第3話 ルールブック

 京太郎はまず、『ルールブック』を精査する作業から始めることにした。

 その中身をぱらぱらとめくり、最初に書かれた文字列にさっと目を走らせる。


 ”管理者用”と赤くて大きいハンコを押されたその本の索引は六つ。


 《基礎ルール》《時間・空間》《文化・思想》《生命》《技術》《管理情報》。


 このうち、今の京太郎に改変する権限があるのは、《生命》《技術》《管理情報》だけらしい。試しにそれ以外のページにテスト感覚で書き込んだところ、すうっと、溶けるように文字が消えてしまった。


「へえ……」


 後なってみれば実に些細なことであったが、これは京太郎が初めて魔法を体験した瞬間である。

 京太郎はまず、自分には弄れないという《基礎ルール》の最初の項目に視線を走らせた。


【名称:天

 番号:ST-1

 説明:上の方。この世界の上空には、虚無のみが広がっている。】


【名称:地

 番号:ST-2

 説明:基本的にはランダムに配置された土によって形成されている。地にある全ての存在には生命のエネルギーが宿っており、それらは万物の命の根源である。

 補遺:この世界は巨大なテーブル状である。】


【名称:光

 番号:ST-3

 説明:なんか忘れてると思ったらこれ。全てを照らす神エネルギー的な何か。

 補遺:細かい設定はまた今度考えることにする。】


【名称:闇

 番号:ST-4

 説明:光とは真逆のもの。半日周期で光は消滅するため、その代わりに世界に満ちるもの。

 補遺:今はまだ構想段階だが、闇を喰って生きる、みたいな、超クールな生命体を考えるつもり。


【名称:空気

 番号:ST-5

 説明:空気とは、WORLD0147を包む大気の下層部に存在する気体である。

 空気中には生命エネルギーが漂っており、そのエネルギーはこの世界に存在するほぼ全ての生き物の活動に必要不可欠のものである。

 以上の性質から、一定時間空気を身体に取り込めなかった生命は死亡するものとする。】


――神様ってのはどうも、ずいぶんざっくばらんとした書き方をするんだな。


 京太郎は唇をへの字にして途中を読み飛ばし、ぱらぱらとページをめくる。


【名称:人族

 番号:ST-168

 説明:我と同じ形のもの。これまで創った、魚とか鳥とか地を這うものは基本、全部コイツらの手下ということにする。つまり強キャラ。

 コイツらは毒とかその辺の例外を除いてなんでも食えるし、他の動物に比べてセックスするとかなり気持ちいいってことにする。なのですごい増える。

 増えすぎるといけないので、我々に比べてすごい死にやすいことにする。

 イメージとしては、一日に千人死ぬけど、代わりに千五百人くらい子供が産まれるとか、そういう感じ?

 補遺:一応、この世界はこいつらで地が満ちるようにする予定。】


【名称:魔族

 番号:ST-169

 説明:人族と対を為す存在。いろんな形をした愉快で知的な生き物の総称。

 精神のエネルギーを物理的に作用させる能力を持っていて、一般的な人族の百倍くらい強い。

 でもその分、あんまり数を増やすのが得意じゃない。】


「精神のエネルギーを物理的に……、か」


 だんだん、文脈がわかってきた気がした。


「なんか、RPGだな」


 少しこの世界をデザインした何者かに親近感を覚える。

 恐らくこの『ルールブック』の書き手は、『ドラクエ』とか『FF』を下敷きにしたようなファンタジー世界を創造したかったのだろう。


 そこでいったん、京太郎は『ルールブック』を読みふけるのを止めにして、行動を開始することにした。

 

