第36話 文明レベル
”魔王城”正門前は閑散とした雰囲気で、ボロい石畳が広がっているものの人気はなく、京太郎は少し拍子抜けする。
「これが……人間の街なのかい」
『あ、いえ、こ、ここはまだ防壁の中です』
「防壁?」
『ひ、”人族”が第一階層を攻略し終えたとき、そこの”魔族”が最期の攻勢に出たことがありまして。……その時の経験から、一応、”魔王城”の周辺は二重の囲いがあるのです』
「そうか。で、その戦いは……?』
『い、一方的でした。”人族”に被害らしい被害はなく、その戦いで多くの”魔族”が絶滅した、とされています……」
「へえ……」
改めて周囲を見回してみる。
ここで命の蹂躙が行われた、と思うと、なんだか薄ら寒いものを感じた。
「さっさと進もう」
『は、はい……』
そこを少し進むと、明らかに喧騒が近づいてくるのがわかる。
ここまでで見かけたものと同じくらい大きな門をくぐって、深さ十メートルほどの堀に架かった鉄橋を渡ると、いよいよ”探索者の街”が顔を出した。
「ほう?」
まず感心させられたのは、整備された道路でも、道を行き交う活気に満ちた”人族”の姿でもなく、――
「ここ、電線があるじゃないか」
あまりにも見慣れた都会の光景。
青空を背景に、複雑に張り巡らされた電線と電柱であった。
『デンセン……? ああ、”魔導線”のこと?』
「魔導線?」
『ええと、この街のどっかに、すごく大きい魔導施設があって、この辺の建物全部と繋がってるの。魔導線は家のあちこちに接続されていて、街の住人は好きなときに術を行使できるってわけ。街全体を巨大な”マジック・アイテム”として運用してる……っていったらわかりやすい?』
「それで、その”マジック・アイテム”で、何ができるんだい」
『生活用の水を出したり、火を出したり。あとは灯りね。魔導線のお陰でこの辺りは夜でも明るいわ』
「へえ! この電線みたいなの、ガス管と水道の役割も果たしてるのか……」
『まあ、水系の魔法はちょっと使用量高いから、生活用水は井戸から汲んでくるのが普通みたいだけど』
京太郎は、少年のように胸がわくわくしていた。初めて海外旅行に出て、それまで思いもしなかった異文化に触れた気分だ。
「正直、……ここまで発達してるとは思わなかったよ」
『何? 馬鹿にしてたの?』
「ああ。正直見くびってた」
率直に言う。
”亜人”の村の印象から、この世界の文明レベルを読み違えていた。
この世界の文明レベルはほとんど初期の中世ヨーロッパぐらいだと思い込んでいたのだ。
――いや。
京太郎は首を横に振る。
そもそも文明レベルという考え方がすでに上から目線と言えなくもない。
この世界には”魔法”という概念が存在する。また、ほとんど神に近い存在とも接触し、何らかの助言を得ているとも考えられた。
何より、――この世界は、大規模な戦争が禁じられている。
京太郎の故郷とは、発展の順序が全く違っているのだろう。
『い、い、一応言っておきますけど! 生活のレベルは、ぼ、ぼくたちの村だって捨てたものじゃ、ないんですよっ。ぼくたち“亜人”は、”マジック・アイテム”になんか頼らなくたって自力で魔法を使えるからで……』
『こらこら、シムさん? ここでその手の話題は禁止よぉ?』
ステラが怖い顔でシムの首をきゅっと絞める。仲の良い姉弟がじゃれているみたいだった。
『し、失礼、しましたぁ……』
京太郎はそんな二人を微笑ましく思いながら、
「ところで、うんこは?」
数多くある疑問の中から、まずそれを選ぶ。
ステラは完全にストレスでどうにかなってしまった人を見る目で、
『はあ?』
「うんこはどうしてる? 処理は?」
これは京太郎にとって根本的で、しかも重大な問題であった。
――ここ最近、毎朝快便ではある、が……。
いつまでもこのペースが維持できるとは限らない。いずれ、ここで排泄行為をせざるを得ない日が訪れることが予想できた。
小の方はまあ、どうとでもなるだろうが、問題は大きい方である。坂本京太郎はよっぽどのことがないかぎり、基本的にウォシュレット機能がついていない便器を利用しないことにしていた。もちろんそこまで要求するつもりはないが、せめてトイレットペーパーくらいは存在する世界であれ、と思っている。
聞くところによると、かつての人類は木のヘラとか荒縄とかレフトハンドを利用したりして尻を吹いていたというが。
『ええと、……お腹痛いなら、トイレがあるけど』
「トイレ? トイレはあるんだな?」
『うん』
「おまるとかじゃなく?」
『おまるを使うのは……まあ、赤ん坊だけかしらね』
「汚物はどうやって拭き取る?」
『あなた、……女の子相手にぐいぐいいくわね。結構な下ネタよ、これ』
「頼む。教えてくれ、ステラ。大切なことなんだ」
ステラは肩をすくめて、続けた。
『貴族なんかは麻布とか紙を使い捨てるって聞いたけど。……まあ、一般的には水系魔法で洗い流す、とか?』
「だが、マジック・アイテムには使用料が発生するんだろ?」
『うん』
「お金のない人はどうしてる?」
『……ええと、この辺だと、木の蔦とか世界樹の葉っぱを揉んで柔らかくしたものとか。海に近いところは海藻を乾かして使うって話も』
「なんてこった」
京太郎は頭を抱えた。そんなもので尻を拭いたら、間違いなくずたずたに……そして痔になる未来が。
――いっそこの世界では、か○はめ波みたいに手からウンコを発射する、みたいなルールを採用すべきか? ……いや、それはそれで人体に悪影響がある気がする。
「……下水処理は?」
『この街に下水道はないわよ』
さらなる絶望が京太郎に襲いかかった。
中世ヨーロッパのトイレ事情が極めて悲惨なものだった、という話は有名だ。
なんでも、ところ構わず排泄物をぶちまけるのが当たり前で、道を歩いているとアパート二階から降ってきた糞便を被る羽目になることもあった、とか。
「つまり、ここのトイレはくみ取り式なのか」
『そうね。だってしょうがないじゃない。ここの地下には”迷宮”が広がってるんだから』
「そういえば、……そうだったな」
『でも安心して。清潔さを保つことは、“人族”の教義……信仰と言っても良いの。――彼らは一度、不潔で素行が悪いってだけの理由で絶滅しかけてるからね』
そういえば、そういう内容の本を“亜人”の村で読んだ記憶がある。
あれが神話の類ではなく、れっきとした史実であることには……薄々感づいていたが。
『
「ふーん」
大変な仕事をしてる人もいるんだな、と思う。
『なーに他人事みたいに言ってんの。――これからあたしたち、その”政府に雇われた連中”の仲間入りしようってんだよ?』
「は?」
そこで三人は足を止めた。
いかにも旧い、木造の館を前に、京太郎は異世界の文字を読み解く。
「”探索者
『そういうこと。宿を取る前に、――さっさと登録、済ませちゃいましょっか』
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