第68話 嘘から出た実
「んが……んぐッ……」
アリアが苦しそうに唸った。京太郎自身、一時のテンションで生み出したダジャレみたいなアイテムがどういう効果をもたらすか、今更ながら不安になりはじめている。
「ええと、……大丈夫?」
訊ねると、効果は思ったよりも早く訪れた。
「大丈夫です。問題ありません」
「おお……なんかしゃべり方変わってない?」
これが地なのか、それとも実の副作用か。
「身体に問題はありませんが、乱暴なことをされないかずっと不安です。あなたは見たところ女性経験が豊かな人間ではなく、そういうタイプの人間の常として、一度スイッチが入ってしまえば野獣のごとく私の肉体を貪ることが容易に想像できるためです」
「……そんなこと思ってたのか」
「はい。私は胸が大きいタイプではありませんが、それでも何度か、あなたの視線が胸部へと注がれていることを確認しています。また、二度ほど私のお尻を凝視しているのも察知しました。あなたが貧乳好きのロリコン野郎なのではないか、ずっと訝しんでいたのです」
「それ以上、いけない」
京太郎は今朝整えたばかりの髪の毛を両手で引っ掻いてボサボサにする。ステラとシムの視線が痛い。
「一応言い訳させてもらうと、胸元に視線行きやすいのはその、子供の頃から人と目を合わせるのが苦手だからで、尻を見ていたというのもたまたまだよ」
「言い訳なんて聞いてないけどなー?」
ステラが意地悪な顔でニヤリと笑った。
「あたしからも質問、いい?」
「……構わないけど」
ステラは楽しそうに赤髪の少女の枕元に座って、
「アリアは彼氏、いる?」
「いません」
「前にいたことは?」
「訓練学校時代に、一人」
「どんな人?」
「名は忘れました。ただ、犬が吠えるような笑い方の男子だったと覚えています」
「キスはした?」
「はい。三度ほど」
「どんな感じ? やっぱドキドキするの?」
「特になんとも」
「舌は? 舌は入れた?」
「はあ」
「ひゅ、ひゅーっ! か、か、感想は?」
「ぬめぬめしているな、と思いました」
「……ち、ちなみにその……それ以上のことは……」
「ありません。が、“暗殺者“の訓練で」
「――おいっ」
慌てて口を挟む。ちょっとだけ興味深く聞き入ってしまった自分が恥ずかしい。
「そこまでにしよう。効果は十分わかった。本題に入るよ」
「えーっ、本心しか話さない人と口をきく機会なんて、滅多にないのに!」
「そりゃそうかもしれんが、可哀想だろう」
「わかってないわねー。捕虜と犯罪者には人権ないのよ?」
「……それが君なりのユーモアだと信じているよ」
京太郎は嘆息し、改めて訊ねる。
「なあ、アリア。……なんだって昨晩みたいな無謀な真似をしたんだ。貴重な“マジック・アイテム“なんだから、何らかの盗難防止装置が付いてると思わなかったのかい」
「うぐ……ぐ……」
アリアは苦しそうに顔を歪める。京太郎は念のため、
「一応言っておくけど、舌を噛み切って死のうと思っても痛いだけだよ。怪我はいくらでも治す方法がある」
「ぐぬ」
唸って、それきり観念したように話し始める。
「と、とと、と、盗難防止の術を解除する業者には心当たりがあったので。そこまで運ぶことさえできれば、最悪、腕が腐れ落ちても構わないつもりでした。ですが、思ったよりも術が強固で、受けるダメージが私の想定を超えていたのです」
「……腕がもげても……って。いいわけないだろ」
「問題ありません。私は“不死“ですので」
「なに? でも“勇者の紋章“なんて、どこにも……」
「暗殺者の
「へえ」
そういえば、紋章の位置に関しては特に『ルールブック』に記載されてなかったからなあ。
「……っていうか君、暗殺者でしかも“国民保護隊員”なのか。……つまり、昨晩の仕事は上司に命ぜられたことなの?」
「いいえ。個人的なことです」
「ほう」
「あなたの持つ“マジック・アイテム”は恐らく、とてつもなく強力なものなのでしょう? あるいは“勇者“に対抗する一助になるかと思いまして」
