第62話 復活の儀式

 もうこうなったらソフィアにも協力してもらおうと思っていた矢先のできごとであった。


「おい、ちょ、――」


 アリアが椅子を蹴り、メイド服をはためかせながらテラス席付近の木柵を軽く跳び越え、走り去っていく。一瞬、なんだか彼女のキャラらしからぬ雰囲気をまとっていた気配がしたが、無理もないか。大事なご主人様が刺されたのだ。


――これからじっくり話そうと思ったのに。


 間が悪い。

 だがこの場合、優先すべきはアル・アームズマンと接触することだろう。機会を逃せば彼女に置いてかれる羽目になる。


「きょ、京太郎さま」

「行こう、シム。ステラ、支払い頼む」


 そう言い終える頃には、ステラは「釣りは要らない」と金貨を一枚親指ではじき、店主の目を輝かせていた。


 ステラ、京太郎、シム、ソフィアの順番で店を出て、四人は教会へ駆ける。

 なお、この世界の教会はもちろんキリスト教とは関係がない。この街で主流なのは、どうやら小さな女の子の姿をとった女神像を信奉する不思議な宗教らしい。みんなして美少女フィギュアみたいな石像に頭を下げているため、京太郎は密かにロリコン教と呼んでいた。

 教会に入ったのはその時が初めてだったが、内部はサイゼリヤの壁紙によく見られるような、見事な筆致の壁画が多数、見受けられる。

 京太郎が故郷とする世界においても宗教画から職業画家の歴史が始まったように、この世界でも芸術の発展と宗教は切っても切れない仲なのかもしれない。


 教会には座り心地の悪そうなベンチがずらりと並んでおり、見物人で席は埋まっていた。

 かつてヨーロッパでは罪人の処刑はある種のエンターテインメントとして受け入れられていたと聞くが、この世界では死者の復活も見物人が押しかけるらしい。


 人混みの間から背を伸ばすと、奥には献花に埋まるような形で棺が三基、並べられていた。

 棺は京太郎の知るものよりも少し豪華で複雑なデザインで、寝心地の良さそうなベッドにも見える。ちょうど顔の辺りが開くようになっていて、そこから今朝見かけたばかりのアル・アームズマンの顔が覗いていた。


 棺は今、蒼白く輝いており、その手前には眠そうな顔つきの、青いローブを身にまとったおじさんがいる。彼の手には鉛のコップが握られており、その中には赤々と火を放つ不思議な液体が満ちていた。

 眠そうなおじさんが重々しい手つきでコップを傾けると、トロォーリと赤い液体が垂れ、死者の頭部に降り注ぐ。京太郎は子供のころテレビで見た、死体に扮した芸人にいたずらする不謹慎なコントを思い出していた。

 だが次の瞬間、脳天気な京太郎も「おお」と唸らされる光景を目の当たりにする。

 赤い火が、蒼白く輝いていた死者の全身に広がり、混ざり合って美しい紫色となり、教会の天井近くまで燃え上がったのである。

 火は一瞬にして収束し、一人の人間の身体の中へと閉じ込められる。

 すると同時に、


 ばあん!


 と、棺の蓋が蹴り上げられた。その時、眠そうなおじさんの鼻に蓋が当たってちょっと可哀想なことになる。

 蘇った死者はそのような些事に囚われることなく、


「くそ。なんたる……屈辱っ」


 それは、復活の儀式に見慣れた住人も後ずさりするような剣幕だった。

 京太郎は密かに、「あ、死ぬと素っ裸になるんだ」と思う。そして、その股間に視線をやって、「負けた」とも思った。恐らくだがその場にいた男衆の大半は京太郎と似た感情を抱いたに違いない。それだけ、アル・アームズマンの逸物は強大で……。


