第161話 後始末

 いつもの通り、”WORLD0147”とタグが付いた鍵を差し込み、事務扉を開いて、――


「……へ」


 がくん、と、そこにあるはずの地面がなくて、落下する。

 見ると、眼下にはぽっかりと空いた穴。


――そうか。昨日、定時だった場所は地盤沈下の前の街だったから……!


 そう理解すると同時に、ゾッと背筋が凍る。

 怪我しないとわかっていても、落下の恐怖は拭えるものではないのだ。


「――う、わ、わあっ!?」


 悲鳴を上げかけて、その身体が何者かに支えられていることに気付いた。


「せーふっ!」「あっぶなっ」


 声は二つ分。四本の、小さいがしっかりとした腕が、京太郎の尻と背中の辺りを掴んでいるのがわかる。

 見ると、


「君たちは、――ケセラとバサラか……っ」


 かつて仕事の依頼を受けたこともあるハーフリングの姉妹だ。

 恐らくは”浮遊”の巻物を使っているのだろう。二人とも鳥よりも自由に、空に浮かんでいる。


「おかえり、きょたろっ!」

「君ら、なぜ……?」

「アルさまと、あとシムさんとステラさん? に、たのまれた!」

「ああ……なるほど」


 それだけでなんとなく事情を呑み込む。

 よく気がつくシムのことだから、こっち側と向こう側が接続される時間と位置を覚えていて、事前に手を回してくれていたのだろう。


「とりあえず……安全なところへ」

「りょーかいっ」


 ふよふよ浮きながら、三人は近場にあった、まだ辛うじて地盤沈下の被害を逃れていた建物の屋根に着地。

 鳥の糞で汚れた辺りを踏みつけないように注意しながら、


「助かったよ、二人とも。扉があの位置にあること、すっかり忘れていた」

「でしょ? あなた、シムさんの気遣いに感謝するべきだわ」

「みんな、どうしてる?」

「どうって?」

「昨日は急に退場してしまったから、心配してなかったかな、って思って」

「あー……そうだったんだ」


 ケセラはクラゲのように気ままに揺れながら、


「みんなそれぞれ、自分の仕事に追われてる感じだったからなぁ」

「仕事、というと?」

「もちろん、色んなあとしまつ」


 なんでもケセラとバサラを始め、アルの家の者はまず優先的に救出されたらしい。信頼できる手駒を少しでも多く手元に置きたかったのだろう。


「作業は、――どうだい。問題なく進んでるかな」

「そりゃまあ。地面が落っこちたのはこのへん、……えっと、歓楽街があったところがほとんどだったけど、そこは最初に救出が終わったから」


 アルの指示がうまく働いてくれたようだ。

 万が一ウェパルが戻ってきた時に備えて、戦場になる可能性が最も高いところから救助作業を完了させていたのだろう。

 もちろん、この辺りの救助活動にはアンドレイと、あの四人の娼婦が活躍してくれていたことは言うまでもない。


「死者は」


 京太郎は、覚悟を決めて訊ねる。


「死者は、どれくらい出ている?」

「んーと。……うーん。わかんない。けど、ほとんど出てないんじゃない?」

「ほとんど、ということは、何人か出た?」

「さー?」


 ケセラはしきりに首を傾げて、言う。


「でも、ひどい話はぜんぜん聞いてないよ。みんな向こう側でわりとうまくやってるって」

「向こう側、というと、”迷宮都市”だよな」

「そそ」


 良かった。

 想定したとおりにコトが進んでくれているようだ。


「ケセラは、――どう思う?」

「ん?」

「”魔族”が協力してくれることについて」

「んー……」


 しばしの逡巡。

 ケセラは、少し言葉を選んでいるようだ。

 もうそれだけで、京太郎にはまだ壁があるとわかる。


「”亜人”が持ってきてくれたスープ、食べる人と、そーでない人の半分くらい。もっともっとお腹が減ってきたら、わかんないけど」

「”魔族”側はどうだ? ……連中に”人族”が襲われるようなことは」


 なんでも、一部の”リザードマン”は人間を食うと聞いた。

 とはいえ一方で、連中は「全体主義的な考え方」をすると『ルールブック』に書かれている。個人の欲望よりも全体の利益を優先するのであれば、そう無茶な真似はしないはず。


「それは、聞いてないかな。”探索者”さんたちがちゃんとみんなを守ってくれてるし」

「守ってくれている、か」


 理想を言えば、その必要もないくらい打ち解けてくれる者が現れてくれればいいのだが。

 とはいえこれは、無理もないことだ。

 無知による壁は常に、歴史に暗い影を残している。

 ましてやこの世界には”呪い”に現実的な実行力があった。民族同士の不和がそう簡単に消えるとも思えない。


――時間が経つとともに起こりうるあれこれを、順番に乗り越えていってもらうしかないか。


 いまは、彼らの自主性に任せるのが正解、という判断である。

 もちろん、万一のことが起こればいつでも手を貸すつもりだが。


――さて。


 京太郎がまず行かなければならない場所が一つ。

 屋根の上から”世界樹”の幹を見上げて、


「まずは、――”魔女”に会うか」

「へ? いま、誰と会うって?」

「”魔族”のお妃様だけど」

「――ほ」


 ケセラは、なんだか一瞬、宙づりみたいな格好になって、京太郎の顔をまじまじを見る。


「ほへぇええええええ。なにその、すーぱー人脈」

「ちょっといろいろあってね。君らも来る?」


 ふよふよと空を飛ぶ、二人の妖精じみた生き物は目を合わせて、


「『見張っとけ』って、アルさまにいわれたし、」

「なんかしらないけど、おもしろそうだし、」


「「行くっ」」


 と、同時に応えた。

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