第158話 はぐれ者の居場所
結論から言うと、浩介はかなり微妙な顔で話を聞いていた。
せめて写真があれば信用を勝ち取れたかもしれなかったが、――どうも、ウェパルとのごたごたでスマホをなくしてしまったらしい。
「あの時たしかに写真撮ったんだけどなあ」と語りながらも確固たる証拠を提示できないでいる自分は、間違いなく頭のおかしくなった男にしか見えないだろう。
だが少なくともこの友人は、馬鹿にはしなかった。
狂人扱いもしなかった。
ただ、心療内科の先生のように慎重な口ぶりで、こう言った。
「へー。大変だったな」
結局その日のおしゃべりは、そこまでだった。
浩介はまだ仕事を残しているらしく、いったん会社に戻ると言う。京太郎もまた、自分の会社に戻ることにした。
病院を出るとき、会計を済ませようとしたら、「金髪の外国人の方が全て払っていった」という。
――だったら、今の時間ならソロモンに会えるかもしれない。
そう考えたのだ。
――思えばこれまで、なんでそうしてこなかったのだろう。
と、疑問に思って、就業時間外に出社するとウェパルの機嫌がてきめんに悪くなるからだと思い出し、少し哀しくなる。
いつも通り、レトロな雰囲気のビルの関係者用出入り口を通り、灰色のリノリウムの階段を昇って、白色蛍光灯に照らされた、掃除の行き届いた廊下に足を踏み入れて、――
「おっと、失礼」
そこで、箒を持った見知らぬ少女とぶつかりそうになる。
作業用の頭巾、アームカバー、エプロンという色気のない格好の若い娘で、その目つきはなんとなく、反抗的な感じだ。
彼女は京太郎を見て、少し訝しげな顔をしたが、
「――フン」
すぐに視線を逸らして自分の仕事に戻った。
京太郎の方も、それ以上話しかけるような社交性を発揮することもなく、そのすぐ横を通り過ぎていく。
――そうか。当たり前だよな。いつも掃除が行き届いているってことは、誰かが掃除してるってことなんだから。
だが、そうした”当たり前”と出くわすことが、この仕事においては妙に不思議に感じられる。
「……………………」
京太郎が無言のまま、”(株)金の盾異界管理サービス”の扉をくぐる、と。
「オヤ?」
「あ、どーも。……こんばんは、っす」
そこにいたのは、――ソロモン、だけではない。
女が二人、男が一人。年は皆、十代~二十代、といったところだろうか。若い。
そのうち最も若く見えるひとりは、直毛の小柄な黒人で、なんだかいかにも優しそうな印象の女性だった。
残る男女は、一見したところアジア系の外国人に見える。
その場にいる皆、F層向けドラマの登場人物のように美形揃いだった。
――ずっと、この会社はウェパルと私の二人きりだと思っていた。
なんとなく、テリトリーを侵害されたような錯覚に陥る。異端者はどちらかというと自分の方なのだが。
京太郎は今さらながら、トニートニー・チョッパーがでかでかとプリントされたTシャツ姿でいるのが気まずくなって、
「あ、お忙しい? なら帰りますけど」
「イイエ? って言うか、京太郎さん、もうオ怪我はヨロシイので?」
「ええ。なんだか、見た目ほど大したことはなかったみたいです」
「へぇ? ソウハ見えなかったケドナー? ……マ、いいや」
その時、黒人女性が何か言いかけたが、ソロモンは片手で彼女を制して、待機しているように命ずる。
ソロモンは鼻歌交じりに冷蔵庫の中の缶コーヒーを二つ取って、
「屋上、行きマセン?」
京太郎は、缶コーヒーを受け取りながら、かしこまって応えた。
「決闘ですか?」
すると青年は、「ウェヒヒヒヒヒヒヒ」と笑って、
「何でソウナルネン」
と、微妙にお笑い芸人っぽい口調で言う。京太郎は愛想笑いで応えた。二人以外の全ての人間が、なんだか息を呑んでいるような顔つきでこちらを見守っている。
突然、妙な考えが頭に浮かんでいた。
この、いかにもわざとらしいカタコトでしゃべる、妙な外国人。
――ひょっとすると、自分程度の普通人が彼と話すのは、とてつもなく畏れ多いことなのではないか。
”鉄腕の勇者”と話した時でさえ、こんな風に感じなかったというのに。
