第35話 良き探索を

『あーっ。……感動してるとこすまんが、先に手続き済ませてもらえんかね』


 しんみりしている三人に、かける声があった。

 はっとして目を向けると、極めて楕円に近い形状の男が一人、駐車場にある管理小屋みたいなところの窓から顔を出している。

 京太郎は一瞬、そういう種族の怪物なのかと怪しんだが、よくよく見ると、ただ太っているだけの人間だった。妙に愛嬌のある、髪を短く刈った目の丸い男で、木皿の上に載った豆菓子とお茶を交互に飲み食いしている。


「あ、……どうも」

『はい、どうもぉ』


 どうやら京太郎たちが出てきた”魔王城”は鋼鉄の柵に囲われており、そう簡単に出入りできないつくりらしい。

 見たところ、ここの出入り口は一つ。

 眼前にある、巨大な正門だけだ。

 管理小屋は正門のすぐ手前に建てられており、そこで”魔王城”の出入りをチェックしているらしい。


「あの、……私は」

『いい。言わなくていい。聞きたくもない。余計な情報は生活を危うくする』


 男は素っ気なく言って、ぐいっと帳面を突き出した。


『今日は”魔女”さまのお使いかね、ステラ』


 ステラは一瞬だけこちらに目配せし、『安心して』と示してから、


『んーん。しばらくこっちに滞在する』

『……三人で?』

『ええ』

『宿の手配は』

『まだ。良いところ知ってる?』

『予算は……聞くまでもないか。”伝説のギャンブラー”の孫だものな』

『できれば、貴族みたいな暮らしがしたいわねー』

『なら、噴水前の通りにある”冒険者の宿”というとこがいい。最高ランクの部屋が二つあって、値段が高すぎるからいつも余ってるって話だ。俺の案内だって言えば一割引いてくれる』

『りょーかい』

『じゃ、ここにサインを』


 ステラは、手慣れた調子でペン先をインクにつけ、何ごとか書き込んだ。

 京太郎がその中身をのぞき込むと、男がうさんくさそうに太い指で遮る。


『悪いが、信用できない者には見せられない』

『大丈夫よペーター、この人なら。”魔女”のお墨付きってとこ』

『”魔女”さまの?』

『わかるでしょ? 《口づけ》を受けてる』

『ほほう?』


――嘘だろステラ? わかるのか?


 ぎょっとして、京太郎は”魔女”にキスされた場所を撫でる。


『別に跡が残ってるとかじゃないわよ。……

「……アッ!」


 京太郎は途端、視線を左右に泳がせた。

 ステラはやれやれと肩をすくめる。


『ったく。やっぱりか。歳考えずに誰とでもするんだから、あのババア』

『……お前、大変だったな』


 ペーターは同情の視線で、しかしほうれい線にはニヤリとしわを寄せながら、


『まあそれなら、あんたも無理難題に苦しまされてる仲間の一人ってことだな』


 京太郎はとりあえず、話題を変えた。


「……それに”魔王城”の出入りを書き込んでいるのかい」

『ええ。本当は色々と手続きがフクザツなんだけど、ペーターがそのへんウマいことしてくれてるってわけ』


 だったらそもそも、何か書き付ける必要なんてあるのか?

 当然の疑問が頭に浮かんだが、訊ねるまでもなくペーターが応えた。


『……これは”魔族”側の出入りをチェックした、裏の帳面ってとこだ』

「つまりあなたは、この街にいる”魔族”をみんな知ってる?」

『そうだな』


 つまり、彼の正体がバレた時点で、この街で紛れて暮らしている”魔族”はあっという間にあぶり出されてしまうわけだ。

 いくらなんでも危険すぎないだろうか。

 京太郎は小声で、


「なあ、ステラ。なんなら彼の正体を隠すような”ルール”を追加しておこうか?」

『大丈夫。ペーターは信頼できるわ』

「しかし……」

『おばあちゃんがこの場所に彼を配置してるのには理由があるの。とにかく安心して』

「そう……か……」


 ステラが太鼓判を押しているのだ。信頼に値するということだろう。


『おう。……あんがとさん。あとはこっちで何とかしとく』

『いつも助かるわ』


 言って、太った男は豆菓子と一緒に、その帳面を口の中に突っ込んだ。


「……っ。おわっ」


 京太郎が目を見張っていると、ペーターはいたずら好きなお年寄りのように笑って、自分の頬を軽く引っ張る。皮膚はゴムのように伸びて、ゼリー状になっている白い部分を露出させた。


「……ひょっとして、”スライム”ってやつか」

『そういうこと。じゃ、またね、ペーター』


 太った男が笛を鳴らすと、鉄が擦れる耳障りな音を立て、正門が開く。

 京太郎は訊ねた。


「彼は”魔族”なんだよな」

『ええ』

「ってことは、彼も《擬態》を?」

『《擬態》とはちょっと違う。……というか、あなた簡単に《擬態》っていうけど、わりと高度な術なのよ?』

「そうなの?」

『うん。みんながみんな、簡単に人間に化けれるなら、あたしたちだって洞窟に引きこもるような真似、してない』

「たしかにな」


 そこで少し考えて、


「ところで、この世界には《千里眼》や《地獄耳》のような魔法が存在しているんだろ。そんな世界で人に紛れて暮らすのは難しいんじゃないか」

『そりゃそうなんだけど。……んー。まあ、そこまで心配しすぎてもしゃーないって感じ? “人族”も、そこまで“魔族”のあぶり出しにガチじゃないのよ』

「うーむ……」


 それでは納得しかねる。

 ヨーロッパでは、わりと近代に至るまで“魔女狩り”と呼ばれる迫害行為が公然と行われていたという。この世界でも、場合によってはそれに近いことが起こりうるのではなかろうか。

 京太郎は少し考えて、念には念を入れ、


【管理情報:その10

 管理者の話や情報は盗み聞きされない。】


 このルールを追加しておくことにした。

 もっと徹底してやっても良かったが、あまりやりすぎると今後の活動に支障が起こる可能性がある。


 聞くところによると、この世界に存在する”勇者”は八名。

 シム曰く、中でも「どうかしている」、……つまり、京太郎が”管理者”だとバレた場合、敵対する可能性が高い者は三人。


 一人。”無敵の勇者”、アキラ・ソードマン。

 二人。”最初の勇者”、ノア・リードマン。

 そして三人目。”贋作の勇者”とされる、名もなき女。


 アキラはその融通の利かない善性から、ノアは読めない行動から、”贋作の勇者”は単純に腐れ外道であるがために……危険らしい。


 しかもその三人、揃って暗殺に特化したマジック・アイテムを所有しているようで、彼らに悪意があった場合、まず狙われるのは京太郎の命だということはほぼ間違いないようだった。


【管理情報:その?

 管理者は死なない。もし死んでも一分後に復活する。】


【管理情報:その?

 管理者の仲間も死なない。もし死んでも一分後に復活する。】


 せめてこのルールさえ実行できれば、……もう少し大胆に動けたのだが。

 残念ながら”不死”は、この世界の”人族”限定の力らしい。


「ウーム……」


 京太郎が唸ると、


『なに難しい顔してるの。なんとかなるって♪』

「……君は前向きだな」

『なぁに言ってるのよ。おばあちゃん言ってたわ。あなたみたいに前向きで脳天気な管理者、いままで見たことないって、ね? シム?』


 突然話を振られて、シムは『へ? あ、え、うーん……』と言ったきり、言葉を濁す。

 そこで鉄門が完全に開いた。


『では、良き探索を』


 ペーターから合図があって、京太郎たちは”探索者の街”への一歩を踏み出した。

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