第163話 書きかけの小説

「あ、そうそう」


 別れ際、”魔女”はこんなことを言い出した。


「どーやら見たとこ、口づけの効果が切れてるみたいだねぇ」

「え」


 京太郎は首を傾げる。


「口づけ、というのは?」

「《夢幻の口づけ》ってぇ術、あんたにかけてやったろ」

「ああ、――ああ……。あの、一度だけなら攻撃を躱せる、とかいう……」


 そういえば、そんなことも。


「いつのまに解けたんでしょう」

「……ん? 心当たりがないのかい?」

「ええ、まあ」

「そりゃオカシイねえ。……発動して、あんたが気付かないようなことはないはずなんだが。……ふむ」


 ”魔女”は、少し考えこんで、


「ひょっとするとあんた、気付いてないうちに、一回殺されかけてたのかもね」

「怖いこと言わないでくださいよ」


 まあ大方、最近のごたごたのうちどこかで術が発動したとか、そういうことだろう、が。


「かけなおしてあげようか?」

「あー…………」


 京太郎は一瞬、隣のケセラとバサラを観て、


「それはまた、別の機会に」


 そう応えるしかなかった。

 いま、全裸の女性に口づけなどされようものなら、今度こそ取り返しの付かないことが起こるだろう。

 あえて直接的な表現をさせてもらうならば、勃起する。

 すでに45%くらいエネルギーがチャージされていた。

 これ以上になるともうこれ、100%中の100%にもなりかねない。あまりのパワーに、空気を弾いただけで敵にダメージを与えられるようになるだろう。


「では」

「ああ、――またいつでもおいで」

「ええ。こんどはお孫さんを連れて」

「それはどっちでもいいや」


 再び湯船に浸かる”魔女”を尻目に、京太郎は”どこにでも行けるドアノブ”を起動。

 元いたグラブダブドリップの廃墟へと帰還する。

 今のやり取りで、京太郎の胸にひとつ、――苦い想いが蘇っていた。

 ここのところ、布団の中で悶々としながら思いを馳せている、一つの深刻な問題。


――女、か。


 衣食住と今後の生活に余裕ができて初めて、独り身に不満を覚えるようになってきていた。

 一応、普通の人よりはかなり孤独に耐性がある方だとは思うが、それでも時々、かつて付き合っていた女性と今も続いていたら、的なIFの夢を見ることがある。我ながら未練がましいことこの上ないが……。


――こりゃあ、過去を断ち切るためにも、そろそろ相手を見つけたいとこだなぁ。


 個人的には、その相手はウェパルであって欲しかった。もちろん今だってまったく諦めてはいない。だがさすがに、脈がないのにしつこくするほどみっともない真似もしたくない。


――こっち側でも向こう側でもいいから、誰か良い相手がいればいいんだが。


 そうでなくとも、欲望を発散する相手がいれば、仕事もスムーズに進むかもしれない。

 できれば後腐れなく、仕事の関係性も乱さない、理想的な相手。

 となると、やはり。


――作る必要があるか。よし子弐号機、を。


 前回の個体では大きな失敗を犯した。”ロボ”要素が強すぎたのだ。あと、事情が事情なため戦闘力を求めたのもまずかった。

 だが今度は失敗しまい。必ず理想的な個体を作り上げてみせる。


「ねーねー、ちょっといい?」


 そこで、双子の片割れ、――ケセラが訊ねてきた。


「ん?」

「さっきの、本当に”魔族”のお妃様のおうちなの?」

「ん? ……うん」

「その割には、ちょっとしょぼいね?」

「そうか?」

「だって、メイドさんの一人もいないし。普通の人の家にお邪魔したみたい」

「そういうの、堅苦しい人なんだよ、きっと」

「ふーん」


 ケセラは何か思うところがあるようだったが、それ以上は話さない。


「で、どーする? これから」

「救助の手伝いをしたい……ところだけど、どうかな」

「それは必要ないと思うなぁ」

「――? なんで?」

「だって、あなたがサッと現れて人助けをしてしまったら、……せっかくこれまでしてきたことのイメージが薄れちゃう。そうでしょう」

「………………あー、まあ、そうかもね」


 どうやらこの双子、かなり深いところまで事情を聞いているらしかった。


「京太郎ってさ、……本気で信じてるの?」

「ん?」

「”魔族”と”人族”が仲良くならないと、世界が滅びちゃうって話」

「信じている、というか……」


 それが純然たる真実だと知っている、というか。


「でも、それだと道理に合わないわ。……だってもし、この世界の存続に”魔族”の力が必要なら……なんでこの世界の造り主様は、彼らをいじめ抜くように”人族”に命じたのかしら? それって矛盾していると思うの」

「それは……」


 実を言うと、とっくに結論が出ていた。

 グレモリーの言葉が思い出される。


――ゴミ捨て場から拾ってきたジャンク品。


 つまりはだ。

 ここは、……作りかけて放り出された、書きかけの小説の如き世界。

 もちろん、それを一から彼女に説明してやることはできないが。


「神様も、ときどきやらかすってことだ。さっきの私の失言みたいに、さ」


 ケセラは納得できないらしく眉間に皺を作って、「神様が、あなたと一緒とは思えないけど」と呟く。

 その言葉は、廃墟となった街の静寂に吸い込まれ、消えた。


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