第152話 奇跡
ウェパルの剣捌きは、はっきりいって素人丸出しの滅茶苦茶なものであった。
とにかく、型もくそもない。子供に玩具の剣を与えて、気の済むままにさせたような扱いだ。
だからこそ、と言えるかも知れない。彼女のその姿は、追い込まれた一匹の獣のように感じられる。
事態を観測する目は、――実を言うと、少なくなかった。
一つ。”ゴーレム”を通して事態を眺めている”魔女”。
一つ。”魔王城”内部から遠眼鏡をのぞく”国民保護隊”の者、十数名。
一つ。”迷宮”第四階層に住まう
皆が皆、固唾を呑んで状況を見守っている。
この戦いの勝者があるいは、”人族”と”魔族”の支配者になることがわかっていたためだ。
ウェパルは今、その場にいる多くの者にとって死を望まれていた。
もちろん、たった一人。
坂本京太郎を除いて、の話ではあるが。
▼
横なぎ。縦切り。返す手でふらりと。時々ビーム。
すでに英霊は辺りを引き払っていて、恐らくはその時にルーネ・アーキテクトも救出されている。
今、彼女がもっぱら相手にしているのは”ゴーレム”たちだ。
彼らは声帯を持たない。そのため、断末魔すら上げず、まるでそう在ることが自身の義務であるかのように特攻していくのである。
対するウェパルの方は、目に付いた敵を片っ端から真っ二つにしているだけだ。
絵に描いたような消耗戦である。
だが、まったく事態が進展していない訳ではなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ。……ふぅ、――」
無尽蔵に思えた彼女のスタミナが、ほんの少しずつ途切れてきている。
このまま全ての”ゴーレム”を投入すれば、いずれ彼女の方が折れる可能性もあった。
だが厄介なことに、そこまで長期戦をやるわけにもいけない。
”ゴーレム”には今後、街の人々の救出作業を頑張ってもらう必要がある。あまりここで数を失う訳にはいかないのだ。
そういうところも計算に入れてか、――ウェパルはかなり丁寧に”ゴーレム”を始末している。
坂本京太郎はというと、じりじりと膝を動かして、視線をソフィアがいる方向に向けていた。
ウェパルの意識の半分の半分くらいが、こちらに向いていることには気付いている。
彼女はまだ少し、余裕を残して戦っているらしい。
『ルールブック』を開こうものなら、即座に釘を刺されることは間違いなかった。
――本は使わない。
その代わり、仲間の力を借りる。
先ほどから京太郎が、口の中だけでぼそぼそと呟き続けている言葉があった。
「――ステラ。…………ステラ。聞こえるか。もし聞こえていたら、彼女に向けて例の光弾を放ってくれ」
ウェパルには届かない程度の音量で。
世界中、自分だけしか聞こえていないのではないか、という声で。
「…………ステラ。聞こえるか。もし聞こえていたら、光の弾を放ってくれ」
これは一つの賭けだった。
彼女は”魔女”と同じく、《千里眼》を覚えていた。
であれば、《地獄耳》も覚えている可能性は高い。
言葉を繰り返すこと、八度目。
「――ッ!」
ウェパルの顔に一瞬、ステラの光の弾が突き刺さった。
もちろんそれは、先ほどと同じようにその威力を完璧に無効化されているようだ、が。
――やっぱり覚えていてくれたか。……《地獄耳》。
”魔女”のスパルタ教育に感謝。
でも今後、ステラの近くで陰口とか叩けないな。
「今からウェパルを無力化する。タイミングを合わせて目くらましを頼む。シムとサイモンは動かなくて良い」
”不死”の連中と違い、彼らの命は一つしかない。万が一にも死なれる訳にはいかない。
――リスクを背負うのは、私だけでいいだろう。
京太郎は油断なく目を細めて、ウェパルを見上げる。
はっきり言ってタイミングは、すこぶる悪かった。いま彼女が剣を振るっているのは、先ほどソフィアを斬り殺した現場の付近。
ここからだと、彼女のそばをいったん通り過ぎてから、Uターンした上で最接近するという、いささか間の抜けた段取りになる。
できれば、もう少し時期を見計らいたい、が……。
――そういう訳にはいかんか。
そろそろ、アルとカークが動く。こちらはその動きに合わせる必要があった。どさくさに紛れなければ、無傷で彼女に接近する手は打てないだろう。
京太郎は、先ほどからちらちらと、アルに向けてウインク的なことを試しているが、奴がそれに気付いているかいないかは微妙なところ。今も素知らぬ顔で、「自前のウンコなら投げられるのではないか」みたいな話をしている。
だが一瞬、こちらと目線が合ったことは間違いない。
それに賭けるしかなかった。
深呼吸。
右腕の痛みを無視するようにして。
「今だっ!」
京太郎は叫び、ウェパルに向けて駆けた。
当然、彼女はこちらを警戒する。だが、京太郎の手に『ルールブック』がないことに気付いて、一瞬怪訝な顔をした。
その顔……の、真上あたりで、ステラが撃ち込んだと思われる光弾が炸裂。
今度は攻撃を主目的にしたものではない。
「ん、――む。ぺぺぺっ。なにこれっ!」
顔に何か、粉のようなものが降りかかっているらしい。
「香辛料の一種か――ッ」
なるほど、ステラなりに策を講じたようだ。
とはいえ、これにはほとんど効果がないことがわかっている。例の”無敵”ルールは、目や鼻、味覚に対する刺激も無効化するためだ。京太郎が異世界の料理をどうにも好きになれずにいたのはこのためでもあった。
その後の動きは、かなり込み入ったものになる。
京太郎の視界に入ったものから順番に説明していこう。
最も動きが速かったのは、アル・アームズマンであった。
彼はウェパルに接近するように見せかけて、その実、まったく見当違いに走っていた。彼が目指していたのは、ソフィアが死体があった場所である。
彼は”雷鳴の剣”を器用に扱って”バクの腕輪”を切っ先に引っかけ、それを京太郎に向けて放った。
――伝わってくれたかっ!
