第61話 外出命令
今朝、自室待機を命ぜられたばかりのソフィアの元に
政府公認の”探索者”が待機を命ぜられた場合、基本的に”ギルド”の外に出ることは許されない。その辺の木っ端”探索者”と違って、彼女たちのように”勇者の仲間”であることを認められた”探索者”はある意味、それだけで強力な”マジック・アイテム”、――すなわち兵器になるためだ。
とはいえ、待機中の扱いは決して悪くはない。
食事は建物内にある立派な食堂で摂ることができるし、政府公認の”ギルド”は様々な娯楽施設も完備している。ソフィアはそうしたサービスを利用したことがないが、必要ならば男を買うことだってできるだろう。
そうでなくても、各種嗜好品、欲しいものならなんでも取り寄せてもらえるから、出不精なソフィアなどはむしろ、時間を無駄にせずに読書に耽ることができて気楽だと思っていたほどだ。
もちろん、のほほんと休みを愉しんでいられたのは、今から五分ほど前までの話。
彼女の前には、――ここ最近の頭痛の種でもある、”正義の魔法使い”を名乗ったあの奇妙な男が座っている。
そしてその横には、……。
「どうしました? ソフィアさん?」
「いえ」
「こういうところでは、一人一品注文するのが礼儀ですよ」
「わかってます」
国民保護隊きっての”暗殺者”、アリア・ヴィクトリアがいた。
アリアは、名字があることからも分かるとおり名家の生まれで、末席ながら王位継承権を持つ大物だ。……とはいえ、”勇者”によって支配されるこの世界において、”王”などという称号はもはや象徴以外の何者でもないが。
――良くわからないけど、のっぴきならない状況なのは間違いないですワね。
嘆息して、ソフィアは二度目の昼食を摂る。
「日替わり定食を。食後はレモン汁を垂らした紅茶で」
”探索者”の悲しい性か、食べようと思えばいくらでも入る身体になってしまった。
「あれからどうしてたんだい?」
「どうしていた、というと?」
「迷宮で別れた後、さ」
「別に、普通でしたワ。みんなで地上まで戻って、……いまは休暇中です」
通常、”迷宮”に一度潜った”探索者”は一ヶ月ほど休暇をとるのが普通だ。これは”チレヂレの呪い”の影響で入場制限があるためでもあるが、連続して”迷宮”のような危険地帯に潜ると精神的なダメージが蓄積し、いずれ戦士として役に立たなくなってしまうことがわかっているためだ。
かつての”魔王”討伐の際、”勇者”が二人脱落したのも戦闘によるストレスが度重なったお陰で、遂に発狂してしまったためだとされている。
この世界には”うつ病”という言葉はないが、公認”探索者”はその経験から、肉体に受けたダメージ同様、精神に受けたダメージも回復には時間がかかることを知っていた。
「ええと……その、ちなみにそちらは、いつお戻りに?」
「あれ? ロアから聞いてないの?」
「はい。休暇には基本的に仲間と会わないことにしているのです」
「そうなの?」
「休日にわざわざ上司と会うなど、きっとみんな気疲れしてしまうでしょう?」
「あの子はそんなの、気にするタマには見えないけどなぁ」
そして”正義の魔法使い”は、慣れた調子で話し始める。
第二階層の守護者、火竜フェルニゲシュに攫われたこと。
その後、転送に失敗があって”迷宮”にいたこと。
混乱している間にソフィアたちと出くわしたこと。
「あの老竜、――フェルニゲシュが時折そういういたずらを働くことは聞いていましたが、……なるほど、そういう事情でしたか」
「そういうことだ」
ソフィアは話を聞き終える前に食事を済ませ、今は食後の紅茶に口をつけている。
その表情には落ち着いた笑みが浮かんでいたが、内心、
――よくもまあ、ぬけぬけと……。
ここ十数日分の怒りが渦巻いていた。
すでにアル・アームズマンから説明を受けている。
自分に何らかの呪いがかけられていること。
その呪いの発動条件がどうやら、”正義の魔法使い”に関する相談をした場合に限られていること。
これだけの情報を得るのに、アルにはずいぶんと迷惑をかけた。
あれこれ試した結果、二人は、現在ソフィアが置かれている状況に関する当たり障りのない情報のみ共有に成功している。
今でも、メモに似顔絵を描いたり、捜索を手助けする可能性がある行動をとると、急に頭がぼんやりしてペンを取ることができなくなっていた。
お陰でアルは未だに”正義の魔法使い”の外見を知らないはずだ。
――しかし、……依然としてこの男の正体は分かりませんワね。まさか”人族”の身で、本気で”魔族”と和解しようとしているわけではないでしょうし……。
いや、わからないか?
