第105話 二人の管理者

――そうであってほしくない、とは思っていたんだが。


 京太郎は哀しげに”異世界用スマホ”を取りだし、……”彼女”の名を唱えた。


 着信音は、三度。

 そして、


『はぁい。もしもぉし~』


 昨夜と同じ、気楽な声で返事がある。


「やあ、――ウェパル」

『ん。その声はどなた?』


 それには応えず、京太郎は出し抜けに訊く。


「”勇者狩り”っての、君だろ」

『はあー? 何の話?』


 いかにも、とぼけたような口調。

 反論できなくなるまで追い詰めてみろ、と。

 そういうつもりだろうか。

 考えてみれば、おかしなことはいくつもあった。


――人の命を預かる仕事にも関わらず、柔軟性に欠ける就業時間。

――京太郎が帰社した時はいつも会社にいるウェパル。

――存在しないはずの場所にいる”勇者”の影。

――人数分に足りない《ゲート・キー》。

――そして昨夜、……何も言わずに姿を消したこと。


「何より昨日、会社に戻ってから色々試したけど、――結局電話が通じたのは、だけだった」

『んー………?』

「昨日の昼前、君はうっかり私からかかってきた電話に出てしまった。その時、いずれ私に秘密がバレると気がついたんだ。だから計画を大幅に早めた。違うかい」

『にゃんのことやら?』

「……ふざけないでくれ。頼むよ、ウェパル」


 京太郎は思い切り肺に空気を吸い込んで、


「最初から、――。そういうことだろ」

『うみゅー』

「常識的に考えてみれば、新米の私がたった一人で現場を任されること自体、妙な話だったんだ。――きっとソロモンさんは、君が私の導き手になると思ったから、簡単な説明をしただけでこの世界に放り出した」


――あるいは。


 この数十日、ソロモンと会えなかったことすら、……彼女の手のひらの上だったのかもしれない。


『ふみゅー』

「最初は君だって、ちょっとした意地悪のつもりだったんじゃないか? 子供じみた新人いびりさ。……それが、日を追うことに引っ込みがつかなくなってしまった」

『むむむ』

「……あの、ウェパルさん? ちゃんと聞いてる?」


 同僚は、しばらく黙った後、


『ソロモンに、……このこと、言う?』


 と、か細い声で言った。

 京太郎は苦笑して、


「君が言って欲しくないなら、黙ってるよ」

『そう』

「ただ、条件がある。――さっさと街を襲っているワイバーンを撤退させてくれ」

『ダメよ』

「え?」

『あなたがあなたなりに進めてきた計画があるように。――私にも、私の計画がある』

「それって、どういう……」

『単純。――あなただってもうとっくに気付いているでしょ?』


 その時、京太郎の背筋を、何か冷たいものが撫でた気がした。


『私はこの瞬間のために、……ずっと準備をしてきたの。――それを、ちょっと前に入ってきたばかりやつに……、邪魔されてたまるかッ!』


 知る限り、ウェパルが、――そのように激しい感情を露わにしたのは、それが初めてだった。

 京太郎はいったんスマホから耳を離し、


「いけないっ。リカ、何か危険が迫っている可能性がっ!」

「ふむ?」


 老人は片眉をくいっと上げて、空を見上げる。

 その瞬間だった。見上げる空に、入道雲を吹き飛ばす一筋の閃光が見えて、――

 老人は歓声を上げた。


「ほーほぉっ!? 懐かしい! ありゃあ、ノアの、……ッ!」


 瞬間、彼に直撃する形で、一本の、――京太郎にはミサイルにしか見えない形状の巨大な矢が突き刺さる。


「リカッ!」


 叫ぶが、もはや事態は常人の手でどうにかなる問題ではない。

 その時の轟音は、京太郎がこれまで聴いた中でも最も暴力的で、破壊的で、恐怖を伴うものだった。

 もし京太郎が『ルールブック』に”無敵”のルールを書き込んでいなかったら、恐らく鼓膜を突き破られていたことは間違いない。

 それは、音を通り越してもはや、衝撃波の一種であった。

 全身に振動を感じながら、辛うじて薄目を開けて見えたのは、――”鉄腕の勇者”の両目が爛々と輝き、その顔に満面の笑みが浮かんでいるところだ。

 その両腕を覆い尽くすように”鉄の手袋”が顕現している。

 シムを殴ったときと比べてそれは、より武骨で、大きく、鋼鉄製の鬼の腕を思わせる形状に変化していた。どうやらそれで極太の矢を受け止めているらしい。


――心配ない。多分。


 その予想、……というか確信は正しかった。


「ずぉ、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お、お、おりゃあッ!」


 老人が叫ぶと、大空目掛け、矢の起動が逸れる。

 すかさずリカ・アームズマンは近場にあった拳くらいの石を拾い上げ、力一杯、飛び去った矢へ投擲。


――何を……?


 と、疑問に思ったのも一瞬。

 カッ! と西の空が輝き、世界の終わりを想起させる強烈な光が、グラブダブドリップの街を照らした。


――やっぱりミサイルじゃないか。


 どれだけ寝坊な住人でも、今朝の目覚ましで起きなかったものはいないだろう。

 京太郎は改めて、個の武力が街一つを救ってみせた感動に震えている。

 映画や漫画の世界にしか登場しないはずの、本物のヒーロー。


――これが”勇者”の力か。


 なんならちょっとサインをもらいたいくらいの気持ちである。


「あー……いちちちちち……」

「リカ……ッ! 大丈夫ですか」


 京太郎が目を剥く。先ほどまでその両手に確かに存在していたはずの”鉄の手袋”が、今やぼろぼろになって消失してしまったためだ。


「そんな……っ!」


 造物主レベルの”管理者”が作りだした”マジック・アイテム”が、――壊れた。


「……あの酔っ払い、未だ現役か。……おお、痛ぇ」


 京太郎は『ルールブック』を後生大事に抱えて、リカに走り寄る。


「な、治します!」

「いらん。唾つけとけば治る」


 リカは素っ気なく言う。

 京太郎はもう一度スマホに向かって、叫んだ。


「何故だ! ウェパル!」


 スマホから返答はない。

 当然である。

 彼女は今、――堂々と二人の前に姿を現わしているのだから。


「…………………」

「……君は、……本気で……」


 ウェパルは、京太郎のものと同じデザインの『ルールブック』を片手に持ち、――庭園の奥の、ちょっとした丘になっているところからこちらを見下ろしていた。

 その時京太郎は、会社で見かける彼女と、目の前にいる彼女が本当に同一人物か疑う。


 全身に殺気を身にまとい、敵意満面でこちらを見下ろす彼女は、――それでもなお、美しかった。

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