第107話 ニーズヘグ
ニーズヘグと呼ばれる、極めて危険な古竜について一般に知られるようになったのは、意外にもごく最近のことである。
なにぶん”竜族”と呼ばれる連中は長寿ゆえののんびり屋が多く、娯楽といえば口伝による即興の物語作りしかない。そのため彼らから話を聞くと、とんでもなく”盛られた”話を聞かされる羽目になるのだ。
例えば、誤って蝶を踏み潰したことが大嵐の原因になったり、ちょっとくしゃみをしただけで産業革命が始まったり、百年溜め込んだ小便が大河となって文明が興ったり、親戚のおじさんとの牛皮のやり取りが通貨の発明に言い換えられたりする。
そんな”竜族”と同じくらい気長なとある”探索者”が、彼らの言葉尻をいちいち捕まえて質問しまくった結果、一匹の古竜の実在が明らかになった。
それこそが、”世界樹噛み”のニーズヘグだ。
かつてこの竜は、体長三センチほどのひねくれたチビに過ぎなかった。
しかし、
彼が危険視された原因は一つ。
天を衝くような巨躯を手にしてなお、例の”世界樹噛み”健康法を辞めなかったことによる。
――このままでは文字通り、世界が根っこからひっくり返ってしまう。
やむなく当時の”魔王”は彼に勝負を挑み、激しい戦いの末、ニーズヘグを北の山岳地帯に追いやった。
力の源を失ったニーズヘグは、ひどく気を滅入らせた癇癪持ちの古竜となり、誰彼構わず近づいた者を傷つける厄介な存在として、”竜族”の間で語り継がれる存在と成り果てたのである。
なお、”魔族”たちによる慎重な調査の結果、”世界樹”がただの巨大なトネリコの木に過ぎず、根っこをいくら囓っても特に健康に影響しないことが判明したのは、彼が”迷宮”を追放されてから数年後のことであった。
▼
……と、いうような話をフェルニゲシュと長々としていたわけではない。
目の前にいるドラゴンがどういう背景を持っているかどうかは、ぶっちゃけ大した問題ではなかった。
京太郎たちの前にそびえ立っている問題は単純で、大きく一つ。
なんかすごく強そうな怪獣が、街を滅茶苦茶にしようとしている。
それだけだ。
闇色の鱗の竜は、蒼い焔を口内にみなぎらせ、天を仰ぐ。その喉元に、何か得体の知れない光源がせり上がっているのが見えた。
ネズミが大災害を予知するように、京太郎も迫る危険を察知せずにはいられない。
「……くっ!」
この街の人々。この街の仲間。この街の暮らしそのもの。
命の蝋燭が、たったいま、一息で吹き消されようとしている。
『”新規ルール作成”ッ!』
――間に合ってくれ。
瞬間、目の前に現れたのは【グラブダブドリップ】の項目。
【補遺:管理者は、この街に存在する”人族”と”魔族”の気配を第六感的に捉えることができる。】
その下に、今までの人生でかつてないほど正確な速筆で、
【ほい2:このまちの いきものは だれも ケガしない しなない】
後々考えてもこれは、奇跡に近い集中力とスピードだった。あんがい”エリクサー”が効いているのかもしれない。
最後の一文字を書きながら、
「――念のため全員、私の後ろへ!」
とはいえ、一行は辛うじて災禍の中心を逃れることとなる。
意図的なものか、それともわざとそうしたのか。
ニーズヘグは狙いを若干逸らす形で、京太郎たちのいる教会の半分を消し飛ばす。
まるで、いまから起こることをよく見ていろと言わんばかりに。
不思議で、壮絶な光景だった。
ニーズヘグの口から放つエネルギー波は、どうやら物質を粉々に分解する働きがあるらしい。まるで、緻密に描かれた街の地図を一閃、白い筆で塗りつぶしたみたいに建物が消滅していく。
大規模な破壊につきものの、強烈な衝撃波が発生することはなかった。
ただ、一瞬前まで存在していたはずの建物が、街の光景が、消失した。どこにもなくなった。まるで、最初からそこに何も存在していなかったみたいに。
光線が走り抜けた後、残ったのただ、月面のように空虚な土だけだ。
恐るべき古竜の意図通り、京太郎たちはそれを、為す術なく観ていることしかできなかった。
教会から望む美しいグラブダブドリップの街並みが、――海辺に建てた砂のお城のように崩れ、細かい塵となって消滅していくところを。
シムあたりがみっともない悲鳴を上げていた気がしたが、轟音のためほとんど聞こえなかった。
こんな時でもちょっとだけシュールな絵面だったのが、なんだか遠巻きににこちらを見守っていた教会のおじさんたちである。彼らはまともに破壊光線の直撃を受けた。もちろん彼らには”ダメージ無効”のルールが働いているため光線の影響はない。
しかし、――衣服の方はそうではなかったらしく、一人残らず素っ裸に剥かれることになった。魔法少女モノの変身バンクみたいだと思った。
京太郎は、裸のおっさん数名がが明後日の方向に飛び去っていく光景を見送ってから、
「全員無事か!?」
振り向くと、シムが半泣きでこくこく頷いている。
『てっきりぼく、し、死んじゃうかと……』
「一応、この街の中にいる限り誰も傷つかないルールを書き込んだ。少なくとも今後、死者はでないはずだ」
それは、ウェパルに人殺しになって欲しくないという京太郎なりのエゴであり、――願いでもある。
これがもし、この世界の住人同士の争いであれば、介入もためらおう。
だが、今さっき状況が変わった。
これは、”管理者”同士の、互いの正しさを証明し合う戦いだ。
誰かを傷つけるわけにはいかない。
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