――ここでこうしていても始まらないからな。


 そう思えたためだ。

 とりあえず、今いる場所を把握して、世界の情勢を理解する。

 じゃっかん慎重さを欠いている気がしたが、無理もなかった。

 もし、自分をこの世界に連れてきた者が何か、……神とか宇宙人とか、そーいう超常的なサムシングなのであれば、怠惰であることが許されるはずがない。

 とにかく今日中に何か一つ、成果を残さなければ。



 それから京太郎は、一時間ほどその廃都を歩き回った。

 で、わかったことがある。

 なんだか、壮大に時間を無駄にしている気がする、と。


 というのもこの空間、とてつもなく広いのである。

 新宿駅こそがこの世で最も広大な地下施設だと思い込んでいたのだが、ここはそれよりも遙かに大きい。

 どうやらここは、およそ百メートルごとに仕切られた碁盤目状になっていて、構造そのものはわりと単純らしい。

 とはいえ、倒壊した建造物や複雑な高低差が重なって、街はほとんど迷宮と化していることは間違いないのだが……。


「おーい、誰かーっ! 誰かいませんかーっ」


 ダメ元で何度か叫んでみたが、声は空虚に反響するばかり。

 緑豊かな場所であるにも関わらず、この辺を根城にしている動物はいないらしい。


「やれやれ」


 少し、くたびれてしまった。ここ最近運動不足であるせいだ。五、六年前であればこのくらい屁でもなかったというのに。


――こうなってくると、できるだけ早くこの区域から脱出すべきか。


 京太郎はスーツが汚れるのもお構いなしに近場の石段に腰掛け、再び『ルールブック』を取り出す。

 そしてポケットから万年筆を取り出し、ほとんど思いつくままに『ルールブック』の空きスペースに文字を書き込んだ。


【何か足になるもの】


 しかし、例のごとくすうっと文字が掻き消える。


――確かソロモンさんは……これを使え、とか言ってたけど。どう使うんだ?


 そこで、先ほど見た文面を思い出し、


【名称:ジテンシャ】


 と書き込む。

 今度は文字が消えなかった。


――なるほど。ちゃんとフォーマットに沿って書かないと役に立たないのか。


 そこで、さらに続きを書き込むことに。


【番号:SK-1】


 番号の上にくっつけた文字には深い意味はない。単純に、京太郎のイニシャルを使っただけである。


【説明:管理人である、坂本京太郎の足になる乗りもの。ペダルをこぐことで車輪が回り、前進する。

 車体は白色でかなり軽く、こぐのにほとんど力がいらないのが特徴。

 サドルは凸凹でも尻が痛くならないよう、柔らかめのクッションにしてほしい。

 あと車輪はかなり頑丈に出来ていてちょっとやそっとでは壊れないってことで。】


「あとは……ええと……電動式にすべきかな。ああでも、そうなるとどこで充電するんだって話になるし……」


 などと考え込んでいると、――突然だった。

 ビシ! と空気が揺れるような音がして稲光が走り、目映い光線を発しながら、京太郎の目の前で一つのものが形成されていく。


「お、おお!」


 京太郎の胸ぐらいの高さに二つの車輪。

 白く、頑強そうなボディ。

 そして、――毛むくじゃらの尻尾。


「お、おおおっ、……お?」


 時が経つにつれ、それは京太郎が思い描いていたのとは少し違う形をとっていることに気づき始める。


『MMUOOOOOOOOO、MOOOOOOOOOOOOOOOOOO』


 まずそれは、京太郎の知る”自転車”ではなかった。

 どちらかというと、馬……いや、驢馬ろばに近い。

 驢馬と決定的に違うのは、その脚部が四つの車輪である点、腹と思しき部位からペダルと思しき部位が生えている点だろうか。


「う、う、うわっ。キモッ!」


 自身の創造物でありながら、思わずそう言ってしまったのも無理からぬ話である。

 京太郎の常識において、身体に車輪が組み込まれている生命というのは存在していなかった。

 ホイール部はどうやら、骨が変化したような物質で構成されているようで、いかにも脆そうに見える。また、地面に設置している部位はちゃんとタイヤ状に変化していて、そこには分厚い皮膚が張ってあるらしい。


『MOOO…………』


 ”ジテンシャ”が哀しげに鳴く。


「なッ、な、な、な……」


 なんでこんなことに。

 とてつもなく背徳的な真似をしてしまったという実感があった。

 例えるなら、この宇宙に存在する、ありとあらゆる生命体を辱めてしまったかのような。

 慌てて『ルールブック』で確認したところ、原因は明白であった。

 どうやら京太郎は、『ルールブック』内における”生命”の欄に先ほどの文面を書き込んでいたらしい。

 恐らくだが、”ジテンシャ”は”技術”あるいは”管理情報”に書き込むべき情報であったようだ。


「こ、これはマズい……はやく消さないと……」


 と、先ほど『ルールブック』 に書き込んだ部分を消し去ろうとする……が。


『MMMOOOOOOOOOOOOO』


 明らかに意志を持った目と目が合う。


「う…………」


 万年筆を握りしめる指が、ぶるぶると震えた。

 いますぐ”ジテンシャ”をこの世から消し去ってしまわねば、情が芽生えてしまうのは明白だった。


「う、うう、う……………………うううう…………」


 喉の奥から、獣のようなうなり声がでる。


「うう………」

『MO…………』



 結局京太郎は、”ジテンシャ”を消すことは出来なかった。

 十分後、時速五十キロで迷宮都市内を走り回る京太郎の姿がそこにあった。


 乗ってみると、”ジテンシャ”は意外なほど快適だった。

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