第71話 魔族の姫

 ”冒険者の宿”が誇る最高級の一室は、もはや見る影もなかった。床が抜けた今や、どこかの廃墟の方がまだ過ごしやすい、といった具合である。


「うっそ……! わ、わ、わ!」


 破壊を免れた床板にかろうじて引っかかっている、という感じで、アリアが悲鳴を上げた。


「もーっ! ステラさん、一つ借しですからね!」


 シムは抜け目なく失神した従業員を回収してくれている。


「じゃ、行ってきまーす」


 あとは全て仲間に押しつけて、ステラはひょいと下の階に落下した。


「なんだなんだァ!? おい!」


 下の階では気の毒な一般”探索者”が目を白黒させている。夫婦なのか、恋人同士なのか、ほとんど裸でベッドの中にいた。

 もちろんステラはそれを無視して、ポケットから石ころを取り出す。

 今回行使する術はこれ一本と決めていた。あんまり多彩な戦法を人前で見せるのは今後の不利益を伴うし、”人族”のカモフラージュにもなるためだ。


「…………………ウウッ」


 ラムは落下のタイミングで床板に左足を引っかけ、怪我をしたらしい。


「あら? やっちゃった? いいよ回復しても。持ってるんでしょ? 治癒系の”巻物スクロール”」


 圧倒的強者の余裕で、ステラは譲歩する。


「待っててあげるから。ほら」

「…………………ッ!」


 女の表情はわからないが、さぞかし苦虫をかみつぶしたような顔になっているに違いない。だが意地を張っていても仕方ないのも事実。使えるものなら相手の慢心だろうが利用するのが”人族”の習性だ。

 ラムは、ばっ、と、ベルトの”巻物”を仕舞うバッグから一本の長い紙を引っ張り出す。

 それには見覚えがあった。おそらく”マジック・アイテム”ショップで売っている最も安価なC級品だろう。

 これは通常の”巻物”を作る過程に”弟切草”と呼ばれる不穏な名前の薬草を混ぜ込んだもので、主に外傷を癒やすために使われる。

 使い方は単純。紙を患部に押し当てて、


「穢れよ移れ、穢れよ移れ……」


 キーワード(買った店によって若干異なる)となる呪文を唱えるだけ。

 同時に、”巻物”は黒く変色して消滅した。

 血がにじんでいた女の足首は、今や綺麗さっぱり。傷跡すらない。便利なものだ。


「よし。じゃ、やろっか」


 改めて手のひらの中の石ころに力を宿らせる。二人に向けて部屋主から猛然と抗議する声が聞こえていたが、ステラは完全に無視した。彼らが恋人の安全を第一に考えるのと同じように、ステラも今は相手のことしか見えていない。

 とはいえ、彼女の親愛を表現する手段は少々変わっていて――


「いっくわよー!」


 ぎゅん、と、光の弾が今度は三発撃ち込まれる。対する暗棒使いの女は横っ飛びに跳ね、かろうじてそれを躱した。


「甘い甘いッ!」


 ステラは光の弾の威力を一時的に消滅させる。同時にただの石ころに戻った弾丸は部屋の壁で跳ねた。そして、


「んで、――こう!」


 そのタイミングで再び石ころに魔力を注ぎこむ。

 再び光の弾丸と化した石ころは、正確に女の背を追いかけた。


「――ッ!」


 だが、女も負けてはいない。

 身を躱しながら、暗棒使いの女は奇妙な動きをしていた。手持ちの杖をちょうど8の字を描くように振ったのである。瞬間、彼女の周囲に威力は弱いが広範にわたる衝撃波が生まれ、光の弾の軌道をことごとくそらしていく。

