第162話 浴室での会談

「えーっと、じゃ、”魔女”の元へ」


 ”どこにでも行けるドアノブ”を捻る。

 その先は、地下であるにも関わらず昼のように明るい自然光で照らされた浴室だ。

 室内には石造りの浴槽があり、その中はふわふわの泡で満ちた湯と、ふくらはぎをマッサージしている”魔女”の姿が、――


『――ん?』

「あっ」


 目映いくらいの白い肌と、ふくよかな乳を目の当たりにして、


――キャー! ○び太さんのエッチ!


 この展開、二度目だな、と。

 自分も学ばない男だな、と。

 そう思いつつ、


「し、失礼!」


 慌てて扉を閉じ、――ようとして、それがうまく閉まらないことに驚く。

 恐らく《念動力》か何かでドアが固定されているらしい。


『まあまあ、そー言わずにもっと観ていきなよ、――”管理者”』

「さすがにそういう訳には。……あとで出直します」


 必死に扉を閉めようとする、が、再び目に見えない力が働き、扉が全開になる。

 必然的に、ドアノブを掴んでいる京太郎も向こう側に引っ張られる形になった。

 数歩、前につんのめりながら、浴室に足を踏み入れる。


「おじゃまぁ」「しまぁす」


 それに続いて、ケセラとバサラも扉をくぐった。


「あら可愛い。妖精の混じりだね」


 ”魔女”は二人に気を遣って、人間の言葉に切り替えたらしい。


「おお、――でかい」


 バサラが率直に感想を言う。


「でも、みみ、とがってる。へんてこ感、ある」


 京太郎は、ついつい”魔女”の裸身に行きがちな視線を、必死に観葉植物が飾られた窓の方に向けながら、


「ええと、……じゃ、せめて身体を拭いてから……」

「いま入ったばかりだ。これから二時間はこうしてるつもりだよ?」

「マジすか」


 そんなに入ってたら、むしろお肌に悪い気がするのだが。


「じゃ、やっぱり出直した方が」

「んー? このまま話せば良いじゃないかい」

「そういう訳には、――」


 なんだか同じやり取りを繰り返している。


「気にしないでいいよ。――あんただって、飼い犬に肌を晒したところで恥じたりしないだろ? それと一緒だ」

「犬、ですか」


 言いたいことはわかる。二人の間には、そういう種族の壁があると言いたいのだろう。

 とはいえ犬と自分の間には、大きな違いが横たわっていた。その裸を観て発情するかどうか、という違いだ。

 京太郎としても、ふさわしくないタイミングで勃起するような、そういうみっともない真似は避けたい。


「ええと、――では、用件のみを伝えます。昨日は助かりました。急な連絡にもかかわらず、お手伝いいただいて」

「ああ。あんときゃ驚いたよ。あんたテレパシー的なこと、できたんだねぇ」

「ええまあ」

「さすが、なんでもありの”管理者”さまだ」


 ”魔女”は不敵に笑う。


「……ま、手伝うのは当然さね。こっちにゃ、孫を預かってもらってる借りがある」

「それだけですか?」

「ん?」

「何も失わずに世界が存続するのであれば、――それに越したことはない。そう思われたのでは?」

「んー。……まあ」


 ”魔女”は指先で泡を弄ぶ。


「できればここで、――約束していただきたいのです。今後も、グラブダブドリップの人間には手を出さない、友好的に関係を結ぶ、と」

「まあ、向こうが手を出さなきゃね」

「いけません。そういう考え方は」


 京太郎は言う。


「どれほど気をつけても今後、必ず問題は出てくるでしょう。……時に、理不尽な要求を呑む必要があるかも知れない。……、争いごとには手を出さないと、そう約束していただきたい」

