第10話 おやつの時間

 木造の粗末な門をくぐり抜けると、石組みの街が広がっていた。

 レンガ造りの建物が並ぶ家々からは、厚手のウールに身を包んだ中世ヨーロッパ風の住人が今にも顔を出しそうに見える。

 とはいえ、中から興味深そうに顔を覗かせているのは、多種多様の”魔族”――その中でも”亜人デミ種”と呼ばれる者たち――である。

 何となく、ア○パンマンの世界観をグロテスクに再現したらこんな感じになるかな、と思った。

 京太郎の姿を確認するやいなや、入り口を見張っていた”リザードマン”が跳ねるように現れ、


『オイ! オイ! オイ!』


 と、叫んだ。

 そんな彼の顔には見覚えがある。さっき間近で見たためだ。


「やあ、さっきはどうも」


 できるだけ親しげに挨拶したつもりだったが、”リザードマン”は一瞥しただけで視線をそらし、


『ソイツ、キモチワルイ。イレテイイノカ?』

『……どうにも頑固なヤツでね。それに、アタシもコイツにはちょいとばかり興味が湧いてきてる』

『アネゴガ……ソウイウナラ、カマワンガ』


 それだけで、あれほど獰猛だった”リザードマン”は引き下がった。


「へえ。リムって信頼されてるのな」

『……アタシはここの頭領だからね』


 なるほど、そうだったのか。

 どうりで、さっきもほとんど仲間から反対されなかった訳だ。


「結構若く見えるんだけどな」


 腰もきゅっと引き締まっていて安産型だ。……と、いう言葉を飲み込みつつ。


『歳は関係ない。六年前、アタシの親父が人間に追われた”亜人”たちのための街を創ろうって。その後、親父がくたばってからずっとアタシは、……ん』


 そこでリムは言葉を切って、


『……”人族”に何話してんだろ、アタシ』

「いいじゃないか。興味深いよ」

『ふん』


 京太郎は早足でリムと並んで歩き、村を見回す。

 ちょっと見ただけでも、ここが多様な種族の溜まり場となっていることが理解できた。

 猫顔、犬顔、虎顔、イタチ顔、熊顔、ウサギ顔。

 とにかく”亜人デミ”は種類が多いらしい。

 リムによると、その多くは”人族”が動物と交配して生まれたものだという。


――この世界の人間、レベル高すぎだろ。


 暗闇から覗き見る、ネズミ顔の”亜人デミ”の群れを横目に、京太郎はぽっかりと胸に穴が空いたような気持ちになっていた。

 その感情の在処を探りつつ、ぼそりと呟く。


「どうもみんな、辛気くさい顔してるな」


 よくわからないが、どこか、海外の貧民街を歩けば似た気持ちになるのかもしれない。


『無理もないさ。最近、炊き出しの量は減るばっかりだからね。みんな気力を節約してるのさ』

「そんなにマズい状況なのか?」

『まあね。……昔は上層に食べ物を獲りに行ってたんだが、最近は”人族”が入り込んでいて、危ないったらありゃしない』

「じゃあ、今は何を食べて生活してるんだい」

『苔と茸。あとは虫やコウモリとか』

「そこら中にいっぱいあるじゃないか」

『食用のとそうでないのがあるのさ。食用のはほとんど狩り尽くしちまった』


 なるほど。つまるとこ、あまり充実した食生活とは言えなさそうだ。


「ちなみに、一つ気になるんだが」

『なんだい』

「ひょっとすると、君らにとって私は、おいしそうな今晩のごちそうに見えているのかな」


 リムは京太郎を一瞥して、ぎらりと歯をむいた。

 後で気付いたのだが、それは彼女が笑みを見せた最初の瞬間である。


『……だとしたらどうする?』

「別にどうも。ただ、ちょっと気分が悪いだけだよ」

『安心しな。基本的に”人族”の血が混じってる”亜人デミ”は人間を喰わない。共食いしてるみたいでなんとなくキモチワルイからな。……あんたらだって猿は喰わないだろう?』


 どうだろう。

 中国の方では確か、猿の脳みそを食べる習慣があるって聞いたけど。


『でも、”リザードマン”とかその辺の連中は時々喰ってるみたいだよ? あいつら別に、”人族”の血、混じってないし』

「……さいですか」


 京太郎は苦い表情で顔を背ける。

 自分を捕食対象として見ているヤツが周囲にいるというのは、どうも気分的に落ち着かなかったためだ。

 時計を見ると、すでに二時を回っていた。


――予定では九時五時で仕事は終わるんだよな。


 そういえば、ソロモンからは元の世界への戻り方を聞いていなかった。

 一応、「五時過ぎに迎え出スカラヨロシクネー」とは言われているが……果たして信用できるだろうか?

