第69話 対人戦

「うわっ! キモ! この夏一番のキモさっ!」


 ステラの第一声で正気を取り戻す。


「――くそっ!」


 京太郎はほとんど脊髄反射的にシムとステラの前に飛び出していた。自身の恐怖を一旦無視して、仲間を庇うクセが身についていたのである。京太郎は内心、いずれこのクセが悪く作用して現実世界でトラックに跳ねられて死ぬと思っている。


「――ッ!?」


 恐らくだがそれは、襲撃者にとってかなり意外な行動だったに違いない。今のはどうやら、ほとんど牽制のつもりで放った一手のようだ。ジャブに自ら当たりにいった形である。


「く!」


 京太郎の全身を最悪の感触が襲った。細かな虫の群が全身を叩く。もちろん痛みなどはないが、潔癖症の者であれば一生トラウマになっていてもおかしくない。

 厄介なのはこの攻撃、にあった。これが何らかの武器攻撃であればそれそのものの消滅、という形で決着がつくが、攻撃無効化のルールには、攻撃者そのものの命を絶つことまでは書き込んでいない。そのため羽虫の群れは健在で、脅威は依然として存在したままでいる。


「――こい、“冒険用の鞄ジョージ“!!」


 叫ぶと、手のひらに吸い付くように鞄が飛んできた。


「で、“スタン・エッヂ“を!」


 鞄の中に手を突っ込むと、まるでそれしか入っていなかったみたいに一本のナイフが収納されている。


――まさか、これを使う日が来るとは。


 二週間前の夜、鏡の前でカッコいいファイティングポーズを試して以来だ。

 柄のところにあるスイッチをカチッと入れると、ぶぅううう……ん、と、目に見えぬエネルギーが刃先から発生する。

 それを構えて、京太郎はごくりと生唾を飲んだ。敵を恐れているのではない。刃物を自分以外の他者に向けるという生々しい行動が、京太郎の心に根源的な恐怖を呼び起こしたのだ。


「君は、何者だ?」


 この期に及んで、京太郎は話し合いで解決しようと考えている。ちゃんと話せば分かり合えると思っていた。というか恐らく事実、そうであろう。戦う理由は何もない。何せ京太郎は、元より五体満足でアリアを返すつもりでいたのだから。

 だが、侵入者はそう思っていないらしい。そもそも話し合いで解決するつもりなら先制攻撃など仕掛けたりしない。それだけで両者が衝突する理由としては十分だった。


 それでも。

 京太郎は思う。この時、この場で死者が出ようものなら、それは悲劇にもならない喜劇だ。人の死は尊厳を持って語られるべきで、そんな死に方、誰一人としてしてほしくない。

 仮にこの場にいる敵対者が全員”不死”だったとしても、だ。


「シム、ステラ」

「え」「ん?」

「反撃するな」


 リーダーが無謀な宣言をするが、議論している余裕は生まれなかった。

 京太郎はとりあえず、侵入者に対して何ごとか口を開きかける。対する男は、それより早く貫手による一撃を京太郎の喉元に打ち込んだ。降参の言葉が呪文詠唱のトリガーである可能性もあるためである。


「やめなさい」


 喉に突き刺さった右手を受け止めて、京太郎は叱りつける。


「――、ぬ」


 だが、攻撃が通じないと分かると、侵入者はすぐさま方針を転換した。


「我々が争う必要など……」


 京太郎が言い終える前に、


 ぶーぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!


 言葉は、羽虫の群れに掻き消される。すぐさま侵入者の姿がみえなくなった。

 

「おい! 話を聞けって……」

来夢らむッ! 俺がこいつを抑える! お前は残りを頼む!」


 同時に、腰のあたりに掴みかかる形で侵入者が飛びついてきた。

 一瞬の浮遊感。

 次に京太郎は、背中から窓を突き破る音を聞く。

 見慣れた“冒険者の宿“の外壁が、見慣れぬ角度で見えていた。

 一拍遅れて、この建物が四階建てで、しかも京太郎たちのいる部屋は最上階にあるスイートルームであったことを思い出す。

 真下は石畳の大通り。

 そこに向けていま、坂本京太郎は真っ逆さまに落下している。


「うッ、そだ、ろ!?」


 三半規管が警鐘を鳴らし、動物的な恐怖が京太郎の身体を硬直させた。混乱した脳が走馬灯を走らせて、数秒の間に六度ほど意識を失いかける。

 かろうじて失神せずに済んだのはあくまで、仲間に対する義務感のため、ただそれだけであった。

 背中への衝撃に身を震わせる。まともにダメージを受ければ生きていられないという確信があった。


「――ッ」


 一瞬、視界の隅に赤いマフラーを見る。そういえば、侵入者の男も一緒に落ちているところなのだった。男は京太郎の身体に抱きついていて、どうやらこちらをクッションにするつもりらしい。

 男は耳元で囁く。


「妙技……ドッスン落とし……の、術!」


 自由落下の恐怖に怯えながら、京太郎は思った。

 そのクソダサネーミングセンスだけはあとで必ずツッコんでやらなければ、と。

 あとそれ、技でもなんでもないだろ。たまたまそういう形になってるだけだろ。


 次の瞬間、京太郎は頭から煉瓦造りの大通りへと叩きつけられた。


――うおおおおお! さすがに! これは! 怖いぞ!


 絵面的には、どのような超人でも首の骨を痛めたに違いない形となる。

 とはいえ、管理者は異世界においてほとんど無敵の力を持つ。

 痛みはなく、衝撃もなく。ベッドの上にどかっと横になったみたいな柔らかい感触の後、京太郎は街の人々が行き交う道のど真ん中に転がる。


 悲鳴が上がった。


 すぐさま、むくりと京太郎は起き上がる。対する男もそうだ。だが、向こうの方が立ち上がりが数瞬早い。京太郎が身構えた頃には、すでに男は影も形もない。


「あいつ……どこへ?」


 次の瞬間、京太郎の太もも、脛、肩の順番で三本の投げナイフが突き刺さり、すぐさま塵となって消えた。


「くそったれの……ニンジャめ」


 とはいえ、全ての攻撃は急所を避けられている。これはある種のメッセージと捉えられないこともない。


――奴もこちらを殺す気はない、か。


 周囲を見回す。敵の姿はどこにもない。人混みに紛れてしまった。


「こら! ちゃんと話を聞きなさい! アリア・ヴィクトリアは無傷で返すって言ってるだろう!」


 返答なし。


――厄介だな…


 まるでこの男、かのようだ。

 その時の京太郎は知らなかったが、それはこの世界で一度でも戦士を志したものであれば、まず覚えなければならない基礎的な心構えである。

 この世界では、自分の実力の万倍をこえる怪物と戦わなければならないようなことが日常的に起こりうる。

  “人族”は伝統的に、圧倒的強者との戦闘に慣れているのだ。


――参ったな、この展開は……。


 どうやら、遊んでいる暇はないらしい。

 こちら側は決して傷つくことはないが、明白な弱点がある。坂本京太郎にはほとんど攻撃力がないのだ。

 だがそれは恐らく、まだバレていないだろう。

 相手はまだこちらを警戒している。いったん身を隠したのがその証拠だ。今のうちに状況をこちら側に好転させなければならない。


「それに、――」


 京太郎は、自分がいま飛び出してきた場所を見上げた。


 心配ごとは、もう一点ある。

 シムとステラが、めちゃくちゃしないかということだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る