第95話 気配

 変貌した街のインパクトに圧されて気付かなかったが、すでにアルは迎えをよこしてくれていた。

 京太郎は、合図するまで動かないで欲しい旨だけ馭者に伝えて『ルールブック』を開く。


『じゃ、おいらは……』

「ステラを頼む。――君たちのお姫様だ。くれぐれも頼むぞ」

『わかってる』


 それっきり、フリムは小走りにに娼館へと引き返していった。

 ほとんど入れ違いにサイモンが現れる。何故かは知らないし知りたくもないがお尻をちょっと押さえていて、


「あいたたた……」


 みたいなことを言っていたが、京太郎は完全に無視した。


「あ、慌てて出てきたけども、……何がどうなってんだ? 変わった趣向の祭りかなんかかぃ?」


 毒々しい赤で塗られた街を見ながら、のんきなことを言うサイモン。

 京太郎はというと、今は新たなルールの執筆に集中している。


 ページは、『ルールブック』における”グラブダブドリップ”の項。


【名称:グラブダブドリップ

 番号:AS-223

 説明:”勇者”によって造られた街の一つ。

 とある偉大な魔法使いが死者を奴隷の如く操ることで創り上げた、”WORLD0147”においては最高峰と言って良い魔術都市である。

 もしこの本を読んでいる君が私の後任の某かで、この街について何らかのルールを書き加えるつもりであるならば、一つだけ忠告しておこう。

 止めておきなさい。

 この街は、この世界の人間が産み出したものとしては芸術品と言っても過言ではない。芸術家の仕事に、我ら凡庸なる者が筆を加えるのは間違っている。

 もし君が、何もかもを自分の手のひらの上に治めておきたいと願うのであれば、それは一遍の物語を編めば良いだけのこと。

 我々は時に、異世界人への敬意を失うことがある。だが、それは間違っているんだ。

 重ね重ね言わせてもらうが、この街に下手な手を加えるのを、私は反対している。

 私の名はアスモデウス。色欲の悪魔、アスモデウスだ。

 恐らくそれはないと思うが、もし君と会うことがあったら、この美しい街の話をしよう。】


 前任者の想いに眉をしかめる。

 これまでで京太郎は、三人の前任者の文を目にしていた。

 結果、番号の頭にくっついているイニシャル(?)的なやつごとに、


 ST=この世界の造物主。一番何でもありっぽい。

 GG=”勇者”関係の設定を考えた管理者。つまりコイツが元凶?

 AS=恐らく立場的には京太郎と近い? 人間の文化などを調整した管理者?


 ということをなんとなーく読み取っている。

 たぶんだが、この”AS”の人が一番の苦労人で、それまでの管理者が滅茶苦茶にしたこの世界を、どうにかして修正しようとしている……ように思われた。

 そう考えると少しだけ彼女(アスモデウスが男か女かはわからないが、字面的になんとなく女性のように思える)に親近感を覚える。


――だが、今回だけは……。


 彼女(なんとなくそうであってほしい)の忠告を無視して、グラブダブドリップの項目に新たなルールを書き込む。

 

【補遺:管理者は、この街に存在する”人族”と”魔族”の気配を第六感的に捉えることができる。】


 そして目をつぶり……むむむ、と、思考を集中させた。


 すると『ルールブック』に書き込んだとおり、その周囲に異物を感じることができるようになる。……うまく言えないが、眉間に鉛筆を近づけたみたいな、そういうムズムズする不快感だ。それを街全体から感じている。


「うう……ッ」


 思わず、唸った。

 脳みその、それまで刺激されたことのない部分がびりびりしている感じだ。


「どうした、旦那? てきめんに顔色が悪くなったぞ」

「平気だ。大丈夫」


 応えながら、このルールはできるかぎり早く消しておかなければと思う。こんな状況で毎日仕事するなんて考えられない。


――だが。……今日だけは。正念場だ。


 もちろん、この方法で『ルールブック』の影響外にいるらしい”勇者”や”勇者狩り”の気配を察知することはできないだろう。しかしこれで、を察知することはできる。

 今後もし、何らかの異常事態が発生して、その中心地に気配が感じられなければ、……そこに『ルールブック』の影響を受けない何者かがいる、ということだ。


――とりあえずこれで、敵を探り出す。


 嘆息し、歯を食いしばり、気合いを入れ、丹田の辺りに力を溜めて、京太郎は馭者に出発を命じた。


「アルの元へ」


 その一言で、待ってましたとばかりに馬車が走り出す。

 街はすでに起き出していて、気味悪そうに血の刻印を眺めている人々がちらほら。

 くらくらする頭を抑えつつ、


「サイモン」

「ん?」

「さっきの言葉、本心かい?」


 ”さっきの言葉”というのは、

『街の”保護隊”全員を裏切ることになっても味方するぜ』

 という、彼の一言である。


「男に二言はねえ」


 京太郎は一瞬だけ考えて、……


「じゃあ、私のためにこの実を食ってくれるかい」


 ”嘘から出た実”を鞄から取り出す。


「いいぜ」


 男は、それが何か尋ねることすらせずに口に含んだ。


「ん。うめーなぁこれ! 元気になる! もう一個欲しいくらいだ!」

「もう一個……は、なんか副作用があるかもしれないからダメだ。……で、どうだ? 今も、さっきの言葉が本心だと誓えるかい?」


 サイモンは、少し不思議そうな顔をしていたが、


「だから言ったろ、男に二言はねえって」

「ひょっとすると今日、死んでしまうような目に遭うかもしれない。……それでもかい」


 陶器のような肌の男は、馬車の座席を座り直して、こう言った。


「いいかい、旦那。……バルニバービの沼地出身の男は、……友だちのために死ぬことなどなんとも思わない」

「そうか」


 京太郎は答えを聞くが早いか、その手を取った。

 同時にサイモンは、何かのトラウマを刺激されたみたいに、


「でーででででででも俺は、旦那とそういう関係を築きたいとおもっているわけではなく、あっ、お腹痛くなってきた。なんかすぐ便所いきてェなぁ実はさっき産まれて初めて尻の穴をって俺なんでこんな話を」

「じっとしていろ」


 次の瞬間、彼の右手から肘にかけて、鈍い金色のガントレットが顕現した。

 その効果は京太郎にもわからない。

 ただ、「彼にピッタリの”マジック・アイテム”を」と願っただけだ。


「お、おわっ!」


 目を見開くサイモン。

 

「君に、――ふさわしい武器を預ける。活用してくれ」

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