第149話 意思表示
勢いよく開けられた事務扉の向こうから投げ込まれたのは、こぶし大の金属の塊である。
「――?」
坂本京太郎は、それが何かを知っていた。
本物を直接に、ではないが、似たようなのを見たこともある。
故に、他の者よりも一瞬だけ、何が起こっているか判断するのが早かった。
とはいえ、まったく冷静だったわけではない。
――ウェパル。君はそこまで、……。
いまの二人が良好な関係にないことくらい、わかっていた。
それでも、昨夜は一緒に酒を飲んで、カラオケを歌って、けらけら笑っていたじゃないか。
果たしてそんな相手に対して、そこまで強い感情を向けられるものだろうか? ありえない。考えられない。仮に決裂するのがわかっていたとしても、一度は話し合いを試みるのが筋じゃないか?
しかし、――その金属の塊は実にわかりやすく、とある意志を伝えていた。
お前を憎む、と。
――手榴弾。
逡巡の時は一秒ほど。
そしてこの物体が及ぼす影響が、―――決して自分の安全を保障するものではないことを理解するのに、もう一秒。
さて。
人生においては、人がその真価を試される瞬間というのがたびたびある。
坂本京太郎にとっては、その時がそうであった。
行動するのに、ほとんど考えているような時間はなく。
ただはっきりしていたのは、その場にいる誰もが、投げ込まれたそれの正体を理解していないということ。それを何とかできるのは、自分ただ一人だということ。
京太郎はまず、
「全員、伏せろ!」
そう叫びながら、彼の運動神経から計算すれば信じられないほどに精妙な動作で、大地を跳ねた手榴弾を掴んだ。
そして誰もいない方角に向けて、思い切りそれを投擲する。
それは、平和ボケした三十二年を送ってきた男がするものとしては、まず賞賛されるべき英雄的行動であったと言えるだろう。
とはいえ、英雄的な行動が常に結果に結びつくとは限らない証左として、三点ほど残念な事実を挙げなければならない。
一つ。京太郎が手榴弾だと思ったそれは、低殺傷兵器に分類される、――スタン・グレネードと呼ばれる武器であったこと。
二つ。スタン・グレネードは一般に、「相手を生かしたまま意識を奪う」ための兵器であるとされているが、それはあくまで至近距離で爆発を受けなかった場合に限られている、ということ。
三つ。彼が”思い切り物を投げる”という行動を取ったのが、大学時代、後輩に無理矢理付き合わされてした草野球以来、――すなわち十年ほどのブランクがあったこと。そのため、投擲する動作に数瞬のモタつきが生まれたこと。
結果として、この行いは一つの明白な結論を導き出した。
やらない方がマシだった、という。
坂本京太郎は、スタン・グレネードが発する爆発音と閃光、そしてその内容物が燃焼することによって発生した火焔をもろに利き腕に受けることになった。
同時に、自分の右肘から先が一瞬にして使い物にならなくなったことを察する。痛みはそれほどでもなかった。ただ、身体機能が一部損傷したという、妙な喪失感だけがあった。
「――ッ!」
音響効果による意識の消失は、ほんの数瞬。
これは常人を遙かに上回る気力を発揮していると言って良い。
この一件、あとあと考察してみても、その原因については良くわからないままだ。あるいは、リカにエリクサーを飲まされたからか、”命の指輪”の効能がまだ少し残っていたからか。
いずれにせよ彼は、一般的なスタン・グレネードによる撹乱効果をほとんど無視した状態で、飛び込んできた同僚の腕を掴むことに成功したのである。
京太郎はまず、
「――ウェパルッ!」
と、叫んだ。多分。
耳が麻痺していて、自分の喉が発したはずの音を認識できない。
対する彼女は、ぞっとしない顔つきでこちらを見て、――そして、鞘に入れたままの剣で、京太郎の頬を横なぎに払った。
「が、あッ!?」
人間とは思えない馬鹿力で、京太郎は数メートルほど吹っ飛ぶ。
遅れて、痛みがやってきた。
「ぐ、おおおおおおおおおお……」
唸る。人間の尊厳を打ち砕くダメージだった。
再び立ち上がる気力を根こそぎ奪う苦しみだった。
『――ッ! ――――――ッ?』
『――――――――!』
ステラ、シムの順番で何かしゃべっているのがわかる。
――逃げろ。
そう叫んだつもりだが、伝わっているかどうかは自信がない。
京太郎は薄目を開け、ウェパルを見上げた。
彼女は今、切れ目を入れて動きやすくしたミニスカートに素足、という格好。その手には、あらゆる装飾を排した、シンプルな作りの諸刃の剣が握られている。
ウェパルはもう一度だけこちらを見て、すぐさま鞘から剣を抜き放つ。
まず、最も早く状況に反応したのは、距離的に多少離れていたソフィアたちだ。
ソフィアはラットマンから剣を受け取り、飛びかかる闖入者の剣を真っ向から受け止め、……た、と思った次の瞬間である。
「――ッ!?」
ウェパルの剣は、――まるで小枝か何かのようにソフィアの剣を折り、そのまま彼女の頭を真っ二つにたたき割った。
一瞬、彼女の頭部からぼろりと脳みそがこぼれるのが見えて。
ソフィアの身体が魂魄と化して消える。
「――ッ!? ――――――!!」
その次に、ラットマンが何かを叫んだ。
非戦闘員だと言っていたはずの彼は、恐らく何らかの”マジック・アイテム”であろう杖を突き出し、呪文を唱える。
だが、それさえもウェパルには通じなかった。彼女はほとんど機械的にその小男に接近、喉元を剣で刺し貫く。
間髪入れず、ジョニーが手斧を振りかざしているのも見えた。
だが京太郎には、それが彼女に通じるとはまったく思えないでいて、――ほとんど想定したとおりの出来事が起こった。
ウェパルの剣が、するりとジョニーの腰元を通り過ぎたかと思うと、すでに決着は付いている。
その出来事は、――時代劇で観られるチャンバラのように鮮やかで、しかし娯楽目的の画作りとしてはあまりにも一瞬だった。
魂魄が二つ、虹色の残光を残して天へと昇っていく。
「――……――――――――――――ッ! …………!」
すぐそばにいた三人の命を絶たれ、早くも降参のポーズを取っているのはルーネ・アーキテクトだ。
彼女は今、臆病な犬のように両手を挙げて、ころんと仰向けに転がっている。
ウェパルは、そんな彼女を虫でも見るような目つきで一瞥した後、改めてこちらに視線と切っ先を向けた。
数秒の、間。
徐々に、ゆっくりと京太郎の聴覚が元に戻っていく。
そして、びっくりするくらい力が入らない足腰に力を入れて、立ち上がった。
「何を、――した? ……何故……」
それに続く言葉は数多ある。
なぜ『ルールブック』が通用しないのか?
どこでその武器を手に入れた?
何が目的で、こんなことをする?
彼女の顔色は、昏い。
自ら地獄へ向かって行進していると自覚しているように。
「いろいろ」
ウェパルは目を細めて、京太郎の前に立ち塞がった。
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