 そして、改めて体勢を立て直して反撃、――させるほど相手に猶予を与えるつもりはなかった。


 ステラはすかさず彼女に飛びかかり、胸部を引っつかんで人形を扱うように投げる。

 だが敵も運がいい。放り投げた方向は、半裸の男女が震えているベッドの上だ。

 布団が宙に舞い、悲鳴が上がる。余談だがステラはこのとき初めて男性のアレを目にした。虐待を受けた芋虫みたいだと思った。


「…………ぐっ、……ごほ……!」

「さあて、どうする? 降参かな?」


 裸の男女が部屋を飛び出していくのを見守ってから、ステラは尋ねる。

 その足下には、ラムが取り落とした杖が転がっていた。


「………降参ですって? だ、誰がッ!」


 どうやら彼女も負けん気はあるらしい。ラムはベッドから転がり落ちるようにして飛び降り、杖を探る。どうやら彼女の目が見えていないのは間違いないらしく、見当違いの場所だ。ステラは少し悲しくなって、


「そんな有り様なら、もっと静かな生き方を選んでもよかったのに」

「う、うるさい……!」

「もう一度聞くけど。降参する?」

「ふざけないで……!」


 仕方なく、足下の杖を手に拾い上げる。と、そのときだった。


「うッ!?」


 手のひらに違和感。見ると肌の表面が黒く変色している。どうやら腐り始めているらしい。


「これは……! ――盗難防止用の術ね」

「はっはっはー! 私をアホの子扱いした罰ですって!」


 頭の上からアリアの野次が飛んだ。


「ええと……ステラさん、手伝いましょうか?」


 シムの心配そうな声。


「いらない」


 毒は両方の手のひらを侵食し、もはや使い物にならなくしている。放っておいても自然治癒するだろうが、この戦闘中に回復するのは難しいだろう。


 そこでラムは、指を組み合わせた不思議な印を組んだ。

 すると、杖はひゅんと飛んで彼女の手に収まる。

 どうやらみっともなく武器を探る仕草はブラフだったらしい。


「……悪いわね。なんでも利用するのが私たちのやり方なの」

「気にしないで。勉強になったから」


 ステラはにっこり笑う。

 人によっては怒りを押し殺しているようにも見えただろうが、これは本心からでた言葉と感情だ。


――面白いわ。弱者には弱者なりの戦い方があるってこと。


 戦場においては、手元にある何もかもが事態を有利に運ぶための手札となり得る。

 そしてそういう連中を叩いて潰して、……その先にあるのが、


――最強。


 まだまだ道のりは長い。

 ステラはにっこりして、もはや肘のあたりまで変色を始めている両の手を見た。


「……降参するなら見逃してあげますが?」

「言ってくれるわね……」


 ラムの言葉に、首を横に振る。


「でも、ごめん。……あいつの隣にいるためには、……世界を取り戻すためには、こんなところで負けてられないの」

「よろしい」


 暗棒使いの女は身構えた。


「しかしその手では、先ほどの”マジック・アイテム”はもう二度と、……」


 その次の、瞬きする間もない刹那。

 ステラは、思い切り左足に力を入れて跳ねた。

 そして右膝を前に突き出して、渾身の蹴りをラムの顔面に浴びせる。


「えっ……………………あ……?」


 そのまま空中で一回転。

 左回し蹴りを彼女の腹部へ。

 ずど、という鈍い音がして、内臓の破裂を実感する。


 あ、ちょっとやりすぎたか、と思った時には遅かった。


「ご、ぽ……っ!」


 その言葉を断末魔に、ラムの全身が青い光に包まれる。

 そして、


 ドゥ――――――――ン!


 あまり耳慣れない衝撃音と共に、魂魄が壁をすり抜け、蒼空に向けて飛び去っていった。

 どうやら、誤って殺してしまったらしい。


――立ち回りから十中八九”不死”だとは思ってたけど。……良かった。


 ほっと嘆息する。彼女と再び相まみえる機会が永遠に失われてしまった訳ではなさそうだ。


 最後の一撃は、ほんの一瞬間の出来事だった。もとよりステラが勝負が決めるには、それで十分だったのだ。

 上階から見守っていたアリアは唇をぶるぶる震わせて、おびえている。


「そ、そ、そんな…………あの来夢が………」


 とはいえこれは、当然の結果であった。

 造物主の手によりこの世界のルールを定められた時から、”魔族”は『一般的な人族の百倍くらい強い』とされている。

 ましてや彼女は、”魔王”の血を引く者、――正統なる”魔族”の姫。


 常人如きが相手になる訳がなかったのだ。

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