第4話 接近遭遇

『MOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO』


 幅四、五メートルほどの道路を猛烈な勢いで進みながらも、尻から伝わってくる衝撃はほとんどない。なんなら片手を離してスマホを眺めている余裕もあるくらいだった。


「いいぞ、……そのまま、”人族”か”魔族”のどっちかがいる場所まで案内してくれ」

『MO!』


 また、”ジテンシャ”は人語を解し、ある程度は自律走行が可能らしく、口で説明すればどんなところにも案内してくれるようだ。

 十数分も走った頃には、京太郎はこの不思議な生き物を好きになり始めていた。

 先ほど速攻で消そうとした埋め合わせという訳ではないが、


「いやー、君を創って良かったよ!」


 そう言ってやる。

 すると”ジテンシャ”は嬉しそうに数度、いなないた。

 中学生の林間合宿で馬に乗ったことがあるが、あれもここまで賢い生き物ではなかっただろう。

 せっかくなので、スマホの録画機能を使って馬(?)上の風景を撮りながら、京太郎は口元に笑みをたたえる。

 自分の脳みその中の、異常な事実を受け入れるための部分がもの凄い勢いで開拓されていくような気がしていた。


――もう今後、どんなことが起こっても驚く気がしないな。


 実のところそれは全くの勘違い、ただの思い込みに過ぎないのだが、少なくともそのときの京太郎はそう思った。

 彼が最初の”人族”、――そして”魔族”と出会ったのは、それから数十分ほど走ったころである。



 なだらかな石畳の上を走っていると、身体に負担がかからない程度に”ジテンシャ”が速度を落としていくのに気付く。


「……どうした?」


 独り言ちると、キィン、キィンと、耳に鋭く、金属が打ち合う音が聞こえた。


「おっ、おおっ。やってるやってる」


 気分は、たまたま立ち寄った公園で映画の撮影をしているのに気付いたかのよう。

 どうやら、この先にある区画で大立ち回りが繰り広げられているらしい。

 ”ジテンシャ”を降り、慎重に身を隠しながら様子をうかがう。

 争う者たちの姿は、すぐに見つかった。

 片や、革の鎧に身を包んだ人間たち。

 それに対するのは、――明らかに人外のものだ。

 身体は人間に近い形状だが、首から上が……巨大な蜥蜴のものにすげ替えられている。

 京太郎は、すぐさまそれが何者か察することができた。


――ロールプレイングゲームで言うところの……”リザードマン”ってとこか。


 そう仮定してみると、意外なほどすんなり、その異形の存在を受け入れられる。

 全身をびっちりと覆った赤い鱗に、高さ三メートルほどの巨躯。

 心臓と股間のみ保護するように造られた鋼鉄の鎧は、それだけで京太郎の手に余るほどの重量感がある。

 その左腕には円形の盾。

 右手には青龍偃月刀をお化けにしたような剣が握られていた。

 骨、肉、鱗、尾、武装。

 どれをとっても”リザードマン”は鈍重そうな見た目であるのに、その動きは異様なほど俊敏である。


――なんか……アニメでも観てるみたいだ。


 距離が離れているせいだろうか。京太郎にはそれが、とても現実感のある光景にはみえない。

 まるで、テレビ画面の中にいる怪獣でも眺めているような気分であった。


 ”リザードマン”の数は三体。

 人間の数は六人。

 戦闘は”リザードマン”優勢に見えた。

 なにせこの怪物、手持ちの剣を振るうだけで強烈な風圧を巻き起こし、口からは燃えさかる火炎を吐くらしい。


「すっげ……」


 さすがにその光景には心打たれて、しばらく見守っていたい気持ちに駆られる。

 だが、すぐさま自分の使命を思い出し、『ルールブック』を開いた。

 目を走らせたのは、本の中でも最後の方……”管理情報”の項目。

 先ほど簡単に確認したところ、どうやらここは、他ならぬ京太郎自身の性質を決定づけるものらしい。

 ここに来るまでの間、京太郎はすでにいくつかの項目を書き込んでいた。


【管理情報:その1

 管理者の言葉は聞き手の母国語に変換される。また、異世界人の言葉も管理者には日本語に変換される。】


【管理情報:その2

 管理者の身体、および管理者の衣服・持ち物(特に眼鏡)は、ありとあらゆるダメージを受け付けない。】


【管理情報:その3

 管理者の精神に干渉するような術は一切受け付けない。】


【管理情報:その4

 管理者を攻撃しようとする全ての術は発動しない。】


【管理情報:その5

 管理者の周囲十メートル以内で、管理者に向けて使われた危険物は、全て自壊する。】


「よし……、と」


 我ながら慎重すぎるだろうかと思う。

 その3と4とか、意味、ほとんど被ってるし。

 とはいえ、他ならぬ自分自身の安全のためだ。用意しすぎるということはない。


 念のため、近場にある棒きれで自分の手を叩いてみた。

