第47話 一ツ目の巨人

「ほへぇー、そんなめんどくさい決まりがあるんでーすかー」

「め、めんどうくさいじゃ済まないわ……」

「そう?」


 ケセラは力なく頷いた。

 彼女の頭には、いつだったか父に聞かされた『人狼村の悲劇』という昔話が浮かんでいる。

 その内容はこうだ。


 あるところに、百人あまりの“人族”が幸せに暮らしている村があった。集落の名はウルク。先祖代々受け継がれた、伝統的な名前だ。

 そんなウルクにある日、一人の”探索者”がやってきて、こう言った。

 「この村に、人間に《擬態》した人狼が潜んでいる」と。

 その根拠は単純で、ウルクとウルフで、名が似ているためだという。

 「そんな馬鹿な」と、村人たちは言ったが、”探索者”は取り合わない。

 結局村は、毎日の話し合いの末、”人狼”と思しき村人を順番に処刑していくことに決まった。

 一日、二日、三日と経ち、一人ずつ村人たちが処刑されていくが、死体を調べても“人族”か“人狼”かの見分けはつかない。

「このままでは村が全滅してしまう」

 お互い疑心暗鬼に囚われる中、とある屈強な村人が、一つの提案をする。

 全ての元凶である”探索者”を暗殺すべきだ、と。

 だが、いち早くそれを察知した”探索者”は素早く村を焼き払い、ウルクを人狼村と決めつけて街に戻り、多額の謝礼を受け取って、その後の人生を幸せに暮らしたという。


 この話のオチにはバリエーションがある。

 ”人狼”の正体は屈強な村人で、そいつだけはまんまと逃げおおせたというもの。

 もう一つは、”人狼”狩りの依頼を出したのは隣村の村長で、ウルクの若い娘に振られた腹いせに、腕は立つが頭の悪い”探索者”を雇った、というものだ。

 いずれにしてもこの物語はこう締めくくられる。「力を持つものがいつも正しいとは限らない」と。


「……か、勘違いでしたごめんなさい、で、済むかしら」

「さあ? でも人間の法律って、ごめんなさいが通じないんでしょ」


 ステラがぼんやりした口調で言う。対するケセラは、今後の身の振り方について深刻に思い悩んでいた。


「でも安心していいかもねー」

「え」

「私の予想じゃこの一件、もっと単純で……」


 山小屋の粗末な扉が叩かれたのは、その時だ。

 扉を開けると、キョータローと、どこかしょぼくれた様子の”サイクロプス”(偽)が立っている。


「ただいま」

「えっ、えっ、えっ……?」


 二人を交互に見つつ、混乱する。

 この一件の結末は、キョータロー、あるいはこの男の死、どちらか一つしかないと思い込んでいたのだ。


「きょ、キョータロー……どうしたの、その人?」

「ちょっと話したらわかってくれた」

「は、話したの……? この人と?」

「うん」


 こともなげに言うが、ケセラにはそれが信じられない。一度始まってしまった闘争が、お互い五体満足のまま理性的な決着を迎えるなど、山の世界では考えられないことだ。


「すごいのね……”探索者”って」


 ケセラがしきりに感心していると、キョータローは少し困ったように鼻の頭を掻いた。


「ちなみに彼、名前はサイモンというらしい」

「……じゃあ、サイモンさんは自首してくれるの?」

「それなんだが、――どうやら、身に覚えがないらしいぞ?」

「はあ……っ?」


 悪党かも知れない相手の言い分を信用するのか、この人は。まるで『人狼村』に出てくる“探索者”のようだ。


 それとも何か、自信があるのだろうか。

 絶対に自分は最終的な判断を間違えない、という自信が。


「驚いた。子供じゃなくて妖精混じりか。どおりであのおっさん、……野人っぽいっつーか、なんつーか……”妖精”が見える人間ってんならそれもわかるな」

「し、死んだ人を、そういう風にいうなんて……っ!」

「おっと、無作法なのは堪忍してくれ。生まれつきろくな教育受けてなくてね」


 サイモンは片膝つき、ケセラたちに目線を合わせる。


「……とにかくまァ、悪ぃことしちまった。あんたの親父さん、俺とおなじ天涯孤独だと思って、勝手に埋めちまったよ」

「……そ、そんな……今更……」

「だが誓って言うぜ。俺ァあんたの親父さんの死にァ関わっちゃいない。なんか食いもんねぇかと思ってぶらぶらしてたら、たまたま親父さんの死体、見っけてな。そのままじゃ可哀想だと思って、手持ちの道具で墓穴掘ってやった。旦那の話を聞く限りじゃ、あんたが俺を見かけたのは、その時だろう」

