第157話 病室にて

 それから、――。

 なんだか夢うつつの状況で、色んなことがあった気がする。


 よく覚えていない、が。


 シムとステラが泣く声を聴いた、ような。

 二人を心配させたくなくて、フルパワーを発揮して親指を立てた気がする。


 で、そのあとまたしばらく、意識がフワフワして……。

 なんだか、ずいぶん久しぶりにソロモンに会った。

 ぼんやりとした不安に感じていたのは、その瞬間までである。

 その金髪の青年の声を聴いた、その時から、京太郎はあらゆる艱難辛苦から解き放たれたような気持ちになった。

 彼との付き合いは長くない、が。

 ソロモンには、他者を安心させる不思議なオーラがあったのである。

 彼に任せれば、円満なる解決を導き出してくれる、ような。

 例えば、そう。

 問題を抱えた依頼人が、シャーロック・ホームズと出会ったような。

 怪獣に踏み潰されるその直前で、ウルトラマンが現れたような。

 昏い中こぎ出した小舟が、灯台を見つけたような。


 彼の第一声は、こうだ。


――ほほう? コリャマタずいぶんな有り様デスねえ。


 そこまで、京太郎に肩を貸していたらしいウェパルが、悲壮な声で応える。


――うっさい。どーでもいい。さっさとこいつを助けてやって。……簡単でしょ? ブエルの手は空いてる? あの人の治癒能力なら……。

――ハッハッハ。残念ながら、ブエルさんの手は貸せマセンねぇ。

――はっ? はあ!?

――別に、イジワルしてる訳じゃアリマセンよ。ただ、条件が良くないのデス。見たトコロ京太郎さんは、彼自身の意志で刺されたヨウニ見えます。、これは。

――それは……まあ。

――これがイケナイ。ブエルさんの力では、自傷行為によってデキタ傷は治せマセン。あの人の力を使うには、アクマで”正義の戦い”によって受けた傷でナケレバ。

――そんな……!

――ワタシも驚いていますヨ。どーいうアレでコウなったの?

――…………ううう…………。


 ウェパルは返答に窮して、うつむく。

 何か口添えしてやろうかと思ったが、しゃべる気力が沸いてこなかった。


――マ、いいや。トリアエズ救急車呼びマショ。それがイチバン。

――それじゃ、間に合わない可能性も……!

――安心してイイと思うケドなー。この世界のお医者さんは、トッテモ優秀デスからねー。

――く…………っ。


 そして、ブラックアウト。

 身体が右に揺られたり、左に揺られたりしたような感覚があって。

 今に至る、と。


 深呼吸。

 見慣れぬ天井。

 薬品臭い室内。

 ちょっと固めのベッド。


「つまりここは、――病室か」


 呟く。

 窓の外は、夜。薄暗い。輸血を受けている。右腕には包帯が巻かれている。病室はカーテンで仕切られた六人部屋で、同室のおじさんの咳をする声が聞こえている。

 あと、世界がぼやけていた。眼鏡がないのだ。これは由々しき事態である。眼鏡がない人生など考えられない。

 あちこちをまさぐっていると、


「ほらよ」


 その手のひらに、長年連れ添ってきた相棒、――黒縁の眼鏡が置かれた。

 見るとそこには、意外な人物が座っている。

 廻谷浩介。どうやら仕事帰りらしい。スーツ姿だ。


「よう。――一応、着替えも買ってきてやったぞ。ユニクロのLサイズで良かったか? ワンピースのコラボのやつ。パンツは必要なかったみたいだから、俺が持って帰るな。ちょうど足りなかったし」

「えっ、あっ、いや、……うん。さんきゅ。助かる」


 そして、一瞬考え込んで、


「ってか、どうしてここに」

「どうもこうも。――なんだかしらんけど、あの美人の白人さんから電話がきてさ。自分の代わりにお前を看てやってくれって、ムチャブリよ。笑ったわ。ってか俺、あの人に電話番号教えたっけ? お前が教えたの?」

「ああ、……まあ、そんなとこだ」


 そんな覚えはないが、そういうことにしておこう。


「おいおい。個人情報の漏洩だぞ」


 廻谷浩介は、ぐははははと豪気に笑って、つぶつぶ入リの葡萄ジュースをぐびりと飲んだ。


「ここに連れられて、――どれくらい経ってる?」

「六時間くらいかな」


 その程度か。


「一週間くらい経っているかと思った」

「大袈裟だなぁ」

「えっ? 大袈裟なの?」

「ああ。起きたら退院しても良いってさ」

「マジで?」

「怪我、血がどばどば出てたわりには、びっくりするくらい軽傷らしい。一応、少し様子見て検査に来て欲しいけど、キホン問題ないって」

「そうか……」


 京太郎は、自分の腹部を見る。上着は脱がされているが、下半身はスーツのままで、ちょっと間抜けな姿だ。

 傷をまさぐると、先ほどまで大穴が空いていたように思えたそれは、――その痕跡すら見つけられないくらいになっている。


――妙だな。


 うっすらとした記憶で、ソロモンが「治せない」と言っていたような。

 ひょっとするとあれは、悪い夢か何かだったのだろうか。


「いや、そんなことはどうだっていいんだ。――ウェパルは?」

「ああ、彼女なら、いったん仕事に戻るって。『明日、また会おう』ってさ」


 これがウェパルの哀しい嘘であることを知ったのは、少し後になってからのことだ。


「そうか……」

「いやいや。『そうか……』、じゃねーよ。病院に担ぎ込まれるような怪我したのに、明日も出勤するのお前? いくらなんでもブラックすぎんか。明日くらい休めないのか」

「そういうわけにはいかない」


 そこで浩介が、妙な顔をした。


「マジで、――大丈夫なんだろうな? お前の仕事」

「ああ」


 早くも京太郎は、きっと仕事を放り出してまで駆けつけてくれたであろうこの親友を、少し邪魔に思っている。

 最初から、何もかもを説明していくのが、どうにも億劫に感じられたのだ。


「話してみろよ。最初っから、終わりまで」


 恐らくはそういう空気を察してなお、浩介は質問を続けている。

 彼はそういう男だった。


「お前の仕事、前はびみょーにお茶を濁されたけど。――まともじゃないんだろ?」

「話したところで、別にどうなるわけじゃあ」

「それでもいいじゃんか。……話せば楽になるってこと、この世の中にはたくさんある。だろ?」

「……ううむ……」


 ”バクの腕輪”を見る。

 いまの京太郎にはそれが、説得力のある言葉に思えた。

 それでも、――京太郎は悩む。

 悩みに悩む。


「といっても、事情がわりと込み入っていて……」

「時間はあるさ」


 自分の脳みそが、少々パンク気味であることに気付いていた。

 誰かに話すことで、頭を整理してみるのも良いかも知れない。

 今日という一日はそれだけ、彼のキャパシティを大きく超えた出来事であったのである。


「わかった」


 そして京太郎は、語り始めた。

 この一ヶ月の間の、――異世界救世紀行。

 その冒険譚を。

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