世の中には変人も多い。とはいえ、自分自身を捕食対象として見ている相手を……わざわざ……。
「あの時、不思議なことをおっしゃってましたワね。――確か、”友好的な魔族”がどうとか……」
「ああ、それな」
男は、いかにも若気の至りを恥じ入るように笑って、
「フェルニゲシュからいろいろ話を聞いてね。それをちょっと真に受けていて……」
「結局、出会えましたか?」
「え」
「その、”友好的な魔族”に、です」
「えーっと。……いや。会えなかった、よ。人生、そうそううまくいかないもんだよな」
「でしょうね」
詐欺師は、どのような大嘘の中にも一分の真実を交えるという。
ソフィアは彼の話の中から、なんとか真実を見いだそうとしている……が、不器用な彼女にはそれが難しい。顔面に何発かお見舞いして話を聞き出せるのなら手っ取り早いが、この男の戦闘力が計り知れないことはわかっていた。
――それに、どうやら今は、怖いオトモダチも付いているようですし……。
シム、ステラと名乗った二人の美男美女は、一見どちらもくつろいでいるように見えて、先ほどからずっと殺気が漏れ出ている。その様子はまるで、ここが敵地のド真ん中であるかのようだ。
とはいえ、
――彼が私たちを助けたのも事実。ディードリッドの傷を癒やしたのも事実。ロアのために貴重な”マジック・アイテム”を分けてくれたことも。
実を言うとソフィアは、彼が少なくとも悪人ではないという不思議な確信があった。この男の言動からは、悪党特有の「こいつを利用してやろう」という匂いがほとんどしない。彼女は、自身の動物的な直感に頼って付き合う人間を選んできた。そしてそれは今のところ、一度として外していない。
恐らくだがこの男、ある種の天然というか、良かれと思ってしたことが他人に良くない影響を与えてしまうタイプだと思われた。
「あの……ずっと気になってたんですけど、あなた、いったいいくつの”マジック・アイテム”を所有しているんでしょう?」
「悪いが、それは言えないな」
「ここでおっしゃらなくても、”ギルド”の資料を漁ればわかることですよ」
「”ギルド”には一切、“マジック・アイテム”の登録をしないようにしてる。手札を第三者に晒すリスクの方が大きいからね」
「それは……そうかもしれませんが」
ずいぶんと慎重なことだ。東方系の外国人であることから察するに、何か後ろ暗い過去があるのかも知れない。
――ええい。私は元々、こういう駆け引きが大嫌いなのに。
政治的な駆け引きを愉しみたいのであれば家など出なかった。
”探索者”という仕事が素晴らしいのは、白と黒がはっきり分かれている点だ。
”人族”は白。”魔族”は黒。
ソフィアは小さく深呼吸して、思い切って訊ねてみる。
「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
「なんだい」
「最近、……その、私の友人と、あなたについて話そうとしたのですが……それがうまくいかないのです。お陰でずっと苦しんでいるのです。……思い当たる節は?」
「ある」
男はあっさり言った。ソフィアの読んだとおり、彼もまた、陰謀を好むたちではないらしい。
「実はあのあと、とある術をかけた。私を害そうとする相談ができないようにね」
「やっぱり!」
「しかし、――ということは君、私を害そうと思ったということになるが」
そういう”正義の魔法使い”は、少し哀しげだ。
「何かマズいことをしたかな? 知らないうちに傷つけたとしたら理由を教えてほしい。私はこの通り世間知らずだから、自分がした行動の是非がよくわかっていないところがある」
ここのとこずっと、――この男を悪魔のように呪ってきたものだが。
なんだか、こうしてみると独り相撲だったような気もする。
「別に、……あなたを害そうとしたわけでは」
言いながら、ソフィアは自分の心の中に矛盾を見つけた。
リカ・アームズマンに相談しようとした時はそうだったかもしれない。
だが、アルバート先輩に話そうとした時には……確かに、彼を害する覚悟を固めていた。
あの人は学生時代から苛烈で、手段を選ばない人だったから……。
「それより、一刻も早く私の呪いを……」
「悪いがそれはできないな。私と、私の仲間が傷つく可能性があるかぎり」
”正義の魔法使い”は、眉間にしわを寄せ、
「それに、一つあなたは誤解してる」
「え」
「私は別に、あなたに個人的に術をかけたわけじゃないよ」
「それって、どういう……」
「私が術をかけたのは、この世界そのものに、だ」
「はあ?」
その意味を問いかけようとした次の瞬間、四人の頭の上を三つ、蒼白く輝く光の線が飛び去っていった。
光の着地点は公認”ギルド”のすぐそば。教会だ。
「あれは……?」
男が不思議そうにそれを見る。
「見たことないんですか?」
「ああ」
「あれは、……”探索者”の魂魄です」
言いながら、ソフィアの胸に嫌な予感が去来する。三人もの公認”探索者”の死。もちろん、”迷宮”探索に出ていれば珍しいことではない、が。
――いまの魂、地下から飛んできたように見えませんでしたワね。
ということは、この”探索者の街”のどこかで死者が出た、ということで。
しばらく待っていると、物見高い住人が教会から飛び出して、叫ぶ。
「おい、アームズマン家の者が三人、いちどにやられたってさ! うち一人はあの、アル・アームズマンだとッ!」
誰よりも先に駆けだしたのは、アリア・ヴィクトリアであった。
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