「…………うう…………」


 ケセラは唸った。

 確かに、この人が嘘を吐いているようには見えない。

 だがそれでも、納得できないという想いが胸の中にある。


「でも、だって……じゃあ父さんはなんで死んだの?」


 訊ねながらも、その根拠を自分の中に探り当て、ケセラは苦い気持ちになった。

 この人が無関係だとするならば。……”サイクロプス”が父を殺したという根拠は、――あの、頭の足りない妹の証言が全てになるではないか。

 ケセラは”サイクロプス”を実際に見たことがない。

 だが妹には、ある・・

 だからそれを信じた。

 しかし……。


「想像するに……”サイクロプス”なんて、最初からどこにもいなかったんじゃないのかな。たぶん君らのお父さんは、何らかの事故に巻き込まれたんだ」

「そんなっ」


 口ではそう言いながらも、あり得ない話ではない、と、内心では諦めが付いている。

 その次にふつふつと湧き上がってきたのは、――実の妹に対する怒りだ。


 ケセラは椅子を蹴るように立ち、ベッドの上でくーくー眠っている妹を引っ張り起こす。


「ちょっと、……バサラ、起きなさいバサラ」

「んー?」

「起きて!」


 鋭く言うと、姉の感情の起伏に詳しい妹はすぐさま目を覚ました。


「なあに?」

「あなた、言ったわよね。父さん殺したのは、”サイクロプス”だって」

「うん」

「違うみたいなんだけど」

「え?」


 妹のあどけない顔が憎らしい。


「父さん、事故に遭って死んだんだって。このおじさん、ただ父さんを埋めてただけなんだって」

「え? え? え?」


 バサラのぼんやりとした表情が、だんだん焦燥に染まっていった。


「ちがう……ぜったいちがうよ? ”サイクロプス”はいるよ?」

「それがあなたの見間違いだって、……もう! いいわ! あなたを信用したのが間違いだった! どうするの、お姉ちゃんこれから、ギルドに行って謝りにいかなきゃなんだよ!? お、お、お、お父さんが死んだときくらい、ちゃんとしてよ!」


 言いながら、自分のみっともなさ情けなさに涙がこぼれそうになる。

 この子にはずっと、こういう思いをさせられてきたのだ。


「街へ出て、父さんの旧い知り合いのとこ行かないのだって、半分の半分くらい、あんたがいるせいなんだから……っ!」


 そこで口を挟んだのは、ステラだった。


「ストップ、ケセラちゃん」


 そして相方をにらみつけ、


「京太郎も、決めつけはよくないわ。バサラちゃんが見間違えたとはかぎらないじゃない」


 キョータローは少し片眉を上げ、「む。それもそうか」と呟く。


「こうなってくると、……ちゃんと真実を確かめた方が良さそうだな」


 そして鞄から取りだしたのは、例の革張りの本だ。


「ねえ、京太郎。いま気付いたことがあるんだけどさ」

「なんだい」

「さっきサイモンが襲ってきたときだけど。――その時、それに何て書いたの?」

「ええと確か、『この付近にサイクロプスがいる場合、私の指笛に呼び寄せられる』……だったかな」


 ステラは立ち上がり、数度、食卓の周りを行ったり来たりした。


「『この付近』って、具体的にどれくらいの距離?」

「正確にはわからんが。私のイメージでは……十キロくらいか?」

「結構広いわね。さっき笛笛を鳴らしてから、何分くらい経ったっけ」

「どうだろう。三、四十分くらいかな? ……む」


 キョータローも、ステラの言わんとすることを察したらしい。


「ああ、かい?」

「うん。わたーし、すごーく嫌な予感がする」

「だが、いくらなんでも……やっぱり事故の可能性も捨てきれないし」


 ケセラには正直、二人が何を話しているかがよくわからない。


「なあ、バサラ。……一応確認したいんだが。君のお父さんを殺したのは、このざんばら髪の男ではない?」

「ちがうよ? ぜんぜん」

「じゃあ、どういうやつだった?」


 バサラは、ベッドの上でぼよんぼよん跳ねながら、


「もっともっと、すごく大きいかいぶつ! この家よりも大きくて、岩みたいな灰色の肌で! ……それで、ぎょろっとした目!」

「やっぱり! ちゃんとわかってるわ、この子。いくらなんでも、ただの人間と、家よりも巨大な怪物を見間違えるわけがない」


 ケセラは困惑していた。

 この子の虚言癖には何度か頭を悩まされたことがある。彼女には妹が真実を話しているのかどうかがわからない。

 だが、二人の”探索者”は真実を見ていた。


「では、“サイクロプス”は実在する?」

「そういうことになるかな」

「そして、昨日二人の親御さんを殺したとすると……」

「当然、まだこの”付近”にいると考えられるわねえ」

「ということは……むう」


 京太郎は唇をへの字にして、


「ところで、”サイクロプス”の速力はどれくらいだろう」

「知らない。……けど私たち、念のため早くここを……」


 次の瞬間。

 ずしん、ずしんと山小屋が震えたかと思うと、ものすごい轟音と共に屋根が引き剥がされた。


「…………………ッ!」


 埃と木くずの雨が一行に降り注ぐ。

 土煙が舞い、その場にいる全員がむせかえった。


 顔を上げる。

 そこに在ったのは、――この世界に住まう人間の悪夢そのものといって良い光景だ。


 ぬう、と、引き剥がされた天井から、巨大な蒼い目がのぞき込む。

 全体のシルエットは、筋肉質で短足の人間、といった感じだろうか。

 だがそこを除けば、人間とは似ても似つかない。

 巨大な蒼い目の下には鼻が無く、ただ、その眼球に負けず劣らず巨大で、いやらしい笑みを浮かべた口が見えた。


「――――――ひっ!」


 その愚鈍な生き物特有の目と目が合った瞬間、一切の話し合いや相互理解は不可能だとわかる。

 我々が、まな板の上の魚に理解を示さないのと同じように、この怪物の目には自分たちがそう・・映っているらしい。

 自分の大切なもの。大切な人。大切な住処。

 それらすべてを踏み潰す怪物。


 父のメモに書かれていた一文を思い出す。

『関わるな。逃げろ。』


――一ツ目の巨人が、そこにいた。

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