 まあ、万一迎えが来なくとも、さほど深刻な問題ではないように思える。単に『ルールブック』に『帰還のための扉を創る』とか、そういうルールを書き込めば済む話だ。


――何にせよ、あと三時間か。


 そう思うと、京太郎の腹から、ぐう、と、冗談のように大きな音が鳴った。


『……人食いの話の後に鳴るもんかね』

「脳天気なとこだけがウリなんだ」

『言っておくけれど、アンタに出せる食料はないよ』

「問題ない」


――頼まれても虫とか食べたくないし。


「自分でなんとかする。……悪いが、そのへんの石垣で十分ほど休ませてもらっていいかい?」

『いいけど。……何をする気かね』


 京太郎は、近場にある石垣に腰掛けて、『ルールブック』を開いた。


――さて。ここからが腕の見せ所だな……。


 京太郎はまず、”生命”か”技術”かで悩んだ後、”技術”の欄に筆を走らせた。


【名称:回復の泉

 番号:SK-3

 説明:亜人の集落に一つずつある泉。直径5メートルほどの人工物で、中央部に噴出口がある。

 一見ただの観賞用の噴水に見えるが、飲むと体力が回復するスープが滾々と湧き出てくるのが特徴。

 スープの味は、

 月曜:トマトスープ

 火曜:コーンスープ

 水曜:オニオンスープ

 木曜:クラムチャウダー

 金曜:味噌汁

 土曜:コンソメスープ

 日曜:キノコスープ

 という具合に毎日味が変わることにする。

 なお、スープはその人が不足しているありとあらゆる栄養素を含んでいるが、栄養が十分に満たされると同時にスープは無味無臭となる(メタボ対策)。】


「――よし」

『なあ、あんた、何をやって……』


 リムが声をかけた、その時であった。

 京太郎が座っている石垣の前に円形のへこみが出現し、土が盛り上がってきて囲いとなり、中央部から壺に似たオブジェクトが生まれ出で……一つの形を為していく。

 やがて、思った通りの噴水が完成した後、シューッと湯気が辺りに満ちていき、……中央部の壺から、透明な水溶液が湧き出した。


『これはっ………む』


 リムは鼻をひくひくさせて、


『飲み物……スープか』


 京太郎は泉に人差し指を入れ、スープが思ったよりも温めなことに不満を覚えたが、


――まあ、猫舌・・の種族もいるだろうし、これくらいがちょうどいいか。


 そう思い直す。


「これを、この村に置いておく。スープは滋養強壮に良いように設定したから、飢えた者、病人なんかに飲ませてやってくれ」

『……しかし、』

「わかってる。このままじゃあ味が単調になるだけだろうし、別の食糧も……」

『そういうんじゃない。そういうことを言いたいんじゃないんだ。……ええと……』


 その後は言葉にならない。


――一応、毒が入ってないことも証明すべきか。


 京太郎は、両手で”回復の泉”のスープを一杯すくって、ごくごくと飲んでみせる。

 見た目は透明な水溶液であるのに、口いっぱいに広がったのは濃厚なコーンの味わいだ。


――ん。これなら何杯でもイケそうだな。


 ただ、少し塩っ気が足りないと思う。

 最近コンビニ弁当ばかり食べているからかもしれない。


「毒は入ってないから安心してくれ」


 リムはしばらく重々しい表情で”回復の泉”を見ていたが、やがて何事か、仲間の”ウェアウルフ”に耳打ちする。

 京太郎はその様子から、


「どうする? マジで余計なお世話だっていうなら、消すこともできるけど」


 そう言う。

 リムは首を横に振った。


『………………………………いや。置いといてくれ』


 そして、数十秒ほどの沈黙の後、さっそく数人分の木皿が運ばれてくる。

 運んできたのは、先ほど喧嘩腰だったフリンという”ウェアウルフ”だ。

 フリンは率先して”回復の泉”に木皿を差し入れ、スープをすくう。

 そして、ペロリと皿を嘗め、


『……なんだかフクザツな味だな』


 京太郎は、彼の尻尾がふわりと揺れたのを見逃さなかった。


「私の故郷にある、トウモロコシっていう……野菜? いや穀物か。とにかくそれを牛の乳で煮たもの……の、味を再現している」

『牛の乳か。ガキの頃飲んで以来だな』

「ここ、牛は育たないのか?」

『何度か地上のを攫ってきたことがあるが、迷宮メイズには肉噛み虫ミート・イーターが多くてな。長生きした例しがないんだ』

「……肉噛み虫ミート・イーターというのは?」

『さっき、お前も追っかけられてただろ。時々群れで現れては、村を襲う厄介なやつさ。喰われた子供も一人や二人じゃない』


 ああ、あいつらか。

 獰猛な連中だと思っていたが、そこまで恐るべき生物だったとは。

 京太郎は『ルールブック』を開き、


【名称:ミート・イーター

 番号:GG-232

 説明:平均体長30センチほどの昆虫。発達した前翅を持ち、ホバリング、高速な方向転換など高度な飛翔能力を持つ。また、口腔内から突き出た二本の採食器官は鉄鎌よりも鋭く獲物を切り刻む。

