第126話 魔王城
”魔王城”は、その禍々しい名前とは裏腹に、細工流麗な巨大建造物である。
あの”勇者”たちが総掛かりでも攻略に一ヶ月かかったという”魔族”最後の砦は、今やグラブダブドリップの景観を楽しませる観光名所と化していた。
とはいえ、未知の魔法によりランダムに構造が変化する城内部は危険極まりなく、専門の訓練を受けたものでしか探検は許されない。
そうした訓練を受けた者たちを”探索者”と呼ぶ。
この街は”探索者”の聖地だ。”魔王城”の地下には、未だその半分も攻略できずにいる”
アル・アームズマンは長らく訓練学校に居た身であるが、実を言うとまだ一度も”迷宮”に潜ったことはない。
保護隊員の敵は一般的に、危険思想を持つ同族の者。
”迷宮”に巣くう”魔族”の相手は、”探索者”の領分だ。
ワイバーンとの抗戦を避けるため、道中、馬を捨てて自分の足で駆けてきたアルの息は、かなり乱れている。
消耗した体力を”
――こういう時、カークはよく言っていたな、……”オーガが出るか、ヘビが出るか”。
まあ、どちらが飛び出したとしても”雷鳴の剣”の敵ではないが。
闇に満ちた、天井の高い玄関に入り込むと、コツ、コツ、という足音がどこまでも反響して耳に五月蠅い。これでは世界中に自分の居場所を知らせているようなものではないか。
――ええい。ぐずぐず悩んでも仕方ない。
思い切って大扉を押し、もう一歩、深く入り込んでみると、
「ひえええええええ……おたすけー!」
悲鳴を上げた、小太りの男がいた。
アルは素早くその男の喉元に剣を当てて、
「……何者だ?」
「ぷるぷる。……お、おれ、わるいスラ……おじさんじゃないよ……」
これがソフィアたち”探索者”であれば、対応は少し違っただろう。
それだけ彼は、”探索者”たちの間では顔と名が知れ渡っている。
とはいえ、この時のアルと彼は初対面であった。
「お、俺は、ペーターって言って。……”迷宮”の出入りを管理してる人間……だ」
「なぜここにいる?」
「た、たまたま、だ。でっかい竜が襲ってくるのがこっから見えたから……城の中に逃げりゃあ安全だな、と」
「なるほど。賢明だったな。他の者は?」
「お、俺だけだ」
「適当なことを言うな。あちこちから気配がするぞ」
「そ、それは……っ」
ペーターは明らかに狼狽している。
そもそも、いくら危険だからといって”魔王城”に逃げ込むというのは妙な話だった。熊に襲われたから毒蛇の巣に逃げ込むようなものである。
「五秒待つ。正直に応えないと殺す」
アルはそう宣言する。もちろん、五秒後にはちゃんと約束を守るつもりだ。
「ヒエッ! ……ああのその、どうやら、”魔族”があちこちにいるらしいっ! でも俺は無関係だぞ、マジで!」
「そうか」
アルは嘆息する。
つまり。
京太郎が言っていた”人手”というのは。
――”魔族”か。
まあ、なんとなくそんな予感はしていた。というか、それ以外にないし。
「じゃあ、連中の元へ案内してくれ」
「案内って……? 気配がするっていう話じゃ」
「あれは適当に言ってみただけだ」
「そんなぁ……」
小太りの男が肩を落とす。
「しかし、もしそんな真似したら俺、何されるか……」
『――××××、××××』
そこで、暗闇の中から声。
「エエト、……アー……”人族”の言葉じゃないとダメか。面倒だねえ」
すうっと、闇が光で照らされるように、一人の女が現れる。
筋肉質で大柄だが、とてつもない美人だ。ものすごく元気の良いセックスをしそうだな、と思った。
また、その顔つきにはどこか見覚えがある。
アルは再びカマをかけるつもりで、
「ひょっとするとあの、シムとかいう”人狼”の関係者か」
「――ほう? よくわかったねえ」
「化け方が似ているんだ」
「あらそう」
女は一瞬だけ照れくさそうに鼻の頭を擦って、一瞬だけ《擬態》を解く。
雌の”人狼”の顔だった。
「人間の顔の方が良いな」
アルは昔から、暴力的な女とする喧嘩みたいなセックスが世界で一番気持ちいいと信じている。
「だろーな。アンタらはそういう生き物だ。他者との違いが受け入れられない」
「……ん。君はひょっとして、ぼくに嫌味を言うためだけに現れたのか?」
「もちろんそうじゃないよ」
女は芝居がかって、指をぱちんとならす。
すると城の奥から、どす、どす、という重い足音と共に、ずいぶんと小柄な人影の群れが現れた。
アルは扉をさらに開いて、城の内部に光を入れる。
するとようやく、人影の正体がわかった。
――”ゴーレム”か!
