第8話 人狼

「話を聞いてくれ……聞けよっ、おーい!」


 虚空に向けて声を荒げること、数十回。

 なんだか自分がとんでもない間抜けを晒しているような気がしていた。

 いろいろなパターンの声かけを試してみたものの、襲撃者側の返答はない。

 なんだか一人芝居をしている気分になりながら、灰色の柱が並び立つ洞窟内を進む。

 洞窟の天井近くには相変わらず謎の発光体が浮遊していたが、都市部に比べてその数は明らかに減っており、あたりは少し薄暗くなっているようだ。


「私は、――あんたたちと話がしたいんだがっ。すまんが、誰か代表の者と……」


 その時だった。

 のそり、という擬音がぴったり当てはまる様子で、一人の”魔族”が顔を出したのは。

 身の丈は京太郎と同じくらいだろうか。

 その”魔族”の首から上はやはり、人のものではなかった。

 ぴんと真上に立った三角の耳に、暗闇でもぎらぎらと輝く瞳。顔中を覆う銀色の毛並みに、口元からのぞき見える、鋭い牙。

 京太郎のファンタジー知識と照らし合わせれば、その正体は自ずとはっきりしてくる。


――へえ。人狼もいるのか。


 顔を合わせたその怪物は、茶色いチョッキに灰色のズボン、しっかりとした革の長靴を履いており、いかにも文明人めいて見える。

 彼が間違いなく襲撃者の一味だと断言できるのは、その背に矢筒と弓があるためだ。

 とはいえ、少なくとも、――先ほど見かけた”リザードマン”と比べると、いくぶん話しやすそうには見える。


「あ、どうも……っす」


 一瞬、あまりにも様になっているその立ち姿に目を奪われ、混乱してしまっていた。

 実を言うと、京太郎は数あるファンタジー生物の中でも人狼が世界で一番カッコいいと思っている。

 道ばたでちょっとしたスターに出くわしたような気分で、右手を差し出す。


「私は坂本京太郎だ」

『…………何者だ。何の目的で来た?』


 右手は空気を掴むような形になった。

 京太郎はそのまま、


「ある人に頼まれて、君たちの手助けに来たんだ」

『…………………はあ? ”人族”のお前が?』


 そこで気付いたのだが、あるいは『ルールブック』で自分の見た目を変えておけば、ここまで辛辣な対応を受けずに済んでいたかも知れない。

 とはいえ、今更後悔しても遅い。京太郎は京太郎の姿のまま、交渉を続ける必要があった。


「見た目だけ、君たちの敵に近いだけさ。こう見えて私は、こことは違う世界の生まれでね」

『…………………ほう?』

「とにかく、君らの住処に案内して欲しい。私の望みは、君らの繁栄を手助けすることなんだ」

『……一応聞くが、……逆の立場だとしてお前、いきなり現れた妙なヤツを自分の家に招き入れるか?』


――ふむ。確かにそれは絶対嫌だな。


 そう思う一方で、京太郎は「この狼男なら話せばわかる」と確信する。

 先ほどの”リザードマン”と違って、まだ彼は理性的だと思えたのだ。


「聞いてくれ、私は……」


 その時だった。目の前の”人狼”とは別の個体が、京太郎の背後から覆い被さるように襲いかかってきたのは。


「うわっ」


 為す術なく、京太郎は押し倒される。

 間髪入れず、ぬめっとしたものが口から喉元にかけて絡みついた。

 ぞおっと背筋が寒くなる。どうやら噛みつかれたらしい。

 京太郎は、大学時代に酔っ払った部活の先輩に思いっきりベロチューされた時のことを思い出しながら、これは果たして人生二人目のキスにカウントして良いものか、迷う。


『――――グッ、グエエエエ………』


 思ったよりも早く拘束は解かれた。

 京太郎は苦い顔をして、


「止めとけって、怪我するのはそっちだぞ」


 どうやら、噛みついた人狼の牙が壊れてしまったらしい。


『ぐえッ! ぐうううううッ!』


 声と、胸部の膨らみから判断するに、その人狼はメスのようだった。

 ほっと胸をなで下ろす。

 キスの相手は基本的に女性に限ると常々思っていたためである。


『――あ、姉御ッ!』『大丈夫か!』『この野郎、何やりやがった!』


 同時に、あちこちの死角に隠れていた人狼たちが顔を出した。それぞれ、彼らの体躯にふさわしい長弓で武装している。

 反撃したと勘違いされる前に、京太郎は素早くメスの人狼にのしかかり、その口腔に右手を突っ込んだ。


「――治れ」

『ウッグッ、ガッアッ!』


 ”姉御”と呼ばれた人狼はすぐに大人しくなり、やがて『フーッフーッ』と、鼻息荒く京太郎を押しのける。

 右手と口元をハンカチでふきふき、金色の、宝石のように美しい目と目があう。


『……アンタ、何者だい?』


 眼鏡をくいっ、ネクタイを締め直しながら、


「坂本京太郎という」


 本日何度目かわからない自己紹介。

 彼らに本当の意味で言葉が通じたのは、この瞬間であろう。


『……マジで、アタシらとやりあおうって気はない?』

「ああ。神に誓うよ」

『やれやれ』


 京太郎は、そっと手を差し伸べる。

 人狼はそれを無視して、自力で立ち上がった。


『さあて。……どう決着つけたものかしら』

「本当に、悪いようにするつもりはないんだけどな」

『わかってないね。タダより高いモンはこの世に存在しないのさ。……あんたが他の”人族”にアタシらの住処の場所を売り渡さない理由がどこにある』

「ない」


 京太郎は率直に言った。


「ただ、ここで引き下がるつもりもない。もしどうしても私を追い返したいのならば、手と品を変え、別のアプローチで君らの住処に向かうだけだ。……言っておくけれど、その方が君らにとって厄介なんじゃないかな」

『…………………そう、かもね』

「わかってくれ。私としては、ただ君らと友好的な関係を築きたいだけなんだ」

『……勝手に人の庭に入り込んで、首根っこ押さえつけるような”友達”がいるかね』

「先に手を出したのは君らだろ」

『…………フゥム』


 毛むくじゃらの顔面から、その表情は読み取りづらい。

 だがその時ばかりは京太郎も、彼女がどういう気持ちでいるかわかる気がした。


『……難儀だねえ。こちとら、厄介ごとがたまりに溜まってるってのに』

「一応、信頼は行動で勝ち取るつもりでいる」

『……………ウウム』


 しばし、困惑と、恐怖と、沈黙がその場を支配していた。

 京太郎は、百年でもここで粘り続けるつもりでいる。

 その覚悟が伝わったのだろうか。

 折れたのは、人狼が先だった。


『ついておいで』


 のちに、その人狼は名を名乗った。

 セカンドキスの相手の名は、リムと言うらしい。

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