「へえ。君、“勇者“に反抗する勢力なのかい」
「反抗……というほど具体的な活動を行っている訳ではありませんが」
「君は、何者だ?」
「私は王族です」
「王族? アリアはお姫様なの?」
「いえ。私は末席にかろうじて名を連ねているだけにすぎません。ただ、現状のこの“勇者“一強の状況に何らかの形で一石を投じたかったのです」
京太郎は頭を掻く。
不死、というだけならともかく、不老の人間が実在するのであれば、どうやってもその者中心の世の中になってしまうのはある程度仕方ないことのように思えた。
だがまあ、彼女の言いたいこともよくわかる。かつてこの世界を支配していた一族の末裔を名乗るのであればなおさらだ。
「まあ、いいや。……悪いけど私には、君の個人的な野望に付き合っていられるほどの余裕はない。それと、君らの勢力的なやつにもあんまり関わりたくない」
「でしょうね」
「今後は私たちとの接触を制限させてもらうぞ」
「残念です」
「とはいえ、……ことを大きくするつもりはない。今聞いた一件は伏せて、君をアル・アームズマンに引き渡す。言い訳は自分でよく考えておくことだ」
「助かります」
そこで腕を組み、少し考え込む。
――さて。この機会に、他に聞くべきことはあるかな。
迷っていると、こん、こん、と扉を叩く音。
「失礼します、お客様に少々、お尋ねしたいことがあると、“保護隊“の方が」
「げ」
嫌な顔になる。声は先ほど話した“冒険者の宿“の従業員らしい。
どうやら他の部屋の住人に通報されてしまったか。
「……仕方ない。昨夜の話、内々で済ませる訳にはいかなくなった。けど、君が悪いんだぜ」
そして、応対のために立ち上がる。が、その時、ガチャリと鍵が空き、勝手に扉が開けられた。
「ん?」
京太郎は違和感を覚える。この宿の従業員がそのように不躾な真似をしたことなど、これまで一度としてなかったためだ。
「失礼します」
初老の男の顔がのぞく。
恐らく、簀巻きにしてあるアリアが気になるだろうと思って、
「ああ、すいません、この子がさっき話した泥棒の子でして」
「なるほど」
部屋が平常の雰囲気に包まれていたのは、その瞬間までだった。
「なるほど、なるほど、なるほどなるほど、な、なる、なるほ、なるほど……な、な、なるほ。なるほど」
男は、人形のように口を開け閉めして、同じ言葉を繰り返す。
「え?」
目を白黒させていると、初老の男はガクリとその場でうなだれた。
気を失っている。
彼の背後には、影のようにつきまとう別の男がいた。
妙に、――印象の薄い男だと思う。
少し目を離しただけでどこかの人混みの中に紛れてしまいそうな、あたかもこの世界の”人族”の平均値を体現したような男だ。
髪の色は黒。だが不自然な黒だった。脱色と染髪を繰り返した結果、命を奪われてしまったような、くすんだ髪だ。
彼の口元は浅く染めた薄い赤色のマフラーが巻かれており、それで顔半分が隠れている。
それ以外に特徴らしい特徴はない。彼の顔色からは、表情ですら読み取ることはできなかった。
「――一族の者を返してもらう」
ぽつり、と。
それは、ほとんど独り言のような言葉だった。
京太郎はその後、一週間はたっぷり悪夢に見る現象を目の当たりにする。
ぶーぶーぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ。
と、何かの羽音が耳に聞こえた次の瞬間、通常、人間が一生で見かける分量を遥かにうわ回る羽虫が部屋に侵入してきたのだ。
「う」
「ひ」
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああッ!」
三人分の悲鳴。
「やったー兄さんカッコいー!」という真反対の感想。
戦闘が始まった。
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