第106話 世界樹囓り

 ウェパルに見惚れていられたのは、ほんの一瞬だった。

 彼女はすたすたすたすたと早足で京太郎の前まで歩いて、

 

「とりゃっ」

 

 その向こう脛に、鋭いローキックを浴びせる。


「いッ! ……ってぇ!」


 いつものようにダメージが無効化される……そう思い込んでいたせいだろうか。

 京太郎はその場にくずおれて、じりじり痛む脛を押さえた。


「約束したよね? 次、勝手に早く会社に来たら、脛を蹴るってさ」


 歯を食いしばりながらも、


「ウェパル。――何故だ」


 単純に、不思議でならない。


――あー……いや。やめとく。異世界の食い物とか、お腹壊すかもだし。

――そんな馬鹿な。くだらねー異世界人ごときに?

――だってあいつら、馬鹿の集まりじゃん。まともに二足歩行してるのが不思議なくらいだよ?

――ああ、ひょっとして異世界人の一匹や二匹ぶっ殺した、とか?


 彼女が異世界人を見下していたことには気付いていた。

 だからといってこれは、あまりにも……。


「説明、いる? ――この世界を本当の意味で害しているのは”勇者”だ。だからそれを滅ぼす。おしまい。なんて簡単な話なんでしょーね?」

「しかし、……そんな”勇者”を産み出したのは我々”管理者”じゃないか。その責任を取る必要がある」

「ばーか!」


 ウェパルは叫んだ。子供のように。

 もちろんいい年した大人なのだから、その後、ロジカルな反論が展開されるものと思ったが、彼女の意見はそこまでのようだ。


――なるほど。つまり私は……ばかなのか?


