第34話 陽の光

 世界樹を背に水路の脇の小道をしばらく進むと、明らかに”人族”の痕跡が散見される場所に出た。

 簡単に木で組まれたテントと、本格的なクッキングの跡。『休憩所はみんなのものです。ゴミは残さないよう、綺麗に使いましょう』という張り紙。

 薪の跡は暖かい。先ほどまで人がいた気配がある。どうやら行き違いになったらしい。


『………………………………………』


 その様子を見て、シムは少し複雑そうな顔をした。

 あるいは、残してきた村の仲間を心配しているのかも知れない。

 京太郎は彼の頭をぽんと撫で、


「安心していい。万一、第三階層の”龍”が倒されるようなことがあったら、私に連絡が来るように設定してある」

『な、なるほど』


 シムは気を取り直して、大きく深呼吸した。


『ええと、この先を少し進むと、大きな赤い扉があります。その先に、お城の廊下みたいなところがありますので……』

「よし。じゃあ、そろそろだな」

『は、はい』


 京太郎とシムはそこで”ジテンシャ”を降りる。

 そして、これまで足になってくれた彼にそれぞれ感謝の言葉を述べた後、


「しばらくお休みだ、”ジテンシャ”。透明になって、あとはこちらが声をかけるまで自由にしていてくれ」

『MOOOOOOOO』


 最後にちょっと彼の鼻先を撫でると、”ジテンシャ”はふっと空気に溶けていった。


『う、うわすごい。姉の固有魔法より完璧な《隠密化》だぁ』


 しきりに感心するシム。

 そこで、少し先で待ち受けていたステラが叫んだ。


『さあさあ! ぽやぽやしてる余裕はないんでしょ。行きましょ♪』


 どうやら彼女、時折祖母に頼まれて”探索者の街”にお使いに出ているらしい。

 そのためか、ここまでの道のりは慣れたものだった。


 京太郎、ステラ、シムは三人並んで、上層の扉へと歩いて行く。

 若い娘とどういう世間話を繰り広げるべきか悩む暇もなく、京太郎たちは”迷宮”の出口へとたどり着いた。


「で……でかいな」


 その金属製の重厚な扉は、明らかに人間用に作られたものではなかった。

 背丈で言うと、恐らく5,6メートルくらいの巨人用、といった感じ。扉の外枠には大量の鎖が繋がれていた跡があり、いかに厳重な封印が施されていたかが窺えた。

 扉そのものは、明らかに人間の膂力で開け閉めできるものではない。

 とはいえ、今は扉の中央に大穴が空いており、半ば以上空いた状態になっていた。

 その穴の形には見覚えがある。


「リカ・アームズマンか」

『はい。彼のマジック・アイテムは、物質を問答無用で破壊してしまう力がありますので』

「なんだその、『殴ったら死ぬ』みたいな身も蓋もない能力は」

『じ、実際リカは、単純な戦闘能力では”勇者”たちの中で最も強いとされています』

 

 そこでステラが不満げに口を挟んだ。


『リカが最強? ……はっ、そうじゃないでしょ。どう考えても最強はアキラ・ソードマンでしょうが』

『あ、アキラは、――戦い方にムラがあると聞きます。一番安定して強いのはリカですよ』

『でも、リカの攻撃なんてアキラには当たらないわ。一番怖いのは、最強の矛じゃない。最強の盾ってこと』

『そ、そうでしょう、か……』


 よくわからないが、子供が遊びで話す『スタローンとジャン・クロード・バンダムどっちが強い?』みたいなことだろうか。

 京太郎は、世界遺産になっている神社を歩くような重々しい気持ちで扉をくぐる。

 その先は、明らかにこれまでとは様変わりしていた。少し開けた空間になっていて、暗黒色の大理石の床の上に、ぼろぼろになった絨毯が敷かれている。


「ここは……?」

『”魔王城”です。もともとここに……その……』


 シムは少しステラに目配せして、


『ステラさんの祖父、……”魔王”さまがお住まいになっていたのです。いまでは完全に”人族”に侵略されてしまっていますが』

「立派な建物なのに、誰も住んでないのかい」

『はい。ここは定期的に形が変動するうえ、罠が再配置される魔法がかかっているため”人族”には危険なのです』

「む。ということは、我々も危険なのでは?」

『大丈夫です。罠は”魔女”さまが解除してくれているようなので。――”迷宮”の中でもそうだったでしょう?』

「そういえばそうだったね。……ん? ってことは我々、かなり楽してここまで来てるってこと?」

『は、はい。……練度の低い”人族”では、最初の階層すら手も足も出ないと聞きます』

「そうか……」


 京太郎は少し考え込んで、「と、いうことはあのソフィアのパーティはかなり強い冒険者だったのかもしれない」と思う。

 彼女たちが優秀な冒険者だとするなら、……あそこで知り合ったのが果たして、吉と出るか、凶と出るか。


 煌々と火が点っている燭台の間を歩きながら、京太郎たちは”魔王城”をコツコツと進んでいく。

 革靴で歩くならこういう場所に限るな、とか、その程度のなんでもないことを考え込んでいるうちに、数匹のステレオタイプなデザインの悪魔が彫られた扉に行き当たり、それをそっと押してやると、――瞬間、光が差し込んだ。


――考えてみれば、異世界に来て初めて陽の光を見たな。


 京太郎は空を仰いで、目を細める。

 同時に、「ほお……」と、小さく唸った。


 空が、蒼い。


 ただそれだけの、見慣れた光景ではある。そんなもの、今日、会社に出た時も見かけたばかりだし、わざわざ感心するほどでもないように思える。

 だが、それでも京太郎は、しばし異世界の蒼穹に心奪われていた。

 空気が違うのだろうか。

 太陽のそばにぽっかりと浮かんでいるただの積雲すら、解像度の高い写真のようにくっきり見えて、今にも雲間から、神々しい何かが降臨しようとしているかのようだ。

 視線を横に向けると、……先ほど見えた世界樹が”迷宮”の天井を抜け、空に向けて果てしなく伸びている。


 空気が澄んでいた。

 思い切り息を吸い込むと、身体に活力がみなぎってくるような錯覚に陥る。


『……………うっ。…………く……………』


 その時、傍らのシムの顔が、突然くしゃりと歪んだ。

 瞼から、二筋の水滴が流れている。泣いているようだった。


「おお? なんだ? どうした?」『えっ、えっ、えっ? だ、だいじょぶ? どっか痛い?』


 京太郎とステラ、揃って同じ顔で狼狽する。

 シムはぐしぐしと袖で顔をぬぐって、


『ご、…………ごめ、…………なさ………い。す、すごく久しぶりの太陽だった……から……』


 途端、ステラは気まずい顔を作った。


『ああ、そっか。あなたたち”亜人”は、……元々こっち側の産まれだったっけ』


 京太郎はシムの頭をもしゃりと撫でる。


「取り戻そう。我々で」


 少年は、小さくこくりと頷くのだった。

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