラが望んだことは違う。

 今ならわかる。

 彼女はこの腕輪を作るとき、こう思ったはずだ。


 ”仲間との絆が欲しい”と。


 そしてそれがそのまま、”機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ”によって強化された”バクの腕輪”の性能に現れている。

 この腕輪の本質は、――仲間との絆を生む”マジック・アイテム”なのだ。


――最後に力を貸してくれ。


――絆を。


――ウェパルの心に、愛の力を蘇らせてくれ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る