 群れで行動し、同種ではないほとんど全ての大型動物を捕食対象としているため、この世界におけるほぼ全ての知的生命体と敵対している。

 とはいえ、ミート・イーターは、洞窟などの奥深くに生息しているため、連中と出くわすのは戦闘力の高い”人族”か、洞窟内で生活する”魔族”ぐらいものだろうけど。】


 と、そこまで読んで、


【補遺1:今後、この生き物は”亜人”とその縄張りのものを襲わないことにする。】


 新たにルールを書き込んだ。

 まだ右も左も分からない立場で、そこまで特定の種族に肩入れするのもどうかと思ったが、ソロモンに言われたのは”魔族”の味方となることだ。

 どうやらミート・イーターは”魔族”ではないようだし……恐らくこの措置は間違っていないだろう。


「信じてもらわなくて結構だが、二度とそのミートなんたらが君らを襲うことはないと思うよ」

『…………』


 フリンは、一瞬だけ疑い深そうな視線を向けたが、特にそれについて何かコメントすることはなく”回復の泉”のスープのおかわりを口に運んだ。


「気に入ったかい」

『馬鹿野郎。毒味だ、毒味。命がけなんだぞ』


 彼に続いてもう一杯スープをいただいた京太郎は、気付けば町中の人々の注目を集めていることに気付く。

 どうやらみんな、スープの匂いに惹かれて集まってきたらしい。

 先ほど見かけたネズミ頭の子供たちを見て、


――よし。せっかくだし、もう一本……。


 と、『ルールブック』を開いた。


【名称:お菓子の家

 番号:SK-4

 説明:迷宮内部においてランダムかつ極低確率で起こる特殊な現象。

 迷宮を冒険していると、壁、扉、屋根、家財に至るまで全て菓子類で作られた不思議な一軒家と出くわすことがある。

 それこそ”お菓子の家”。ステキなボーナスアイテムの一種だ。

 “お菓子の家”はとても栄養価が高く、食べれば食べるほどエネルギーが補給され、冒険の傷も癒えていくことだろう。

 とはいえ、“お菓子の家”はみんなのものだ。お菓子を独り占めしようとする悪い子は、魔女がやってきてオシオキされてしまうぞ。

 補遺1:試供品として一つ、ここに用意してください。】


 単純に「目の前にぽんとお菓子を出す」だけでも良かったが、ちょっとだけディテールに凝ってみた。

 『ルールブック』の力がどの程度のものかという、個人的な実験でもある。


 時計を見る。そろそろ三時を回るころ。

 おやつの時間だ。


「…………よし」


 瞬間、”回復の泉”の傍らに、極彩色の建造物が建ち上がる。


 それは……“お菓子の家”というよりはどちらかというと、見上げるように巨大なホールケーキのように見えた。

 自分で産み出しといてなんだが、正気の沙汰とは思えない。

 とにかく、人間が口にするものにしては、全ての分量が尋常ではなかった。

 外壁は生クリームがたっぷり塗られ、屋根にはチョコレートソースが波状にふりかけられているのが見える。

 扉は恐らく、板チョコか何かだと思われた。取っ手の部分にはキャンデーがあしらわれており、握るだけでべたべたしそうだ。

 透明度の低い窓は、どうやら飴でできているらしい。

 そこから中を覗くと、最低限一人暮らしするのに困らない程度の家具が見えた。

 もちろん全て、綿飴とか、プリンとか、キャラメル、シャーベット、シュークリーム、あと名前もよくわからない外国のお菓子を組み合わせたもので創られている。


 少なくとも、京太郎が想定していた”お菓子の家”よりも数段美味しそうに見えた。

 とはいえ、三十過ぎたおっさんにはちょっと胃のもたれる光景であったが。


『わあああああっ!』『すげーっ!』『なにあれ!? なにあれ!?』


 背中の方から若い歓声が聞こえて、満足する。


「ちゃんと順番を守って食べさせてやってくれ。……そうじゃないと、ヘンな婆さんが出てきて説教してくるから」


 そう、リムとフリンにいってやる。

 振り向くと二人とも、京太郎が期待した……いや、それ以上に呆気にとられた表情を浮かべていた。


『アッ、アッ、アッ……アッ……!』


 自分としては、ほんの少し力を貸してやっているだけなのだが。


――これは、……ちょっと気分がいいな。


 胸の中に温かいものが流れ込んでくる。


 だから、ちょっとだけ調子に乗ってみたりして。

 ぐっと親指を立てながら。


「それで? ……他の“厄介ごと”ってのは何かな?」

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