第49話 妖精が二ツ
”サイクロプス”を倒した後、ケセラとバサラは、改めて父の墓を作ることにした。
父の宝物だった壊れかけのカンテラに、母の贈り物だという花を乾燥させたものを添えて。
剥がされた屋根の板を簡単に組み合わせて建てたそれは、ずいぶんと簡素な作りであったが、それが父らしいと言えないこともない。
父の墓を前にして、ふと、ケセラは口を開く。
「父さんは、――なんで逃げなかったのかな」
「え?」
「だって、遺品のメモには『逃げろ』って書いてあったのに」
京太郎は少し考え込んで、
「それはきっと、君ら向けのメッセージだったんじゃないかな」
「……どういうこと?」
「お父さんは、君らには逃げて欲しかった。……けど、自分が見かけた場合は……そうじゃなかった、とか」
「へ?」
「君らのお父さんはきっと、”サイクロプス”を狩ろうとしていたんだ」
「そんなっ。ありえないわ」
ケセラは眉間にしわを寄せた。
「あの魔物は、”探索者”数人がかりでやっと倒せるっていう手合いなのよ」
「別に、真っ向勝負を挑んだわけじゃない。それこそ、罠を使ったとか」
「それは……あり得ない話ではないけれど……」
なぜ、そんな危険な橋を。
そう言いかけて、その理由は聞くまでもなく明白だとわかる。
いつ死ぬかも分からない、こんな稼業。――父がこの仕事を娘に継がせたくないことなど、最初からわかりきっていた。
あるいは父は、この仕事で得た財を元手に、街へ降りようとしていたのかもしれない。
「そもそも、あの”サイクロプス”はひどく動きが鈍かった。あれはきっと手負いだったからじゃないかな。じゃなければ、運動不足の私を仕留めるためにあそこまで手間取るとは思えない」
「そう……なの?」
キョータローは頷く。
その口調はどこか、何か確固とした証拠があるかのよう。
例えば、……そう。あの”サイクロプス”本人の口から聞いた、とか。
まあ、”魔物”の言語を理解する人なんてこの世に何人もいないと言うし、それはないだろうけど。
キョータローはケセラに、人間の両手を合わせたほどもある、蒼い、楕円形の宝石のようなものを手渡した。
「だから、――これはお父さんのぶん」
「なにこれ?」
「ええと、……」
キョータローは例の革張りの本を参照し、
「”サイクロプス”の眼の中にある、人間でいうと水晶体にあたる部分だそうだ」
「うげ」
ハーフリングの少女は一瞬、それを取り落としそうになる。言われてみればちょっとブヨブヨしているような。
「これ、街で売ればちょっとした資産になるらしいよ。よくわからんが、破壊光線を発射する”マジック・アイテム”の素材になるとかで」
「……いいの?」
「うん。新生活の足しにしてくれ」
ケセラはうつむき、苦い顔のまま、その不思議な蒼の輝きを見た。とてもではないが、あの不気味な生き物の身体から取り出されたとは思えない。
キョータローはそこで話を切って、
「ナンマンダブナンマンダブ」
両の手を合わせて頭を下げる、不思議な弔い方をする。
「まあ、これで一件落着だな」
「うん」
「しかし、君らはこれからどうする? 家も壊れてしまったし。……あ、もしなんなら、魔法で建て直してあげたって構わないが」
「えっ。……キョータローって、まだ他に”マジック・アイテム”を持ってるの?」
やっぱりこの人、よくわからない。
”マジック・アイテム”にも種類が色々あるが、大まかに分けて使い捨てのものとそうでないものがある。
前者は単純に安物で、一般にも出回っているもの。
後者はとてつもなく高価で、ものによってはそれ一つで一生喰うに困らないようなもの。
この二人はすでに、今日一日で六種類もの魔法を使っていた。
まず、空中浮遊が可能になる巻物と、それを生み出すのに使った本型の”マジック・アイテム”(これを利用すれば、”サイクロプス”を引きつける術も使えるらしい?)。
それと、滾々とお茶が湧き出る不思議な透明の水筒。
サイモンの傷を癒やしたとされる形状不明の”マジック・アイテム”。
あと、キョータローの身体を保護するのに使ったはずの”マジック・アイテム”(ケセラは、キョータローが着ている奇抜な服装に仕掛けがあると見ている)と、ステラがお星様を降らせるのに使った”マジック・アイテム”。
消耗品でないタイプの魔法は通常、有名な”探索者”パーティであっても一つ持っていれば上等、というレベルの貴重品だ。
”国民保護隊”は同時に三種類以上の貴重な”マジック・アイテム”を携帯するというが、そうでない一介の”探索者”が六種類も持っているというのは異例だった。
キョータローとステラは、例の二人だけで通じ合うこしょこしょ話(考えてみれば、これも何かの魔法かもしれない)をして、
「……いや、さすがに品切れだよ。……直すというのはその……普通に、街で大工さんでも雇おうか、って程度の意味だ」
「さすがに、そこまでしてもらうわけには」
「だ、だよねえ? ハハハ……」
「あなたって、つくづくお人好しなのね」
「しかしまあ、私がもう少ししっかりしていれば、家が壊されるようなこともなかったし」
「いいの。今回のことで、私もふんぎりがついたから」
「どういう意味だい」
「本当いうと、……父さんはきっと――、私たちに稼業を継いでもらいたくなかったんだと思う」
キョータローは少し目を伏せる。
「そうなのかい?」
「うん。だって私たちがしてるのって、すごく危険な仕事でしょう? ……でも、私たちが街でやっていけるかどうかも、同じくらい不安だったの」
