エピローグ

特別篇 あとがき

 私が坂本京太郎くんと知り合うきっかけになったのは、とある知人の紹介がきっかけだった。


――どうも、友人がいかれちまったみたいなんです。


 というのがその男、――廻谷浩介くんの最初のLINEメッセージ。

 彼とは、とある出版社のパーティで知り合ってから懇意にしている本読み仲間である。


――いかれた、というのは?

――そいつ、なんか異世界に出入りしている、みたいなことを言うんですよ。

――異世界?

――ええ。

――ふうん。面白そうだ。ひょっとすると小説の材料になるかもしれないな。


 最初はただそれだけのやりとり。

 だが、その一週間後に廻谷くんと会った時、どうも問題はかなり根が深かったと知らされる。

 それまでは彼も、その友人がちょっとおかしくなっただけだと思い込んでいたようだが、――どうもよくよく話したところ、ただの妄想ではないのではないかと思えるようになったという。


「これ、見て下さい」


 そういって彼が差し出したのは、三葉の写真だった。


 そのうち一葉は、碁盤目のような街を、少し小高い丘から映し出したもの。

 私にはそれが、スペインのバルセロナを撮影したもののように見えたが、どうも違う。

 不思議なのはその写真の光源であった。どうも一方向から光が当たっている感じがしないのである。まるで巨大な都市を丸々スタジオの中に突っ込んで、巨大な電灯で街を照らしながら撮影したみたいな風景だった。


 もう一葉は、――ずいぶん可愛らしい小屋である。蒼いペンキを塗った背の高い円柱を四つほど並べたような形をしていて、それぞれ赤、黄、緑、白色の三角屋根の帽子を被っている。そのすぐそばには、不思議の国のアリスに登場するようなキノコのテーブルがあって、ティーセットが一式、並んでいた。


 最後の一葉はずいぶんとピントがずれた写真で、思わず「デカけりゃいいってものじゃない」と呟きたくなるくらい乳のデカい白人娘が、何かの誤りで自分を写真に収めたものだ。


 あとあと確認したところ、一葉目は”迷宮都市”を、二葉目は”魔女”の小屋を、三葉目は、ルーネ・アーキテクトと呼ばれる娘を映したものらしい。

 とはいえその時の私には、それが特別不思議なものには思えず、


「なんです、これ」

「やつがいうには、これは異世界で撮影した写真みたいなんです」

「ふーん」


 よくわからない。

 だが、この程度の写真であれば、海外旅行すればいくらでも撮れる、と思った。


「どうでしょう?」

「どう、とは?」

「以前話したとおり、小説の材料になるかもしれないと思いまして」

「え」


 さすがにその時は、きょとんとしたものだ。

 確かに以前、そのようなことは話した。だが半分冗談のようなもので、私はそもそも、人からもらった材料を使うタイプの物書きではない。だいたいそれでは事実との照合が大変で、思ったように話が作れないではないか。


「実を言うと、写真を撮った男はこの近くに住んでるんです。今日は土曜なので、呼べばすぐに来るかな、と」

「はあ」

「それで、できればあなたにも見極めて欲しいんです。……奴の話が、丸ごとデタラメなのか……何かの真実に基づいた物語なのか」

「へえ」


 どうも廻谷くんは、とある事実を受け入れるのを恐れているようだった。


 自分の住んでいる世界が、――自分が思っていたのとはまったく違うという事実を。


 その気持ちは良くわかる。

 私もそれを認めるのに、ずいぶんと時間が掛かったものだから。



 噂の男は、それから間もなくして現れた。

 坂本京太郎くんは、ずいぶんとすっきりした身なりの青年で、ぱっと見では三十代にはとても思えぬ、若々しい印象の男である。

 仕事帰りだという彼のスーツはよく使い込まれているが手入れが行き届いていて、どことなく潮の香りがした。

 彼曰く、――それは最近、ずっと海の上で仕事をしているから、とのこと。

 少なくとも私には彼が、狂人には見えなかった。


「あ、どうも」

「どうも……」


 それがお互いの第一声。

 私たちはおざなりな挨拶をして、頼んだ珈琲を待つ。


「君、異世界に出入りしてるんだってね」


 私はまず、そういう風に訊ねたと思う。

 京太郎くんは、廻谷くんからどういう話を聞かされたのか、


「ええ、まあ」


 と、気まずそうに応えた。


「しかも、流行の”なろう系”? というのかな。そういうタイプのやつだ」

「ええ。どうもあの世界の”造物主”は、その手のネット文化にどっぷり嵌まった俗物のご様子で」


 こういう時、他人を頭から変人扱いするような行為を、私は最も憎んでいる。

 彼の中に異世界が存在し、その世界で生きているのなら、それは事実としてその場所が存在するとしても良いのではないか。その時の私はそう思った。

 だからこそ、彼の話をよくよく注意して聞くことに決めたのである。


「では、――どうしてその世界に行き来するようになったのか、……最初から話してもらってもいいかな」


 そうして彼は、語り始めた。

 彼が『ルールブック』片手に行った、異世界救世紀行のあらましを。



 京太郎くんとの会合は、それからおよそ六時間ほどかかった。

 廻谷くんが前に聞いたときはそれほど掛からなかったというが、私は細かいところをあれこれ気にするたちなので、ついつい話が長くなってしまったのである。

 話の途中で「仕事がある」といって廻谷くんは離席してしまったが、私は熱心に京太郎くんの話に聞き入っていた。彼が語る話に、すっかり引き込まれていたのだ。


「――と言うわけでいま、私の船はバルニバービまでの航海中なのです」

「……………………………」


 ある程度の知的水準に達した人間であれば当然理解できることとして、――この話が全て事実であることはほとんど疑いようがなかった。

 話を終えた京太郎くんは、私の慧眼に感心し、こう言ったものだ。


「正直言って私、――今の話を信じてもらえるなんて思ってなかったんです」


 私は応えた。


「馬鹿言っちゃいけない。もののわかった人間なら、誰だって信じるはずですよ」


 そこで私は、彼の話が”魔女”の家に到達した辺りからずっと切り出そうと思っていた提案を行う。


「その一件、どうでしょう。――ひとつ私の手で、伝記小説としてインターネットにアップロードしたいのですが」

「伝記小説?」

「ええ。……せっかくそこまで不思議な体験をなさってるんだから、何らかの形で世に出すべきかと思うのです」


 京太郎くんが目を丸くする。

 そしてしばらく「ウムム」と考え込んで、気が進まない様子。

 どうも彼は自分が公の存在になることを過剰に恐れるフシがあるらしい。


「じゃ、こういうのはどうでしょう。……小説は、あくまで私個人の創作物として書く。あなたは時々、私が疑問に思ったところを補完してくれればいい」

「しかし、それでは」

「何らかの形で世に出すということが大事なのです」


 その言葉がきっかけで、私は彼を口説き落とすことができた。



 以上が、私がこの小説を書くきっかけとなった出来事の全てである。


 とはいえこの物語は、京太郎くんが話す異世界での出来事を私なりに改変・脚色を行っている。

 もし事実と異なる描写が本文中に含まれているとしても、それは完全に私の責任であって、坂本京太郎くんにはまったく責任がないことを、ここに明記しておく。


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