第11話 定時
「それで? ……他の“厄介ごと”ってのは何だい?」
▼
完全なるイキり顔でそう宣言したのがマズかったのだろうか。
それから数十分後、坂本京太郎は丁重に軟禁されることが決定した。
とはいえ、待遇はあくまで”お客様”扱いらしい。
部屋も”亜人”たちの住まいの中では一番大きいところで、家具も充実していた。
ちょっと調べてみたところ、ここの家具は恐らく、先ほど通りがかった迷宮都市から運び込んできたものと思われる。
どれも少し古びているが、しっかりとした作りだ。
壁にはぎっしりと本が詰まった棚で埋め尽くされており、少なくとも退屈はしないだろうとわかる。
扉の外には、小間使いを自称する”亜人”(羊顔のメロフというらしい)が始終こちらの様子をうかがっていて、ちょっと用足しに行くだけでも口元を引きつらせる始末だった。
京太郎は、本の中から適当に一冊とりだして、その中身を読む。
もちろん、何が書いてあるかは見当もつかない。
それは、京太郎が知るあらゆる言語とも似ていない形をしているが、どうやら象形文字の一種らしく、文章にあまり規則性がないように思える。
――これ、イチから覚えたら絶対何年も勉強しなきゃなんだろうな……。
第二外国語はフランス語だったが、もはや基礎的な定型文ですら思い出せない。
外国語を覚えるのは、万里の道を行くのと同じ努力が必要だとわかっていた。
だからこそ……ちょっとだけ後ろめたい気持ちになりながら、
【管理情報:その8
管理人は、この世界の文章を完璧に理解できる。】
と、書き込む。
するとどうだろう。文字が、文章が、その意味するところが、すっと頭の中に入ってくるのである。
ぼろぼろの表紙のその内容は、以下のようなものであった。
▼
【――その地獄のような惨劇を起こした後、彼の者はこう言った。
「産んで、増えて、地を満たせ。地の全ての獣、空の全ての鳥、地に這う全てのもの、海の全ての魚はおそれおののいてお前たちの支配を受け入れるだろう。
でも、肉喰うときはちゃんと血抜きしてから喰うんだぞ。これ生活の知恵な。
あと人間同士の殺し合いはキホンNG。そりゃ俺も、あんまり細かいところまでは目が届かんけど、大規模な戦争みたいなのやるのはゆるさんからな。天罰とか落とすからな。
あ、そうそう。
今回の一件で例のクソッタレどもはほとんどくたばったはずだし、もう二度と俺発信で大規模な虐殺とかしないんでよろしく。
ぶっちゃけちょっとやり過ぎたなァって思ってる。
連中の命なんてそれこそゴミみたいなモンだと思ってたけどさ。思ったより気が滅入るんだもん。しょーじき引いたわ。
……え? だったら最初からそうするなって?
まあそういうなって。
俺も少し反省してさ。代わりにこの世界にスゲえ綺麗なもん残しておいたから。
”虹”って言うんだけどな。
雲の上から地上に向けてサーッと降りてくる七色の光なんよ。
これ見るたび、俺も思い出すからさ。
邪悪な連中っつっても、無碍にぶち殺して回るのは良くないってさ。
これ、約束っていうか契約な。
『ルールブック』に書き込んどいたから。
じゃ、俺、会社に戻るから。
また時々様子見に来るんで。たぶん。
達者でな、ノア」】
▼
どうやらそれは、この世界における聖書のようなものであるらしかった。
それによると、この世界は”彼の者”と呼ばれるものが引き起こした洪水によって一度、滅ぼされているらしい。
上記の一節は、大量虐殺を起こした後、運良く善行を目に留められて生き残ることを許された男に対し、”彼の者”が口にした台詞のようだ。
京太郎はしばらくの間、ぼんやりと形而上学的な悩みを弄んでいたが、やがて扉をノックする音に気付いて、外のものを招き入れる。
『あ、あ、あ、あのォ……ど、どうも』
そこにいたのは、思わず頭を撫で回してやりたくなるほど可愛らしい犬顔の、小柄な”亜人”である。
京太郎は努めて親しげに、口元に笑みを浮かべて、
「やあ。どうも。君はカワイイね」
最後の一言は余計だったか、自分でもよくわかっていない。
ただ、犬顔の”亜人”は困ったように笑うだけだった。
『あ、ありがとうございます。……その、魔法使い、様』
「京太郎でいいよ」
『では、京太郎様』
”様”が要らない、という意味だったのだが。
『ぼ、ぼくはシムと言います。京太郎様のお世話をしろ、と、ね、姉……リムから仰せつかっています』
「見張りってことかな」
