第141話 まな板の鯉
「ラット。鼻、調子は」
「良くないなァ。正直、――頭がくらくらする。この部屋、どうかしてるぞ。雌の匂いが充満していて、気がへんになる」
「……ラット。素、出てる」
「んー。ゴホゴホ。ござるござる。うむむ。……それにしても……」
二人分の足音。
「この女。……デカけりゃいいってもんじゃない、……で、ござるな」
「……………む」
そして、男の声。
「おい、おきろ」
肩をぐらぐら揺らされて、うっすらと目を開ける。
「ふぅううううううううううう……ああああああ……………」
ルーネ・アーキテクトは大きく伸びをして、怠惰な午睡から覚醒した。
そして、例のように両手をかさかさして、一号の助けを待つ。
しかし彼女を助け起こしたのは、いつものごつごつした手ではなかった。
「ほ、にゃ?」
それは、――どうやら、”探索者”と思しき小柄な男の手だ。
男は親切にもルーネを助け起こしながら、油断なくもう一方の手で杖型の”マジック・アイテム”を突きつけている。
顔に血が上っていくのがわかった。
なぜか初対面の相手に淫乱扱いされることの多い彼女だが、実は異性とのふれ合いにあまり慣れてはいない。
反射的に呪術を起動……しかけて、
「やめるのが賢明にござるぞ。拙者、こう見えて純情派であるが故。その、堕落した乳に惑わされるほど間抜けでもない」
――見破られてる……っ!?
「それにこっちには、人質? いや、霊質がいることもお忘れなく」
男が顎で指し示した先には、――もう一人の侵入者によって壁に釘付けにされている一号の姿が。
「ああ……っ」
「ご安心なされ。あの死霊が――貴女にとって他のと違うことくらい、拙者にもわかる。拙者も人形遊びは嫌いじゃないのでね」
「あ……っ、あんたら、何者なん?」
「公認”探索者”にござる。登録名はラットマンで、そっちはジョニーという者」
「政府公認の……っ? ”勇者の仲間”が、なんで……」
「失礼ながら、緊急事態にて。上の施設の術を解くことと、貴女の全面的な協力を要請したい」
「う、ウチは、ぼ……ぼぼ、暴力には屈さへんで……」
嘘だった。実際には、ちょっとでもつねられたらすぐに泣いて許しを請うつもりでいた。一応こう言っておかなければ、あとあと問題になると思ったのだ。
「もし、ウチに言うこと聞かせたいっちゅーんなら、正式な書類を揃えてからでなおすんやなっ」
だが、侵入者二人は、呆れた顔を見合わせて、
「それ、マトモに自分の義務を果たした者がいう台詞にござる」
「ぐぬ」
「お主、死霊どもが自動で働いてくれるのを良いことに、まともな仕事を怠ってきたでござろ」
「ぐぬぬ……」
「上は今、混乱のまっただ中にて。そんな状況でのんびり夢の中にいたそちらの落ち度は大きいですぞ」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「これまで、魔導施設の運営に関してはあまり問題視されてこなかったようにござるが、――こりゃ、ヴィクトリア家の方に言って、人事の見直しを提言したほうがいいかもわからぬな……」
「ひえぇっ」
彼女は、いまのこの安楽な仕事が奪われることを、世界で一番恐れている。
手のひらを返すことにかけては国一番だと自負しているルーナは、憐れっぽく泣きべそをかきながら、
「な、なんでも言うことを聞きますぅ、おねがいしゃす、それだけはあっ!」
その時、あんまり激しく迫ったせいだろうか。彼女の乳が、別個の意志を持つ生命体のようにばるんばるんと跳ねた。
「ひゃあ、おっぱいのお化けに食べられるっ」
一瞬、ラットマンは怯えて杖を前に突き出す。これは、何かの軽口や冗談ではない。本気で彼女の胸元から新種の怪物が生み出されたと思ったのだ。ぐりぐり眼鏡で視界が塞がれているせいもあるが、これはあらゆる可能性を考える癖のついている”探索者”ならではの発想であった。
突き出したラットマンの杖が、ぐにょおおおんとルーネの片乳に触れる。
「ふにゃんっにゃぁんにゃんにゃあんイイネッ!」
ルーネはわざとらしく艶めかしい声を出した。娼婦の友だちに教えてもらった、男子の劣情を誘うテクニックの一つである。仕事を奪われるくらいならここでこいつとねんごろになった方がマシだ、と思えたのだ。
とはいえ、
「……ごほん」
すぐに平静さを取り戻したラットマンは、仲間の手前、いかにも恥ずかしげに咳払いをする。どうやら作戦は完全に失敗したらしい。というか今のヘンな声のせいでむしろ頭が冷えた可能性まであった。
「さっき、――なんでも、と言ったでござるな? では、上で仲間が一人、呪術に囚われてござる。解呪をお願いしたい」
「か、解呪、ですかぁ?」
「うむ」
「そりゃ、できますけど、――直接触る必要がありますよ」
「直接? ……そりゃ厄介だな」
ラットマンはジョニーと目を合わせて、
「ここから向こうに行ったら、たぶんこの娘も使い物にならなくなるのでは?」
「恐らく。例の、心壊れる術、かかる」
「うむ……」
ルーネだけが、目を白黒させてことの成り行きを見守っている。
「やむなし。サカモトの”バクの腕輪”、借りる。それでこの女、起こして、解呪させる」
ラットマンは嘆息して、
「気は……進まぬな。ソフィアの姉貴の悪い癖が出る気がする」
「目の前の一人の犠牲。街にいる多くの犠牲。比べる。無意味」
「で、あろうな」
以前、ヘンリーさんに連れられて東洋の料理を食べたことがある。
その時に見た、まな板の上に載せられていた魚の気持ちがわかった気がした。
「やむを得ぬか。――さあ、お嬢さん。今から”転送球”で上に向かう必要がござる。急ぎのため身支度はご遠慮いただくのでご了承を」
そこで言葉を切って、
「あと、ちょっとだけ地獄……いや、天国? まあその手の何かを見てもらう必要がありますが、――心配ないでしょう。たぶん」
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