 すると、棒きれは手に当たる瞬間、塵となり、空気中に溶けて消えてしまう。


「よし」


 これで一安心。

 そして大きく深呼吸。


「…………………………………!」


 覚悟を決めて、ゆっくりと歩を踏み出す。

 そこで、人間の一人が”リザードマン”の一撃を腹部に受け、ぱっと血液を宙に舞わせた。


「しまッ……! ディードリッド!」


 女性の悲鳴が耳に聞こえる。どうやらやられたのはディードリッドという”人族”らしい。

 慌てる。このまま、のしのし歩いていっては間に合わない。

 ので、さいきん運動不足気味なところ、実に数年ぶりに全力疾走することになった。


「待て、待て待て待てきみたちっ! そこまでだ!」


 そう叫びながら両者の間に割って入る。


「一般人っ!? こんなところにっ?」


 人間の一人、……ふわふわしたブロンド髪が特徴的な女性が驚愕に目を見開いた。

 京太郎はそれを無視して、


「喧嘩はよくない。みんな、落ち着け」


 両者の間に割って入る。間髪入れず、その首元めがけて”リザードマン”の剣が振り下ろされた。間近で見るそれは京太郎の想定を遙かに上回って素早く、躱しようもない。


「――――ッ!」


 あまりの迫力に、さすがに背筋が凍った……が、怪物の一撃は『ルールブック』が示すとおり無効化され、むしろ剣の方が根本から腐れ落ちていく。


『ナ、ナンダぁ!?』


 野太い声を上げたのは、”リザードマン”の方である。


――あ、良かった、こいつらもちゃんと話通じるのか。


 内心ほっとしつつ、


「やあ、君。私は君たちの敵じゃない。だから今回のところは引き下がってくれないかな」


 蜥蜴の頭を持ち、口から火を噴く怪物に向けたものとしては、我ながらかなり説得力に欠ける言葉だと思う。

 彼らは京太郎の言葉を無視し、当然の権利と言わんばかりに続けざま二度、巨大な剣を振り下ろす。――結果として、彼らの武器が二つ、使い物にならなくなった。

 その様子から一転攻勢に出たのは、”人族”の戦士である。


「今がチャンスだ、ソフィア!」


 若い、小柄な青年が短剣をとる。

 もちろん、京太郎は彼の前にも立ちはだかる必要があった。

 今の京太郎はどちらかというとむしろ、蜥蜴頭の連中に味方する必要があったためだ。


「だから、喧嘩はやめるんだ。君ら、もっとこう平和的に、じゃんけんとかで決着つけるわけにはいかんのか」

「なっ! お前、じゃ、邪魔するのか!」

「いや、邪魔とかそういうんじゃなくってさ」


 泥と血で汚れた青年が、およそ正気の人間に向けるものとは思えない顔を向けている。

 そんな彼の手のひらで、短剣がボロボロと崩れ落ちていった。


「――う、嘘だろッ! 俺の剣がッ」


 京太郎は苦い表情で両の手を叩き、


「ほらみんな、解散! 解散!」


 そう言ったが、この場を穏便に引き分けたいと思っているのはどうやら、この宇宙で坂本京太郎一人だけのようだ。

 武器を失った”リザードマン”は、それでもまったく戦意を失っていないらしく、京太郎につかみかかる。

 無力な京太郎は人形のように捕らえられ、それこそ万力のような力で身体を締め付けられた。

 ……が、もちろん痛くもかゆくもない。

 京太郎は、「間近で見るとこの顔、鱗がびっしり生えてて不気味だな」と、思った。


『ナ、ナンダァ!? オメェ……』


 さすがに不気味に思ったのか、”リザードマン”の目が見開かれる。


「私は君らの味方だよ。信じてくれ」


 慈母をイメージした表情。

 だがどうやらこの場において、京太郎の話す言葉は一切受け入れられないことが決まったらしい。


『オイ、ナニヤッテル! カセ!』


 しばらく、京太郎は”リザードマン”の間で人形のように手渡しされ、玩具のように地面に叩き付けられたり、鋭い爪で引っかかれたりした。

 無論、京太郎には傷一つつかない。”リザードマン”たちの爪が丸くなり、スーツが埃で少し汚れた程度である。

 その間も京太郎は熱心に和平交渉を試みていたが、


『……コイツ、キモチワルイ!』


 不覚にも率直な感想が”リザードマン”の口から発された時はちょっどだけクスッとした。


「もういいだろ。……痛い想いをする前に、みんな仲良くしなさい」


 勝者の笑みを浮かべつつ、お父さんのように言ってやる。

 とはいえ、目の前の怪物を叩きのめすようなルールは書き込んでいなかったため、そのときの京太郎は、実質的な戦闘能力など皆無に等しいのだが。


『クソッ!』


 蜥蜴頭の怪物たちは、『シーッ、シーッ!』と、独特な呼吸音による合図を発して、一目散に立ち去ってしまった。

 残されたのは、上着をはたく三十過ぎの男が一人。


 そして、どういう表情カオをすればいいかわからずにいる”人族”の探索者たちであった。

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