第139話 暴力

 やってしまった!

 と思った時にはもう遅い。だがまあ、信念を持つということと、頭が固くなるというのは二律背反するものではある。

 今回の坂本京太郎は、頭を柔らかくする方を選んだ。


――まあ、一度くらい……いいか。


 すでに彼の右腕は、ロトの胸を深々と貫いていた。

 その手に嵌められている”命の指輪”の本質は、「活力の増大」。

 これまで京太郎がずっと忌避し続けてきた膂力の増強をもたらす。

 正直、ジョニーが話していた通り、”機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ”のやり口には疑問点があった。奴にもたらされた力は、あまり使いたくなかったが、――


『う…………グ……無念』


 ぶしゅう、と、貫いた箇所から魂魄が漏れ出る。

 同時に京太郎は叫んだ。

 間違って落としたPSPを一生懸命再起動した時のように。


「――な、治れ!」


 瞬間、意外にも京太郎の術が発動した。ロトの胸がみるみる塞がっていくのだ。

 どうやら、死霊の騎士にも、


【管理情報:その6

 管理人が『治れ』と言いながら手を添えた場合、その箇所の傷は全快する。

 補遺:その箇所の傷だけでなく全身の怪我が回復し、体内の不調、精神的なストレスなども取り除く。】

 

 以前追加したこのルールは有効らしい。


 だが、術がちゃんと働くためには問題点が一つ。

 まだ京太郎の腕がハマったままであるということ。

 ”傷を治す”・”無敵”という二つの矛盾したルールがぶつかりあって、京太郎の腕を微妙に締め付けた。


「うわ、いたたたたた……ちょ、なんだこれ、痛い!」

「だ、旦那、大丈夫ですかい!?」

「こ、この!」


 京太郎は力任せに腕を引き抜く。すると、


『……無念』


 穴の空いたロトの胸から、再びしゅるしゅるしゅると魂魄が漏れ出た。


「うわ、いかん!」


 京太郎は慌てて彼の胸の傷を直そうとする。

 それがいけなかった。”命の指輪”によって強化された彼の手は、もの凄い速度でロトの胸元を突き飛ばす。


 ドゴォ!


 気功の達人がちょっと触れただけで相手を吹き飛ばしていくという、うさんくさい動画を観たことがある。絵面的には完全にそれと同じだった。

 ロトは壁と天井の一部を突き破り、大空の向こうへ吹き飛んでばらばらとなってしまう。


「あー……あーっ……」


 京太郎は頭を抱えた。

 やっぱりこうなってしまったか。

 強い力は、やはり制御が難しい。


 サイモンは少しの間、目を丸くして、


「旦那、……あんた人が悪いね。――そんなに強いなら、なんで弱っちいふりなんてするんだ」


 眉間を揉む。

 彼がシムなら、愚痴の一つも言っていたところだが……。


「まだ安心するには早い。”見るなのタブー”の問題がある」

「……ん。そりゃあ、いまぶっ飛ばした野郎のことでは?」

「そうだと思って、私、ずっと壁とか地面ばかりみていたんだ。――だが、そうでもなかったらしい」


 京太郎は、自身の肌の表面を見る。

 そこには、点々と白い粒があった。

 すでに塩化が始まっているのだ。


「旦那、そりゃあ……!」

「君の肌は白いからわかりにくいが、平気そうだな。こりゃああれだ。たぶん君は、真っ向からロトを見据えていたからだ。――見ちゃ行けないのはロトじゃない。だった」

「マジすか」

「だが、塩化はステラの時に比べてかなり遅い。どうやら本命は、この先にまだいるようだな。私はこのまま探索を続けるから、君はソフィアたちのところにもどって、このことを教えてやってくれ。私の対処はあとでいい」

「そんな……」

「頼む。――それに、こういうところを見せておけば、あんがい彼女も少しは頼りに思ってくれるかもしれないしね」


 サイモンは、その血色の悪い頬をぽりぽりと掻く。


「俺が見たとこ、そんな心配しなくても、あの人はあんたに着いてくつもりみたいだけどな。――たぶんあの人は、あんたにわかりやすい手柄を立てさせて、――」


 仲間を説得する材料にしたかった……と。

 果たしてそうだろうか。

 ソフィアの想いなどわからない。当然だ。そもそもこの世界で生まれ育った人間など、どいつもこいつも異星人みたいなものだ。根本的に、死生観と倫理意識が違う。


「なんでもいい。指示は伝えた。行ってくれ」

「しかし、あんた、――」

「はやく」


 その後に続く言葉を言わせるわけには行かなかった。


――怖くないのかい?


 怖いに決まってる。

 自分の身体がじわじわと塩に変わっていくハメになるなんて、朝起きたときはこれっぽっちも思っていなかった。ゆで卵を食べるとき便利だな、と、冗談交じりに想う。


「……………………」


 サイモンはそれ以上なにも言わず、素早く踵を返した。

 一人残された京太郎は、ぽろぽろと白い粉を床に落としながら、ゆっくりと先に進む。


 この建物は、遠目に小さいように見えて案外複雑な作りになっていた。

 特に、ロトが護っていた通路の奥。――そこは、広大な地下空間に繋がっているらしい。

 京太郎は、近場の机にあった”業務日報”のようなものを斜め読みにしながら、なだらかなスロープになっている廊下を降りていく。

 どうやらここは”魔物”たちを連れて地下へ向かうための通路らしい。”水牛”のものと思われる蹄の跡が、点々と奥に続いている。

 その地下空間は、当然のように光の魔法であちこちが白く照らされていて、むしろ京太郎にとっては見慣れた、近代的な雰囲気ですらあった。

 こつ、こつと音を立て、石畳の上を進む。

 道中、死霊の騎士が三基ほど襲ってきたが、みんなちょっと押しただけで壁に叩き付けられて粉々になってしまった。

 京太郎は、この世界の死生観についてしばし思いをはせ、――やがて、難しく考えることを止める。


――進もう。少しでも。



 坂本京太郎が完全に塩の柱と化したのは、それから十分後。

 後続のソフィアたちによって術を解除されたのは、さらに二十分後の話である。

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