 思わずそう納得しかけたが、顔をぶんぶんと横に振って、


「争う必要はない。リカ・アームズマンとは協力できそうだ。矛を収めてくれ」

「いーやっ」


 ウェパルはまるで意に介さず、というか話し合いにすらならない感じで『ルールブック』を開き、自身の周囲にそっと漂わせる。

 どうやら彼女も”新規ルール作成”に似たルールを採用しているらしい。


「――リカ・アームズマン。お前の”鉄の手袋”は破壊した。……今から、この街を巨竜が襲う手筈になってる。お前にはこの街を、……家族を護れない」

「……ふむ」

「今すぐ自決なさい。――そうすれば、お前の家族は永遠の繁栄を約束するよ」

「断る」


 リカはあっさりと言った。


「ワシ、もともとあんまり、子孫の繁栄とか気にするタイプじゃないのよ。だからこの街の子孫ガキどもにもほとんど財産遺しとらんし」


 ウェパルが押し黙る。

 だが、その眉間にくっきりと刻まれた皺が、言葉で述べる以上に不快感を露わにしていた。


「……だったら、このグラブダブドリップは、我が僕と化した巨竜によって滅ぼされることになるよ」

「わかっとらんな、お嬢ちゃん」

「お嬢、……なんですって?」

「”勇者”であるための、ただ一つ条件を挙げるなら。……自分を含めた何もかもを救うという、強い意志を持つことだ」


 そして次の瞬間、京太郎の感覚では突如として爆走中のジェットコースターに乗せられたみたいに、視界が揺れる。

 気付くと、小脇に抱えられる格好でリカに抱っこされていた。


「な、――逃げるのか!? また・・!」


 もの凄い勢いで遠ざかっていくウェパル。その声に振り向きもせず、リカWith京太郎は庭園を抜け、歓楽街の裏路地を行く。


「まったく。……”管理者”同士も揉めることがあるんじゃの」


 老人は片眉をくいっと上げて、ちらとこちらを見た。

 京太郎はというと、あまりのことに混乱していて、今はソシャゲの公正なSSR取得確率について考えている。。


「救いは、オ主が100%こっち側っぽいことかの。……頼りにして良いか?」


 京太郎は、柔軟体操もせずに激しい運動をする危険性をGoogle検索したいな、などと思いながら、


「ええ、大丈夫です」

「ならまず、――あの小僧と合流しておく、か」


 迷路のように複雑な構造の路地をマッチョな年寄りのお姫様だっこで駆け抜ける辱めを受けながら、京太郎たちはとある教会の前で足を止める。

 教会は、グラブダブドリップ各所に点在するもののうちの一つで、この街ではわりと珍しい、六階建てでかなり背の高い建物だ。


「たぶん、ここじゃの」


 リカは、建物の屋上部に連なる壁の大穴目指して、ひとっ飛びに跳ねる。

 そこは、距離にして庭園から数百メートルほど離れた場所だった。つまりシムは、これだけの距離をワンパンで吹き飛ばされてきたのである。恐らく常人であれば、グロいもんじゃ焼きと化していたことは間違いなかった。

 二人がひょいと壁穴に飛び込むと、そこには教会の関係者と思しきおじさんが三人ほど立ちすくんでいる。

 彼らは突如飛び込んできた”鉄腕の勇者”に、目を白黒させていた。

 部屋の片隅には、瓦礫のベッドに倒れているシムと、その傍らで彼を庇うようにして羽を休めているフェルニゲシュの姿がある。


「シム! フェルニゲシュ! 生きてるか!」

『おお、――戻ったか。……その様子だと、”勇者”の懐柔に成功したか?』

「まあ、そんなとこだ。ただ、それとは別の問題が起こってる。シムは大丈夫か?」

『問題ない。いま”槍”を握らせているから、己れの《自己再生》で間もなく全快するだろう』

「待ってられん。――治れ」


 京太郎はシムに手を当てて、強制的に意識を回復させる。

 《擬態》を解いた狼顔の少年は、まず薄目を空けて――京太郎の顔を認識するやいなや、すぐさま目を覚ました。


『きょ、きょうたろうさま!』

「ああ、私だ。――最悪の事態になった。敵はもう一人の”管理者”だ」

『え。えええっ。……ええええええええええええええええええッ!』

「できるだけ速く事態を受け入れて、知恵を貸してくれ。――彼女の目的はリカを始末することらしい。そのためには、この街を壊滅することも厭わないようだ」

『……そ、そんなぁ……』


 その時だった。


「おいあれ見ろ!」

「うわあああああああああああああああああ!」

「どうなってる!?」

「もうおしまいだァ!」


 数名の悲鳴が聞こえて、その場の全員が北の方角に視線を向ける。

 そこにいたのは、――


「……ぬ」


 かつて見た、火竜フェルニゲシュに勝るとも劣らない巨竜の姿だった。

 それをみた京太郎の頭に浮かんだのは、――「」という言葉。


 どう考えても異常だ。不自然なのである。あのように巨大な生き物が空中を浮遊している、という事実が。

 確かにその、太陽を覆い隠さんばかりに巨大な八枚の羽根は力強い。だがそれだけで十分な浮力を得ているとは到底考えられなかった。

 そう思わせる程度に、その顔つき体つきは重い・・

 それはまるで、鉛製の鎧を身にまとった男が、両腕のじたばただけで空を飛んでいるかのようだ。


 その全体像は、フェルニゲシュのそれに比べて遙かに鈍重で、手も、足も、首も太い。

 闇色の鱗で覆われたこの竜の身体の部位に、細く、弱々しさを感じるような箇所など一つたりとも存在しないように思えた。


 朝靄の中、銀色の眼が輝いて見える。

 そのすぐ下にある口元には……焔が蒼く揺らめいていた。


 そして、


『――そんな馬鹿な!』


 フェルニゲシュは、彼にしては珍しく恐怖に染まった声を上げる。


『あれは、――”世界樹かじり”のニーズヘグではないか! どうしたことだ……!?』

「知ってるのか雷電?」


 フェルニゲシュはどうやら新しいあだ名で呼ばれた程度に思ったらしくそれを無視して、


『”竜族”の追放者だ。――確か、とうの昔に封印されたと聞いたが……、いや、それどころではない!』


 火竜は叫ぶ。


『あれがひとたび力を振るえば、――こんな街など一瞬で吹き飛ぶぞ!』

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