「アルさま! お召し物を!」


 いつの間にか人混みを抜けていたアリアが、白いケーブを差し出す。

 男はそれを無視して、棺桶から躍り出た。

 アリアもそれ以上は衣服の着用を強制せず、彼の耳元にさっと唇を寄せ、何ごとか囁く。

 するとアルは、一般的な感性の者であればゾッとせざるを得ないような表情になって、きっと前を見た。


――おや? 誰を見ているのだろう。


 なんだか、まっすぐ自分に視線が向けられているような気がしないでもない。

 だが気のせいなのかも知れなかった。アイドルが観客席奥の壁に視線を向けることで、その場にいるみんなが目があったと錯覚するあの現象に違いない。


 アルはそのままの格好で、ぺたぺたとぷらぷらと裸足のままこちらに歩み寄ってきた。


「あ、アルさま……その、危険かも、ですって!」


 アリアの制止も聞かず、アル・アームズマンは前進を止めない。

 何かの演劇の一場面のようだと思った。京太郎たちの周囲にいた野次馬は蜘蛛の子を散らすように消え、残ったのは、シムと、ステラと、ソフィアと、京太郎だけだ。


「君か。……君だったのか。まったく、馬鹿にしてるな」

「は?」

「君がソフィアに”正義の魔法使い”を名乗った男かね?」

「はあ」


 アルと京太郎が並ぶと、京太郎の方が少し背が高い。

 だが、肉体的な戦闘力は天と地ほどあることは誰の目にも明らかだった。片やボクサーを思わせる引き締まった身体、片や土日のジム帰りにはこってり系のラーメンをかかさず食べることにしている中年男である。

 だから、ネクタイがちょうどいい取っ手代わりに使われた時も、京太郎は反応できなかった。


「お前は、何者だ?」


 顔が近い。ドスのきいた声。京太郎はほとんど反射的に、百万回殺してやるつもりで飛びだそうとするシムを片手で抑える。

 全裸の男に胸ぐらを掴まれているというのに、今のところこれっぽっちも恐怖を覚えていないのが自分でも不思議だ。

 前職時代、車の接触事故を起こしかけて厄介な土方のオッサンに高速道路のパーキングで絡まれた時の方がよっぽど怖いと思った。あの男、会社に連絡して仕事を辞めさせてやると言ったのである。その時の京太郎には、それがこの世で最も恐れることであった。


「……みんなが幸せに暮らせるように尽力している者ですが」

「なるほど。ろくな人間じゃないな」

「ですかね」

「知らんのか。この世の中は、数少ない資源の奪い合いでできている。幸福とは常に、犠牲の上に成り立つものなのだ。”みんなが幸せ”などというのは理想に過ぎない」


 彼は間違っている。資源は『ルールブック』のさじ加減一つで無尽蔵に産み出すことができるためだ。


――まったく、”人族”の繁栄に手を貸すだけなら、こんな簡単な仕事はなかったというのにな。


 思えば、いつだって人生はハードモードであった。今後もずっとそうだろう。


「まあ、その辺の議論はわきに置いておくとして」

「置くなよ」

「いまは”勇者狩り”の捜索を急ぐのが先決じゃないかな」

「なんだ。”勇者狩り”はお前じゃないのか?」

「相手を見てないのかい?」

「む」


 あんなごつい鎧を身にまとっていたのに。

 鎧を貫通する一撃だったということか。


「振り向く暇もなく、……瞬殺された?」

「お前……」


 その場を治めたのは、ソフィアだ。


「アルバート先輩。その人は無実ですよ。さっきまで私とお茶してましたから」

「ぬ」

「それにこの人、私たちが思っていたような奴では……ないのかも」


 同時に、アルはぱっと手を離す。


「そうかね。ソフィア・ミラーが言うなら信じるしかないな。失敬」


 そして、さっとネクタイの掴んでいた部分を伸ばして、丁重にスーツの内側に戻す。その態度の変貌は、まるで演者が役から抜けたような不自然さだった。


「思ったよりあまり皺が寄ってないようだが。まあ、替えが必要になったら、屋敷まで来てくれたまえ。弁償しよう。……アリア」

「はっ」


 そして、アリアがポケットから一枚の紙切れを差し出す。どうやら名刺のようなものらしかった。


「いまは蘇生したてのため満足にお相手できないが、明日以降、かならず来てもらいたい。よろしいか」

「はあ」

「では」


 そして、颯爽と背を向けてその場を去る。京太郎は、ここまで堂々たる態度の全裸の変態をこれまで見たことがない。

 小さな会釈の後、彼に付き添う形でアリアも姿を消してしまった。


 蘇生したばかりの人間は数時間ほど気を失うのが普通であり、アルが数分ほど京太郎と話せたのは、それこそ超人じみた胆力がないと不可能であることを知ったのは、それから少し後のことであった。

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