第153話 きれいは汚い

 焼けるような腹部の痛み。

 そして、――落下、落下、落下!


 まったく想定外の出来事が続いている。

 そもそも彼女は、グラブダブドリップの現状を深く理解していない。ワイバーンを始末するのに”世界樹”を利用したことも、”魔女”が人間と協力して避難所を作り上げていたことも、何一つ知らずにいた。


 だいたい、今の彼女は、なぜ自分がここまでしているのかも良くわかっていない。


 思えば、昔からそういうさがだったと言えないこともなく。


 自分にとって幸せな結末が何か、とっくにわかってはいるのだ。

 例えば、こういうのはどうだろう。

 まず、京太郎くんといい関係になる。

 そして、まいにちニコニコ笑いながら二人で異世界を管理したりして。

 時に反発したり、時になれ合ったり、時に議論を愉しんだりして。

 あと、たまに二人、手を繋いで食事に出かけたりして。

 彼が死ぬときが来たら、そっとその手を取って、涙ながらに見送ってやろう。

 そうした決着を選んで、何がいけなかったのか。


 原因はわかっている。

 結局のところ自分の本質は、破滅を望んでいるのだ。

 に「かくあれ」と望まれたごとくして。


 坂本京太郎には、どうしても知って欲しいことがある。

 正しい道を案内している限り、いつもヒトが着いてくると思い上がっているのならば、それは大きな誤りである、と。

 みんなが笑って暮らす明るい世の中で、じめじめした石ころの裏側に安住地を見いだす者もいるのだ、と。


――きれいは汚い。汚いはきれい。


 ヒトは単純な利害だけで生きる存在ではない。

 ひょっとするとそれは、彼女が先輩として教えてやれる、たった一つの真理であるのかもしれなかった。



 そして、――着地。

 背を激しく打つ。とはいえダメージはない。グラブダブドリップ全体を覆っていた”無敵”ルールのためではない。管理者として最初に設定した”無敵”ルールに保護されたのだ。この場所はもはや、あの美しい魔術都市ではない。


 ”魔族”が住まう最後の土地。――”迷宮”だ。


 この状況で無傷でいられるのは多分、管理者だけだろう。

 あるいは、……空でも飛べる者がいたら話は別だが。


 ウェパルは自前の筋力で頭に覆い被さっていた瓦礫を吹っ飛ばし、周囲を見回す。

 そこは、――”世界樹”付近に広がっているとされる空間だ。

 鳥は歌い、獣たちはゆったりと水を飲み、苔むした”ゴーレム”たちと幸せに暮らしている。

 彼らを優しく暖めるように、木漏れ日にも似た緑色の斜光が照らしていた。

 忌々しいほどに美しいところだ。


 状況確認。

 ”量産型エクスカリバー”は、――ある。

 お腹は、――うん。痛い。

 だが、保つ。それで十分だ。

 最悪、致命傷に至ったとしても、こちらにはソロモンに治してもらう手がある。

 慈悲深い奴のことだから、むざむざ自分を見殺しにするような真似はしないだろう。


「よし」


 頷いて、ウェパルは立ち上がった。

 お気に入りのスーツは、もはや見る影もなくぼろぼろだ。クリーニングに出すこともできないだろう。


――それにしても、あの男……。


 どういう流れで、自分の元までたどり着けたのか。

 ほとんど針の穴を通すような奇跡だというのに。

 ”王族”の末裔、カーク・ヴィクトリア。

 もし、自分がこの仕事を首になったとしても、彼のことはソロモンに伝えておかなくては。


 

 


 それが”王”と呼ばれた者たちの役割だ。

 (ウェパルはあまり詳しくないが)この世界が、自分たちのいる世界における”テレビゲーム”と呼ばれるコンテンツのパロディ的存在であることは知っている。

 故に、一つだけ恐ろしい可能性があった。

 特定の条件下で”勇者”と”王”が協力したときにのみ発動させられる術があるという。


――””。


 ”セーブ&ロード”と呼ばれる禁術である。


「……くそっ」


 一人、毒づく。となると、やはり。認めなければならぬ。

 坂本京太郎のやり方が正しかった、と。

 彼の慎重なやり方でなくてはならなかった。


 しかし、事ここに至って、ウェパルは負けを認めてはいない。

 もし自分が勝ち残れば、おそらくこの世界は近いうちに滅びてしまうだろうとしても。

 だがそれでも、彼に勝つことはできる。


 少し遅れて、瓦礫をよっこらせと退けながら、一人の男が現れた。

 ウェパルは、彼を真っ直ぐに見つめる。


「もう……満足したかい」


 彼は、生活に疲れたサラリーマンのようにいった。


「近寄ったらきりころす」

「殺されたって構わないよ。君が、いまからしようとしていることを止めてくれれば」


 ウェパルは苦い顔を作る。

 口から出たのは、心が叫んでいるのとはまったく逆の言葉だ。


「ぜったい、いや」

「君を愛している」


 そして彼は、得体の知れない言葉を吐いた。


――えっ? この流れで?


 と、一瞬あっけにとられるくらい、場にそぐわないことを。


「昨晩、君は、君のことを何にも知らないのにプロポーズした私を否定したね。……でも、今は少し違うぞ。……私は、今でも君を愛しているんだ」


 ウェパルは数歩、後ずさった。

 歯がみしている。

 なんでこんなことに。

 なんでこんなことに。


 本当は、――私だってあなたのことが大好きなんだ。


 でも彼女は、彼を受け入れられない。それだけははっきりしている。

 自分は、のだから。

 彼と幸せになる権利など、ないのだから。


「にどと……」


 ウェパルは、自分の気持ちとは裏腹に、”量産型エクスカリバー”を構える。


「にどと、そんなくちをきけないようにしてやる」


 まるで自分の台詞とは思えなかった。

 同時に、心の中で理解する。

 これから自分は、彼を斬り殺すだろう。

 そしてまた、百年間引きこもる。


 そういうことを、ずっと繰り返していくのだ。自分は。

 これまでも。これからも。

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