第140話 沼地で生まれた者

 サイモンが施設の通用門を開けると、残されたソフィアたちは三人揃って妙な格好をしていた。


「あんたら、――仮装パーティにでもいくつもりかい?」


 彼らは皆、ガラス瓶の底を思わせる、妙な丸眼鏡をかけていたのである。


「いえ。呪術対策です。あなたも必要であれば、どうぞ」


 訳がわからないまま、サイモンはそれを受け取る。

 試しにかけてみると、――まるで世界中に霞が掛かったみたいにぼやけてみえた。


「なんだこれ。よく見えないぞ」

「それが狙いです」

「?」

「視覚を通すタイプの呪いは多くの場合、特殊な紋様を視界内に治めることで発動しますの。――ですから、あえてこちらがわで視力を下げて、紋様を認識しないようにすれば……」

「術を受ける心配がなくなる?」

「ええ。呪術は発動してしまえば凶悪な力を発揮しますが、即効性に欠け、種さえわかれば回避することはたやすい、という共通点があるのです」


 そこで、どうやら待ち時間、ずっとそれに目を通していたらしいラットマンが、『ルールブック』片手に口を挟んだ。


「――とはいえ、例外もあるようでござるな。サカモト殿が使ってるこの本も、一種の呪術的な”マジック・アイテム”かと思われるが……これの場合は即効性が高く、また回避の方法もわからぬ。まこと興味深い」

「へえ」


 呪い、か。


――あの旦那が? とても信じられねえな。


 バルニバービにあるサイモンの一族は、代々呪術師である。

 彼には母と父と兄、そして姉と妹がいるが、どいつもこいつもみんな、ゲロ以下の腐った連中ばかりだ。

 呪術師のやり口はいつも陰湿で、うじうじしていて、――まったく性に合わない。


「思うんだが。旦那は、呪術師とは違うんじゃねえかい」

「私もそう思います。呪術師はその訓練の過程において、同志を除く全てに対する共感力を喪失すると聞きますから。実際、私がこれまで会ったことがある呪術師はほとんど全員、身勝手な糞野郎ばかりでした。――沼地出身のあなたには耳が痛い話かも知れませんが」

「いーや、あんたが言ってることはただしい。奴らの訓練はまず、子猫の虐待を笑って見守るところから始まるんだ」

「……………………」


 グリグリ眼鏡越しに、ソフィアの美しい顔が不愉快そうに歪んだ。猫派なのかも知れない。


「……まあ、いいでしょう。京太郎は?」

「ロトを始末した後、一人で中に潜っていったよ。自分はもう手遅れだから、あとは任せた、とかなんとか。――ちなみにあんたが言ってた呪術の紋様は、建物全体に張り巡らされていた」


 するとソフィアは、ちょっと意外そうに片眉を上げた。


「また、気の遠くなるような真似を、……。――とはいえここは、太古の呪術を利用した防衛機構を働かせていると聞きます。加護を受けた死霊が、ほぼ無尽蔵にあるリソースを利用したと考えれば、ありえなくもない」

「でも、このしょぼい眼鏡一つで無効化できるって言うんだろ。……なあ、ソフィアさん。最初からこれを旦那に貸し出してりゃあ……」

「もし彼が、耳栓鼻栓ぐりぐり眼鏡が呪術対策の三点セットだと知っていれば、そうしていたかもしれません」

「無知は悪いことじゃねえ。――知ろうとしないのが悪になることはあるけどな」


 サイモンは内心、少し腹を立てている。

 覚悟を見てみたいからって、知恵を貸さない理由にはならないじゃないか。


「言っておくが、あの人のいいとこは、世間知らずなところも含まれてるんだぜ」


 とはいえ、自分でも何故あの貴族の次男坊(推定)にここまで肩入れしているのかは良くわかっていない。

 だが、何となくあの男は、サイモンにとって”護るべき存在”のように思えた。

 そうでもしなければ、あっという間に落ちぶれて、悲惨な末路を辿ってしまいそうだから。

 京太郎と接していると、時々サイモンの脳裏によぎる光景がある。

 故郷で仲が良かった仔犬と過ごした日々のことだ。その仔犬は結局、”理想的な呪術師”である兄の手によって、沼の底に沈められてしまったが……。


「では、そろそろ行きましょうか」

「……ああ」


 呟き、少々間の抜けた眼鏡をかけた四人組が、”魔導施設”へと足を踏み入れた。

 施設内はかなり入り組んだ形をしていて、初見の京太郎たちはずいぶん迷ったものだが、ソフィアはまるでこの手の迷路には慣れっことばかりにつかつかと先へ進んでいく。

 ぼやけた視界の中、公認”探索者”たちの足並みが当然のように揃っているのを見て、思わず訊ねた。


「――あんたら、ここに来たことあるのかい」

「ありませんよ? 施設の内部構造は国家機密とされていますし」

「だったら……」

「まあ――”迷宮”探索をしていると、なんとなーくわかってくるようになるんですよ。”ここには侵入されたくない”っていう設計者アーキテクトの考えが」

「へえ……」


 サイモンは感心する。

 これが、場数を踏んだ”探索者”のやり方か。

 同時に、胸がわくわくしていた。


――絶対俺も、いずれこいつらと肩を並べて歩けるようになってやる。


 そして、そこに至るために、共に成長していきたい男がいる。


――すぐに助けてやるからな、旦那。


 サイモンのガントレットが、静かに輝きを放っていたのは、その瞬間である。

 とはいえ、その原因が何か、誰も気付くことなく、光はすぐに消失してしまったが。


「ここで一つ、沼地出身のサイモンに質問があります」


 ソフィアは人差し指を立てて、先生のように言う。


「……なんだい?」

「ステラさんと京太郎にかけられた呪術を解く場合、――何が一番手っ取り早いでしょう?」

「そりゃ簡単さ。実際にやったこともある」

「ほほう」

「術士をコテンパンにぶちのめして、無理矢理に術を解かせるんだ」

「ふふ」


 ソフィアは笑って、


「まあ、正解としましょう。……でも、”実際にやったことがある”というのは穏やかでないですね」

「ちょっと家庭の事情でね」


 サイモンは気まずく、視線を泳がせる。

 仔犬の復讐を果たしたときのことを思い出したのだ。


 バルニバービの沼地出身の者は、――決して友だちを裏切らない。決して。


「急ごう。旦那には、まだまだ借りを返しきっていないんだから」

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