「ふむ」


 ”魔女”は、いつもの半笑いを止めて、真面目な顔を作る。


「それは、……この世界を、滅ぼさないため?」

「はい」

「うーん」


 京太郎は、水に濡れ、ガラス玉のように反射している彼女の胸部を、じっと見つめた。なんだかインスタ映えしそうだな、と思った。


「……仲間に、その要求を認めさせるのは、……さすがに難しいかもしれない。四層以下の”魔族”はくせ者揃いだから」

「……む」


 そういえばずいぶん前、”亜人”たちもそんなことを言っていた気がする。

 下層に住む”魔族”は、かなり危険な連中だと。


「それでも、――貴女も知っての通り、私は”なんでもあり”ですので。”魔族”が一丸になって動いてくれるのであれば、みんなには恒久の……とまでは言えなくとも、長期的な繁栄を約束しますよ」

「それでも、なお、だ」

「ですか?」

「誇りとか信念とか、そーいうヨクワカランものに命を賭けるのは、知的生命体の常だからね」

「まあ、……確かに」


 とはいえ、――パンとサーカスさえ揃っていれば、規模の大きい悲劇が起こるリスクを最小まで減らせることは、歴史が証明している。

 もちろん、愚民政治をやりたいわけではない、が。


「では、そーいうヨクワカラン事態に陥ったときは、私をお呼びください」


 京太郎は、”異世界用スマホ”を浴室の隅っこに置きながら、


「ここのボタンを押した後『ヘイシリ』と言って、『キョータローニツナイデ』で、私に繋がりますので」

「なにそれ?」

「そういう呪文だとお思いください」

「ふむ」

「ちなみにこれ、知り合いの名前を唱えたら誰とでもおしゃべりできると思うので、いろいろとお試しいただければ」


 そこで”魔女”は、二時間は出ないと言っていた湯船から上がって、京太郎たちの前に裸身を見せつけた。


「タダで、――モノを恵んでもらうわけにはいかないなあ」

「別に返礼は期待してませんよ。そもそもこれ、いくらでも同じの作れますから」

「そういうわけにはいかない。……あたしなりの、誇りと信念ってことだ」

「なるほど」


 京太郎はフムムと腕を組み、


「じゃ、おっぱい触らせてください」

「え?」

「えっ?」

「えっ」


 失言である。

 あとあと何度思い返しても、なぜこのタイミングでそのような言葉を吐いたか全く見当がつかない。まあ、失言というのは往々にしてそういうものであるが。

 強いて理由を言うのであれば、こうだ。

 さいきん溜まっている、という……。


「……いやその、……ふつーにダメだけど…………」


 ”魔女”はその時初めて、京太郎の前で恥じらいを見せ、胸と股間を隠す。

 京太郎は五秒ほど眉間を揉んで、苦悩している感じの雰囲気を出し、


「と、いうジョークはさておき。……何をいただけるのです?」


 実に自然な(?)流れで話題を変えた。

 ケセラとバサラの「頭大丈夫か、こいつ」という視線が痛い。

 だが言い訳させて欲しい。

 そもそも、裸の美人相手に長々とおしゃべりしているこの状況の方がおかしいのだ。


「……アー……」


 ペースを乱された”魔女”は、しばらく言葉に詰まった後、


「ちょっと待っててな」


 ぺたぺたと床を濡らしながら浴室を抜け、台所の方に向かう。

 そして、再びぺたぺたしながら戻ってきて、「ほい」と、手のひらに収まる程度の石を投げた。

 透明度の高い、ガラスを思わせる石だ。


「なんです、これ」

「”ダイヤモンド”という鉱石だ」

「だい、……ダイヤですか。マジで?」


 ちょっとオーバー気味に驚く。

 そうすることで、先ほどの台詞をなかったことにできると踏んだのである。


「これからあんたら、異国に渡るんだろ?」

「え……あ、はい」

「だったら、ステラに与えたお小遣いじゃ、足りないかも知れない。これを売れば金ができるだろ。……そうでなくても、加工すれば”マジック・アイテム”の材料になる」

「ふむ……」


 まあ、金などなくともなんとかやっていけると思われる、が。

 少なくとも、無駄にはならないだろう。

 彼女の厚意を素直に受け取って、できるかぎり爽やかな笑みを浮かべる。


「ありがとうございます」


 それによって、先ほどの印象が払拭できたかどうかは定かではない。

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