腕輪は弧を描いて、京太郎の手元に落っこちる。
そしてそのまま彼は、京太郎を庇うように立ち、剣を構えた。
すでにその時点でウェパルは邪魔者の排除に動いていて、アルに向かって”量産型エクスカリバー”を振り下ろしている。
アルは賢明であった。それを真っ向から受け止めようとしたところで、剣ごと頭をたたき割られることがわかっていたのだ。
結論として彼は、”量産型エクスカリバー”を紙一重で躱す方法を選んだ。
だが、確かに攻撃を躱したにもかかわらず、アルの右腕が宙を飛ぶ。
「――――む」
恐らくウェパルが咄嗟に剣の形状を変えたのだろう。
驚くべきは、それすら計算通りと言わんばかりのアルの顔色である。
その小男は、残った左手で”雷鳴の剣”を握りしめ、一歩、間合いを取りながらウェパルの背を斬りつけた。
「むだだよ、異世界人……っ」
ウェパルは意に介さず、とどめの一撃をアルに振り下ろそうと、……して、カークのナイフが自身の横腹に突き刺さっていることに気付く。
ナイフは、――紫色のオーラめいたものをまとっていた。一度彼と相対したときに見たことがある色だ。
確かあの時は、「奥義、天狼のうんたら」みたいなことを言っていた記憶がある。
「――ぐっッ」
驚いたのはウェパル。
そして京太郎も、である。
まさかこの戦いで彼女が傷つくようなことになるとは思わなかったのだ。
カークは一瞬、ウェパルの耳元で何ごとか囁いていたが、京太郎の耳には届かない。
「だッ、黙れ……ッ!」
言って、ウェパルはカークを突き飛ばした。軽く押しただけに見えたが、それだけで大の男が五、六メートルは吹き飛ばされる。
やはりウェパルは尋常の人間ではない。
しかし少なくとも、血は、赤かった。
彼女のスーツに、腹から噴き出した染みが広がっていくのがわかる。
京太郎は一瞬、休戦を申し出るかどうか迷った。
だがそういう訳にはいかないだろう。
万事丸く収めるためにはそう、――急いで彼女を無力化するに限る。
逡巡は、コンマ数秒。
その間に、犠牲者が一人。
右腕を吹き飛ばされたアル・アームズマンである。
彼は手負いになった状態において、それでもたった一度だけ”量産型エクスカリバー”を受けることに成功したが、”雷鳴の剣”では有効打を与えられない。時間稼ぎにしかならなかった。
そして、彼が稼いだ貴重な数瞬は、あっという間に消費されてしまう。
アルは、ウェパルが放ったほとんど苦し紛れ、といった程度の一撃で右肩から胸まで斬りつけられて即死。魂魄となって大空へ消えていった。
ここまでで、京太郎が「今だ」と叫んでから七秒半ほどだろうか?
ウェパルと京太郎の間には、未だ十メートルほどの距離が空いている。
全力で走ってもまだ、数秒はかかる距離。
――これでは……!
一手、届かないか。
そう思った次の瞬間だった。
轟!
と、地鳴りが一つ。
世界という将棋盤を丸ごとひっくり返したかのような衝撃が、京太郎たち全員を平等に襲った。
同時に、――実際、ほとんど比喩した通りの出来事が起こる。
「地震ッ! このタイミングで……ッ?」
京太郎たち、個人の視点では具体的に何が起こったかはわからない。
ただもし、遙か上空からグラブダブドリップを眺める目が合ったのならば、その状況を正確に理解することができただろう。
もしそのような者がいたのなら、この状況を単純に、こう説明したに違いない。
街が、――
京太郎の住む世界ではとても見られぬであろう、超大規模の地盤沈下である。
”世界樹”を中心として、ちょうど”ピザを切り分けたように”、土地が落下したのだ。
実を言うとこれは、誰かが手を回したために起こった意図的な現象ではなく、ほとんど偶然に起こった自然災害である。
原因は大きく、二つあった。
”魔女”による強引な”迷宮”の地殻変動と、ソフィアに操られた”世界樹”による地盤の蹂躙である。
だが単純に、こう説明することもできる。
奇跡が起こった、と。
「――ッ!」
とはいえその瞬間は、誰もそのことを正確に把握してはいない。
その場にいる誰もが、自身の命を最優先に行動する他なかった。
その場にいる誰もが、為す術なく、昏い穴へと吸い込まれていくしかなかった。
地獄から響き渡るような轟音は、十数分にわたる。
そして、世界が終わったような沈黙。
決着の時が近づいていた。
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