第153話 きれいは汚い
焼けるような腹部の痛み。
そして、――落下、落下、落下!
まったく想定外の出来事が続いている。
そもそも彼女は、グラブダブドリップの現状を深く理解していない。ワイバーンを始末するのに”世界樹”を利用したことも、”魔女”が人間と協力して避難所を作り上げていたことも、何一つ知らずにいた。
だいたい、今の彼女は、なぜ自分がここまでしているのかも良くわかっていない。
思えば、昔からそういう
自分にとって幸せな結末が何か、とっくにわかってはいるのだ。
例えば、こういうのはどうだろう。
まず、京太郎くんといい関係になる。
そして、まいにちニコニコ笑いながら二人で異世界を管理したりして。
時に反発したり、時になれ合ったり、時に議論を愉しんだりして。
あと、たまに二人、手を繋いで食事に出かけたりして。
彼が死ぬときが来たら、そっとその手を取って、涙ながらに見送ってやろう。
そうした決着を選んで、何がいけなかったのか。
原因はわかっている。
結局のところ自分の本質は、破滅を望んでいるのだ。
あのお方に「かくあれ」と望まれたごとくして。
坂本京太郎には、どうしても知って欲しいことがある。
正しい道を案内している限り、いつもヒトが着いてくると思い上がっているのならば、それは大きな誤りである、と。
みんなが笑って暮らす明るい世の中で、じめじめした石ころの裏側に安住地を見いだす者もいるのだ、と。
――きれいは汚い。汚いはきれい。
ヒトは単純な利害だけで生きる存在ではない。
ひょっとするとそれは、彼女が先輩として教えてやれる、たった一つの真理であるのかもしれなかった。
▼
そして、――着地。
背を激しく打つ。とはいえダメージはない。グラブダブドリップ全体を覆っていた”無敵”ルールのためではない。管理者として最初に設定した”無敵”ルールに保護されたのだ。この場所はもはや、あの美しい魔術都市ではない。
”魔族”が住まう最後の土地。――”迷宮”だ。
この状況で無傷でいられるのは多分、管理者だけだろう。
あるいは、……空でも飛べる者がいたら話は別だが。
ウェパルは自前の筋力で頭に覆い被さっていた瓦礫を吹っ飛ばし、周囲を見回す。
そこは、――”世界樹”付近に広がっているとされる空間だ。
鳥は歌い、獣たちはゆったりと水を飲み、苔むした”ゴーレム”たちと幸せに暮らしている。
彼らを優しく暖めるように、木漏れ日にも似た緑色の斜光が照らしていた。
忌々しいほどに美しいところだ。
状況確認。
”量産型エクスカリバー”は、――ある。
お腹は、――うん。痛い。
だが、保つ。それで十分だ。
最悪、致命傷に至ったとしても、こちらにはソロモンに治してもらう手がある。
慈悲深い奴のことだから、むざむざ自分を見殺しにするような真似はしないだろう。
「よし」
頷いて、ウェパルは立ち上がった。
お気に入りのスーツは、もはや見る影もなくぼろぼろだ。クリーニングに出すこともできないだろう。
――それにしても、あの男……。
どういう流れで、自分の元までたどり着けたのか。
ほとんど針の穴を通すような奇跡だというのに。
”王族”の末裔、カーク・ヴィクトリア。
もし、自分がこの仕事を首になったとしても、彼のことはソロモンに伝えておかなくては。
あの男は危険だ。
侵略者になりうる権利を持つ。
それが”王”と呼ばれた者たちの役割だ。
(ウェパルはあまり詳しくないが)この世界が、自分たちのいる世界における”テレビゲーム”と呼ばれるコンテンツのパロディ的存在であることは知っている。
故に、一つだけ恐ろしい可能性があった。
特定の条件下で”勇者”と”王”が協力したときにのみ発動させられる術があるという。
――”時空の逆行”。
”セーブ&ロード”と呼ばれる禁術である。
「……くそっ」
一人、毒づく。となると、やはり。認めなければならぬ。
坂本京太郎のやり方が正しかった、と。
彼の慎重なやり方でなくてはならなかった。
しかし、事ここに至って、ウェパルは負けを認めてはいない。
もし自分が勝ち残れば、おそらくこの世界は近いうちに滅びてしまうだろうとしても。
だがそれでも、彼に勝つことはできる。
少し遅れて、瓦礫をよっこらせと退けながら、一人の男が現れた。
ウェパルは、彼を真っ直ぐに見つめる。
「もう……満足したかい」
彼は、生活に疲れたサラリーマンのようにいった。
「近寄ったらきりころす」
「殺されたって構わないよ。君が、いまからしようとしていることを止めてくれれば」
ウェパルは苦い顔を作る。
口から出たのは、心が叫んでいるのとはまったく逆の言葉だ。
「ぜったい、いや」
「君を愛している」
そして彼は、得体の知れない言葉を吐いた。
――えっ? この流れで?
と、一瞬あっけにとられるくらい、場にそぐわないことを。
「昨晩、君は、君のことを何にも知らないのにプロポーズした私を否定したね。……でも、今は少し違うぞ。……私は、今でも君を愛しているんだ」
ウェパルは数歩、後ずさった。
歯がみしている。
なんでこんなことに。
なんでこんなことに。
本当は、――私だってあなたのことが大好きなんだ。
でも彼女は、彼を受け入れられない。それだけははっきりしている。
自分は、人間ではないのだから。
彼と幸せになる権利など、ないのだから。
「にどと……」
ウェパルは、自分の気持ちとは裏腹に、”量産型エクスカリバー”を構える。
「にどと、そんなくちをきけないようにしてやる」
まるで自分の台詞とは思えなかった。
同時に、心の中で理解する。
これから自分は、彼を斬り殺すだろう。
そしてまた、百年間引きこもる。
そういうことを、ずっと繰り返していくのだ。自分は。
これまでも。これからも。
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