第96話 共感

 今朝からずっと、いつもと勝手が違うことには気付いていた。

 車中にてその答えを導き出し、かなり気が滅入っている。


――私はビビってるのか。いまさらになって。


 家に帰りたい、と思っていた。

 そのためであれば何もかも犠牲にしても構わないほどに。

 そんな自分が、狂おしいほど憎らしい。


 変わったのは単純な事実。

 保障されていた自分の命が、今日だけは危険に晒されている、ということ。


 これまでずっと、京太郎は異世界人と行動し、彼らを尊重し、彼らの視点でものを見た気になっていた。戦場ルポライター経験のある大学時代のゼミの教授の言葉が蘇っている。賢い人は必ず、他者への共感性を持つ。その上でそれを無視したり、受け入れてやったりする。ばかは何も考えないし何も感じない。やっていることは同じに見えても、その間にはとてつもなく深い溝がある。京太郎はその教えを守っていたつもりでいた。だが甘かったのだ。

 彼らと対等の場所に命を置かれた瞬間から、震えが止まらない。


――これがきっと、戦場にいるってことなんだ。


 血の色に染まった歓楽街を、馬車が急ぐ。

 先手を敵に譲っていることだけは覆しようのない事実だった。

 とはいえ、怖じ気づくわけにはいかない。


 いつだってステラとシムは、たった一つの命を賭けて自分に着いてくれていたのだから。



「この籠手……どっかで見たことがある。けどなんだっけなぁ? ……旦那、これなに?」

「わからん」


 京太郎は、沈思黙考から目を覚ます。


「それじゃあさすがに、どうにも使いようが……」

「でも、君にピッタリふさわしいもののはずだ。そのうちわかるだろ」

「うーん……」


 サイモンは右手に嵌まったガントレットをぐーぱーぐーぱーして、


「ま、いいや。もらえるモンはスネ毛でももらっとく性分だ。ありがたく頂戴するぜ」

「少なくとも、スネ毛よりは有り難いものだと保障するよ……」


 京太郎はしばらく眉間に手を当てて、周囲の気配を探知する訓練をしておく。目をつぶっていてもどこに誰かいるかわかるというのはかなり奇妙な気分だった。


――少し先に、強い気配が集まってるのが分かるな。アルが合流した連中のうちに、どうやらソフィアのパーティがいるらしい。


 慣れるとだんだん楽しい気がしてくる。

 なんだかぴったりくっついてる男女の気配があっちこっちから伝わってくるのが難だが……。

 京太郎はあとどれくらいで目的地に到着するか手に取るように把握しながら、いつだったか、フリムと出会った奴隷商ギルド付近の広場に出た。

 その場にいたのは、恐らく二、三十人からなる”探索者”と保護隊員である。

 綺麗に整列している方が保護隊員。

 あっちこっちで適当に座り込んでいるのが”探索者”たち。

 その中心には、アルとソフィアの二人がいる。どうやら何か、打ち合わせ中らしい。


――おお、ごちゃごちゃしてるごちゃごちゃしてる。


 気配を察知する能力にオンオフ切り替え機能をつけなかったのは失敗だった。常に脳の容量が一部使われている感じがする。


 馬車の到着に関心を向けたのは数人ほどだろうか。いずれも周囲のただならぬ気配に、緊張の面持ちだ。

 こちらに気付くと、すぐさまシムが近づいてきた。


『京太郎さま……』

「ステラは無事だ」


 それだけ伝えて、まず安心させてやる。一を聞いて十を知ったらしく、シムもそれ以上は質問しようとしない。


『こちらも、お知らせせねばならない情報が三つ』

「ほう。三つも」


 京太郎は感心して、身を乗り出した。


『重要度の高いものから。――”勇者”は今、この近辺に潜伏しているようです。うまくすれば、労せずして合流できるかも』

「ほう?」


 向こうからやってきてくれているのか。しかし何故だろう。


『それともう一つ、……ここより北方に、”竜族”が多く棲まう場所があることは以前、お話ししましたよね?』

「ああ」

『いま、北部の都にある観測隊から連絡が入ったそうです。詳しいことはわかりませんが、”国家存亡の危機”クラスの緊急事態が、こちらに向かっている、と』

「それは……」


 具体的に、どういうことだ?

 問う前にシムが応える。


『に、人間が使うのは、信号弾による限定的な情報伝達です。そのため詳しいことは、どうにも……』

「シムはどう見る?」

『わかりません。……けどひょっとすると、”竜族”の侵略が始まった、の、かも……』


 シムは自信なさげだった。


『でも、――考えられません。”竜族”が侵略行為なんて……歴史上、一度だってなかったことです。あの種族はなんというか……何ごとにおいても超然としているので……』


 恐らくフェルニゲシュとも相談しているだろうから、その言葉には妙な説得力があった。


『で、でも、北の防壁では、ワイバーンと思しき群れの接近が確認されているのは事実です。――ワイバーンはかなり下等な”竜族”ですので、あるいは何者かの支配を受ける可能性もゼロではない、かも』

「今起こっていることと無関係、……なわけないよな」

『は、はい』

「その”竜族”とかいうの、ヤバいのかい」

『ええ、かなり。あるレベルに達したドラゴンは、”勇者”一人分の戦闘力に相当するとされていますので……』

「そうか……。で、最後の一つは?」

『どうも、先ほどから地面が少し揺れてる気がしませんか?』

「地震か」


 馬車に乗っていたせいか、気付かなかった。


『は、はい。――この辺りじゃあ地震なんて滅多に起こらないのに』

「マズいのか?」

『下水道について話したとき、この街の下が空洞になっている話、しましたよね?』

「ああ。……この真下にはたしか、”迷宮メイズ”が広がっているんだよな?」


 二人は同時に、グラブダブドリップを見下ろす巨木、――”世界樹”を見上げた。

 逆光に照らされたそれは今、なんだか不吉な怪物のように見える。


『もし、ここの地盤が崩れるようなことになると……』

「ぽっかり空いた巨大クレーターのできあがりってところか」

『ええ』


――地震を起こす。

――治療不可の病気を蔓延させる。

――街を爆弾で吹き飛ばす。


 正直、京太郎も一度は考えたことのある”人族”の攻略法だ。

 理不尽な大量殺戮スイッチで何もかも解決するのであれば、……こんなに楽な仕事はない。その後、自分がどういう精神的苦痛を受けるかは別として。


 嫌な予感がしている。

 自分の想像がここまで当たらないで欲しいと願ったのは、その時が初めてだった。

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