『い、いいえいえいえ。そういう意味では、決して。……む、村のみんな、あの泉と……あとええと、あの大きなお菓子……を、すごくありがたがっていますよ。ぼくも一口いただきましたが、……お、お、おいしかったです』
「スープのバリエーションは今後、増やすようにするよ。……スマホで色んなスープの味をググろうと思ったんだけど、ここ、電波が通じてないみたいでさ」
『……はあ。デンパ?』
京太郎は細かい説明を抜きにして、
「一応聞くけど、調子が悪くなった人はいない? 君らの身体のことはよくわからないけど、案外とうもろこしとか、一部の甘味が苦手な種族もいるかもしれない」
『い、今のところ、そういう話は聞いていませんが』
「ならよかった」
『あなたは、』
シムは、少し言葉を選んでいる様子で、
『ほ、ほ、ほ、本当に、ぼくたちの村を救いに来たんですか?』
「なんどもそう言ってるつもりだけど。でも、手持ちの情報ではこれ以上君たちを信用させることができないんだ」
『いえ、十分です』
”亜人”の少年は、大真面目な顔で京太郎をまっすぐに見た。
『き、き、き、京太郎さまはリムに、魔族が絶滅すると、この世界も終わってしまうと、そう言ったそうですね』
「うん」
『そ、それ、……ぼくの考えと一致してるんです。だからリムは考えを改めて、あなたを村に案内することを選んだ。……ほ、本当は、どこか遠くの穴蔵にでも誘い込んで、閉じ込めてしまうつもりだったそうなんですけど』
「そうなの?」
目を丸くする。
村までまっすぐ案内されているものと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「でも君、なんでそんなことを話すんだい。黙ってたらわからなかったのに」
『そ、そ、それは、……ぼくと、リムなりの誠意です』
「ふむ」
京太郎はもっともらしく頷いて、先を促す。
仕事と割り切ってるせいだろうか、それともほとんど他人事だからか。
さっきからわりと酷い目に遭わされてるはずなのに、そんなに腹が立たないな。
そんなふうに思いながら。
『こ、細かい話は省きますけど、……魔族が使う術は、この世界にある種の影響を与えるんです。そ、そ、それは人間が使う術とは真逆の反応をこの世界にもたらすことがわかってて……つ、……つまり、ま、魔族と人族は、それぞれ同じくらい力を使って初めて、世界の均衡が保たれる、んです』
「ふーん」
鼻息と共に世界へと溶けて消えてしまいそうな「ふーん」であった。早口でオタク知識を披露された一般人がするものと同様のものである。
『あ、あなたはきっと、”人族”の間では高名な魔術師なんです。そして、ぼ、ぼ、ぼくと同じ考えに至った。でも、……知っての通り、”人族”と”魔族”の溝は深い。……だ、だから、人知れずぼくたちの味方になるためにここまで来たんだ。そうでしょう?』
「ええと……」
京太郎は鼻の頭を掻いて、どう答えたものかと迷った。
なんだか勝手に都合良く勘違いしてくれているので、「その通りです」と言ってやっても良い気はする。
とはいえ、向こうが誠意を持って接してくれているというのに、事実を偽るのも気が進まない。
それに、妙な勘違いを生んだままでいると、長期的な問題を生む可能性もある。
「確かに私は、かなり色んなことができる魔術師であることに変わりないんだけども……」
――実際は、ただのサラリーマンなんだ。
そう言おうとした、次の瞬間だった。
じりりりりりりりりりりりりり!
耳をつんざくベルの音が鳴り響き、京太郎とシムの間に一枚の鉄扉が出現する。
その扉には見覚えがあった。数時間前、ソロモンに招かれて通った、あの扉だ。
スマホをのぞき見る。午後五時ぴったりだった。
待っていると、扉が自然と開き、面接の時に見かけた巨乳の美女が顔を覗かせた。
「お疲れ様ぁ」
「あっ、どうも、お疲れ様です」
口をぱくぱくしているシムを横目に、
「ええと、もう帰っていいんですか?」
「もちろん」
京太郎は鞄を手に取って、苦く笑う。
「……ええと。そういうことだ。定時が来たので、私は帰ることにする。また明日、九時に出勤してくるから、リムにはそう伝えておいてくれ」
鉄扉をくぐる。
なんだか百年ぶりに戻ってきたかのように懐かしい、文明の香り。
エアコンの効いた社内が、そこにあった。
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