第48話 サジタリウスの矢

 転げるように山小屋から飛び出すと、世にも恐ろしい怪物がケセラとバサラの山小屋に手を突っ込み、がさごそと何か探っているのが見えた。


 体長は大男のサイモンを基準にしても、その三倍は大きい。

 岩肌に擬態することもあるというその身体はごつごつした灰色。体毛はほとんどなく、かろうじて股間のみボロ布で隠れている。

 口元から覗く歯並びは矯正されてるみたいに綺麗で、それが逆に不気味だった。


「全員、私の後ろへ!」


 キョータローが叫び、”サイクロプス”の前に立つ。

 少し遅れて、怪物は家を漁る手を止め、何かをぽいっと口に放り入れた。キッチンに干していた、”なぐりキノコ”の拳だ。


――あいつ、あれで力をつけるつもり?


 実際、ケセラは”なぐりキノコ”を加工したことも利用したこともないため、それに効果があるのかはわからない。

 だが心なしか、蒼い血管が浮かぶ”サイクロプス”の両腕が一回り大きくなった、ような。


「ステラッ、――どうだい。あれ、倒せるかい」

「やれるけど、三十秒だけ時間稼げる?」

「一分稼ぐ。一発目は威嚇のためわざと外してくれ」

「……あんたってッ、……。もう! そこまで徹底するなら、褒めて上げるっ」


 だが、キョータローとステラはこれっぽっちも恐れている様子はない。


――これが……”探索者”ってこと?


 単純に、無謀すぎる、と思った。”サイクロプス”の無骨な両腕による衝撃は恐らく、あの、サイモンという男が振るった粗末な石斧の比ではない。


『グルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


 物理的な痛みすら伴う絶叫。一瞬耳を塞ぐのが遅かったら、鼓膜が破られていたのは間違いなかった。


――怖い、……怖い! 助けて、父さん!


「サイモンくん!」

「お、おう!」

「ちびっこ二人を連れて、離れていてくれ」

「しかし、旦那」

「心配しないでいい。急いでくれ。三分以内に終わる」

「さ、さんぷんって……? くっ、了解! また生きて会いましょうや!」


 サイモンが言い終える前に、”サイクロプス”の一撃がキョータローの真正面に突き刺さった。

 その様子を、……もしケセラが日本の教育を受けていれば、こう表現しただろう。

 、と。


『…………ぐ、ぐるぅ……!?』


 怪物の拳は、キョータローが左腕を添えただけで完全に威力を殺されていた。

 こうなってくると、キョータローの身体が異常に頑丈だとか、ものすごい力が強いとか、そういう理屈で納得できる現象ではない。

 キョータローは押し殺した声で、こう言った。


「すぐさま全面的に降伏し、自分のしたことをあらいざらい白状して、そこのお嬢さんがたに赦しを請い、生涯かけて償うことを誓いなさい」


 この緊迫した状況で、何を長々と話しているのだろう。


 のちに聞いた話によると、彼の故郷にある警察組織では相手に攻撃を加えるまでに、四段階の手順が必要なのだという。

 すなわち、”構え”、”予告”、”威嚇発砲”、”人に向けた射撃”だ。

 キョータローはご丁寧なことに、可能なかぎり故郷の風習に従って魔物退治を行うつもりらしい。


『…………ぐう………………があッ!』


 しかし、“サイクロプス”にはキョータローなりの誠意は通じなかった。

 巨人は丸太ん棒よりも太い両腕を振るい、再びキョータローを叩き潰そうとする。

 だが結果は同じだった。キョータローに手痛い一撃が加えられるその瞬間、時が止まったみたいにその両腕の勢いは消えてしまう。


 小声でサイモンが、「今のうちだぜ、嬢ちゃん」といい、左腕にケセラを、右腕にバサラを抱えて立ち上がる。

 されるがまま、それでも目はキョータローの姿を追わずにはいられなかった。

 その後、”サイクロプス”は蛮声を上げ、気に入らない玩具を虐める子供のように、幾度となく拳を叩き付ける。

 周囲の木々は倒れ、ケセラとバサラの家はめちゃくちゃにたたき壊され、落ち葉が舞い、大地が揺れる。

それでも、たった一人のくたびれた男を傷つけることはできない。


「……す、すごい……」

「ああ、……ハンパねえぞ、あの旦那……!」


 サイモンですら一目散にその場を去ることはせず、ちょっと遠巻きにそれを見守っている。

 その時だ。

 一瞬、空が暗くなったかと思うと、――青空を一閃、流れ星のようなものが降り注いだ。

 同時に、ケセラには耳慣れぬ音が辺りに鳴り響く。火薬の破裂したような音だ。

 ”サイクロプス”の悲鳴が上がる。


『――○○○○ッ! ○○○○○○○○!』


 例の母国語でステラが叫んだ。言葉の意味はわからなくとも、「次は当てる」という警告だということはなんとなくわかる。


「ひゃあ! あの嬢ちゃんもすごい! 聞いたことあるぞ……確か、お星様に干渉する魔法ってやつじゃねーか!」


 だが、ステラの警告はほとんど意味をなしていないらしい。むしろ怪物の暴力性が増しただけに思える。それまで、うまく”サイクロプス”の攻撃を躱していたキョータローも、ついにその両腕に捕まることになった。


「やべえ! 旦那ァ! 負けんな!」

「キョータロー!」

「ひよわおじさん!」


 ケセラたちの悲鳴も空しく、――キョータローは”サイクロプス”の口の中に吸い込まれてしまう。

 頭から、丸呑みだった。

 ケセラは気を失わんばかりに両手を口に当て、震える歯を抑える。

 その時。


「もう時間稼ぎはじゅーぶん! ――叩きつけろ! 《サジタリウスの矢》!」


 ステラの絶叫が遠く、耳に聞こえた。

 そして、――空に、金色の線がいくつも見えて。


「――きれい」


 ケセラは、生涯忘れることはないであろうその光景を見る。

 先ほど見た隕石の矢が、――今度は雨となって”サイクロプス”周辺に降り注いだのだ。


『ぐがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!』


 断末魔の音が周囲を震わせる。

 同時に、”サイクロプス”の全身が粉々になって破壊されていった。

 あれほど恐ろしかった怪物が、……もはや見る影も無く、ボロぞうきんのようになってしまう。


 すぐさまサイモンの腕から逃れ、ケセラは駆けた。


「キョータロー、キョータロー、キョータロー!」


 三度呼ぶと、”サイクロプス”のずたぼろになった腹の肉を蹴り飛ばし、その男が現れる。

 今朝会ったばかりばかりだというのに、あれだけ酷い第一印象だったというのに、いまでは、……キョータローが無傷でいるのが、しごく当然のことのように思えた。

 もはや彼女には、この男が誰かに傷つけられるイメージが湧かないでいる。


「くそったれ、酷い目にあったよ。スーツをクリーニングに出さなければ」


 彼はそんな、どうでも良いようなことを言って、新しくできた小さな友だちに笑いかけた。

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