ケセラは、少し不安げに双子の妹の手を握る。バサラは話の半分も頭に入ってないオトボケ顔で、父の墓にとまっている蝶を目で追っていた。
「だから、せめて慣れてるところの方が良いんじゃないかなって、そう思ってたんだけど。……やっぱりダメね。落ち着いて考えてみれば、無謀にもほどがある」
そもそも、”ハーフリング”の姉妹でこのまま仕事を続けても、足下を見られるに決まってる。”魔物狩り”はやくざな商売だったから、父の気難しい性格がぴったり当てはまっていたのだ。
「じゃあ、どうする?」
「大人しく奉公に出るわ」
「あてはあるのかい」
「うん。……結構イイトコよ。あなた、驚くかも」
「ふむ」
ケセラは、ほっぺたを少し掻いて、
「”アームズマン”家。――といってもまあ、本邸じゃなくて婿養子だとかなんとか言う人の屋敷だけど」
「アームズマンというとあの、”勇者”の一族の?」
「うん。父が昔、特別な”マジック・アイテム”の素材を卸したことがあって、その時の旧い繋がりがずっと続いてて。今は”国民保護隊”のおえらいさんだっていう人と取引があるの。もし万一のことがあったら、その人に頼れって」
「そうか」
キョータローは少し考え込んで、
「では、また会うことがあるかもしれないね」
「うん。……妹がへまして、首にならなきゃ、だけど」
すると、呼ばれたことに気付いたバサラは「えへへ」と何故か照れた。
「ところで、偽”サイクロプス”の……サイモンはどーすんの?」
そこで、墓を手直しをしてくれていたサイモンが顔を上げる。
「まだちょいと危ないけど、街に戻ってみる」
「でも、脱走奴隷なんでしょ、あなた」
「それが悩みどころだナ。目が治って人相が変わったが、俺の白さは街中で目立つからなァ」
「じゃ、ここにとどまる?」
「いぃや、それはやめとくよ」
「なんで?」
「そりゃ、山ごもりよりオモレェもの見つけたからサ」
サイモンは、唇を斜めにしてキョータローとステラを見た。
「俺、”探索者”になるよ」
「……へえ?」
「”探索者”ってのはあれだろ? 旦那みたいな強ぇやつがいっぱいいるんだろ」
「私はべつに強くないぞ」
「その謙遜は嫌味だぜ、旦那。俺ァ、人間の限界を勝手に決めつけちまってたみたいだ。……人生で一度で良いから、あんな怪物と真っ向から立ち会いてえ。実力じゃ追っつかなくても、そういうクソ度胸が欲しいんだ」
「あっそう」
キョータローはあんまり興味なさそうに、
「好きにしたらいいんでない?」
といった。
▼
その後、キョータローとステラ、サイモンと別れたケセラとバサラは、山小屋を探って、まだ使えそうなものを引っ張りだし、大きめのリュックサックに詰め込んでいく。
作業は夕方までかかった。できれば暗くなるまでにはアル・アームズマンの屋敷に向かいたい。
「あったあ! あったよおねーちゃん!」
がらくたの中からバサラが見つけ出したのは、あの空中浮遊の巻物である。
去り際もキョータローは何も言わなかったので、やはりこれは自分たちのもの、ということにして良いのだろう。
「良かった。まだ使えそうね」
「らっきぃだね」
これで、日が沈むまでには街へ着けるだろう。
そこでふと、ケセラは呟くように言った。
「ねえ、バサラ。すこし思ったんだけど」
「なあに?」
「この巻物、街で売っちゃおうか」
「へ?」
「そのお金を元手に二人でパン屋さんを始めてみるの。……どう?」
すると、バサラはにこりともせず、
「ばかじゃない。むりだよ」
と、言い放った。
「なんで? 毎日パン食べ放題って、夢だったじゃない」
「それって、こどものころでしょ? わたしたち、もう十七でしょ? いい大人だよ?」
「それは……」
「それに、そのまきものって、
「……それは」
ケセラは、キョータローならこの巻物を生活費の足しにしても、きっと何も言わないであろうと説得しかけたが、
「そうね。売っちゃダメなやつだった、これ」
「でしょ?」
バサラはそこで、必要なものを全部集め終えたらしく、自分の身の丈ほどもあるリュックサックを背負った。
「じゃ、いきましょ、おねえちゃん」
「……そうね」
そして、巻物を広げる。
キョータローの説明によると、唱える呪文はなんでもよく、ただ「それっぽい」感じだったらいい、とのこと。
ケセラが試しに、
「――ふわふわジャンプ!」
と叫ぶと、双子たちの足下がふわりと浮かんだ。
「お、お…………や、やっぱり怖いわ、この魔法っ」
「だいじょうぶだよ」
妹が姉の手を取り、そっと空へと導いてくれている。
「それに……本当に、アルっていう人、私たちを受け入れてくれるかしら」
「だいじょぶだいじょぶ」
「もうっ、バサラはいつだって、根拠無くそういうんだから」
「ぜったいだいじょぶ。……だって父さん、いつもケセラに、笑っていってたじゃん。『
その瞬間だった。
不覚にも、バサラの言葉が父の言葉と重なって、少しだけ、ほんの少しだけケセラの涙腺を刺激したのは。
父を悼んで泣いたのは、その時が初めてで。
内心ちょっとだけ、「してやられた」と思う。
妹が感情的な分、自分は人よりもずっと理性的であろうと誓っていたから。
オレンジ色に染まる空を、二人の”ハーフリング”が飛ぶ。
その様子はまるで、妖精が二ツ、戯れているかのようであった。
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