「ジャ、こっちへ。……”屋上”へ来たコトは?」
「ないです」
「出入り自由デスので、時々行くとイイ。息抜きになりマスから」
「はあ」
金髪の好青年は、叩けば折れてしまいそうな細い足をサッサと動かし、京太郎を先導する。
例の掃除少女の前を通り過ぎるとき、「お疲れ様」とソロモンが声をかけると、それだけで例の無愛想な少女はすっかり恐縮し、ペコペコと頭を下げた。
まるでそれは、テレビ・スターを目の前にしたファンのようである。
――私とぶつかりかけたときとは大違いだな……。
京太郎は、それまで一度も足を踏み入れようと思わなかった階段を昇っていき、なんでか鍵が閉まっていると思い込んでいた鋼鉄の扉を通って、ビルの屋上に出る。
生暖かい風がびゅうびゅうと吹いていた。
なんてことのない、ちょっと高いところから桜台の街並みを見下ろせるだけの風景だ。目をこらせば、自分の住んでいるアパートも見える。
「まず、いいですか」
「ナンデス?」
「ウェパルは、どうなりましたか」
「彼女はクビになりマシタ」
ソロモンはあっさりと言う。
京太郎は心臓を掴まれたような気がして、
「即解雇って。それ、労働基準法に違反しているのでは」
「言イカタが悪かったデスね。彼女は自主的に退社しマシタ。まあ、半分クビみたいなモンですけど」
「そんな馬鹿な」
明日また会おうと、そう言っていたはずなのに。
「それだけ、――まずいことをしたのですか?」
「エエ、マア。割と弁護のしようもナイやつを」
「そこまで、ですか」
「ハイ。――彼女なりにソウならないよう注意していたツモリでしょうが、場合によっては世界そのものがいっぺんにダメになる可能性のある行為デシタ」
「どうして彼女は、そんな真似を……」
「そりゃマア。自分の正しさを証明するためにナリフリ構わなくなるのは、世の常デショウ?」
「しかし……」
と、何か言いかけて、二の句がつげない。
はっきりいって京太郎には、何かの問題を解決するのに暴力という手段を用いる、その感覚がわからない。ある種のストレス環境下において人がケダモノのようになることは理解できるが、今回の場合はそうでもない。
ウェパルは、――彼女にとって大切な何かを、守ろうとしているようにも見えた。
「ソロモン」
「ん?」
「あなたは、――そしてウェパルは、いったい何者なんですか?」
ずっと思っていたこと。
核心を突く疑問。
これを訊ねた瞬間に、何もかも煙となって消えてしまうかもしれない質問だ。狐に化かされたみたいに。
「あれ? それ、ウェパルから何も聞いてないノデ?」
「はい。彼女は、――あまり多くを語ってくれなかった」
「アー。……ナルホド」
「どんなでも良い。わかりやすい言葉で、教えてもらいたいんです。そうすれば安心できる」
宇宙人でも、未来人でも、超能力者でも、悪魔でも、――神の使い、とかでも。
どんな突飛なワードが飛び出したとしても、京太郎は受け止められる気がした。
対するソロモンは、缶コーヒーをグビリと飲んで、あっさりと応える。
「我々は全員、異世界転移者です」
「え?」
「この会社で働くモノたちは皆、多様な平行世界から集めラレタ異世界の人間なのデスよ。――さっき見かけた、箒を持った女の子も、三人の同僚も。ウェパルも、あとサブナックも。元はミンナ、こことは別の世界の住人なのデス」
「そう、――だったんですか」
「エエ。彼らが集められた理由はソレゾレです。廃棄された世界の生き残りだとか、”造物主”と取引した元英雄だとか。私は、そういうはぐれモノの居場所を作りたかった。それが、”金の盾”なのデス」
「なるほど」
意外なほどにあっけなく答えを与えられて、京太郎は頷く。
「ずっと、この質問の答えを探してきた気がしますが」
「ん?」
「案外、聞かされてみたら『なんだそんなことか』って感じですね」
「……ハハハ」
ソロモンは、少し困ったように笑うだけであった。
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