気安い状況ならば、ぽんと手を打っていたところだ。
訓練学校で受けた授業によるともっと大きかったはずだが、この”ゴーレム”は人間の腰ほどの大きさしかない。
その分、数は大量にいるらしかった。
「連中なら人一人くらい余裕で運べるし、街に入っても気力を奪われることもない。そもそも知性がないからね。――ちなみに、この街の人口は何人くらいだっけ?」
「詳しい数字は忘れた。が、防壁の内部の人間のみに限られるなら、たぶん二十万人ほどじゃないか」
「こっちの手勢は――ええと、このチビたちだけで、六千体だったかな? 第四階層の分が届けばもうちょい増えるけど」
「ふむ……」
それはつまり、”魔族”の戦力を一部公開していることにならないだろうか。
「ケガしないとはいえ、自分で身動きもとれない人間、しかも、時間は限られてる。わらわら頭数だけ揃っても、全員救えるかどうか……」
「だとしてもベストを尽くさない理由にはならん」
アルはあっさりと言う。
女は眉を段違いにして、なんだか変な顔をした。
「それよりも、みんなを運び込める場所はあるのか?」
「――ある」
女は少し目をそらして、
「今は城の出入り口から、――第二階層の”迷宮都市”へ直接繋がるようになってるからね」
「ほーう?」
これまで何万回と命を散らして”迷宮”攻略に挑んできた”探索者”が聞いたら卒倒しそうな話である。
「――少し前から、当たりがぐらぐら揺れていたのはその影響か」
「そーいうこと」
つまりそれは、やろうと思えば、――”魔族”はいつでも”迷宮”ごとグラブダブドリップを地下に沈めることができる、……ということにはならないだろうか。
もちろんそれは、いま考えるべきことではない、が。
「しばらくはそこを避難所に使えばいいさ。どうせあんたらの街は”魔導線”もぐしゃぐしゃにされちまって、ほとんど使い物にゃあならないだろ? ……なら、いつも”ゴブリン”どもが整備してるあの街に移った方が、遙かに住みよい」
「……ふむ。”チレヂレの呪い”は」
「そんなの、とっくに解除したよ」
「むう」
「”むう”とか”ふむ”とか、好きだね人間って」
アルは苦い顔で腕を組む。
京太郎の描いた絵図はわかった。
しかし、……。
「君らがそれをするメリットは?」
「完全なる善意、――なーんて言っても、信じないんだろ?」
「当たり前だ。無料で配られているものには無料ならではのリスクと理由がある」
「じゃ、こうだ。……今後、ここに住む”魔族”とグラブダブドリップの人間は和平を結ぶ。――普通の、”人族”の国同士の付き合いみたいな関係になる。……どうだい?」
「なるほどな」
それほど大それた提案があった方が、まだ理解はできる。
――だが……。
「しかし君、それは、――」
「ああ。たぶん前例がないことになる」
「そんなことが、……果たして可能なのか?」
「さあて? それはアンタ次第じゃないのか? ”国民保護隊”の英雄さん」
自分次第。
確かに、それは正しい。
この世界に存在する”国”は基本的に、”勇者”による独裁制で成り立っていると言って良い。
”鉄腕の勇者”が「そうしろ」と命ずれば、この街の人々もそれを受け入れるだろう。
そして、リカを説得することができるのは、――
――一族の者である、……ぼくだということか。
どうにも、巨大な企みを感じている。
京太郎以外にも、他の何者かが根回しに動いていることは間違いなかった。
こういう大それたことができる者となると、……あるいは。
――”魔女”か。
女王の号令に従ったのであれば、彼らが協力的なのにも頷けた。
――北の大地では、ラスプーチンと呼ばれる怪僧が売国奴の代名詞とされているらしい、が。
ラスプーチンに名を連ねる売国奴として、歴史に名を残すか。
あるいはその逆か。
「もしあんたが許すなら、”迷宮”の案内は”人族”に化けたアタシたちがやる。実働部隊は”ゴーレム”に任せるつもりだから、万が一小競り合いが起きても、アタシらは痛くもかゆくもない」
女の”人狼”は苦い顔で、
「――さて。残る問題は、……アンタの個人的な感情だけ。アンタと、アンタの仲間の顔がありゃあ避難もスムーズに進むだろう。……どうする? このハナシ、乗っかるかい?」
アルは腕を組み、あまり髯が生えないことが悩みの頬を撫でた。
「……しかし、避難所の環境など、詰めておかねばならない話が山ほどある」
「少なくとも食いもんなら無限にあるよ。――日替わりのスープで良ければ」
「生活に必要なものはそれだけではない」
「その辺は、……アイツ。あの、京太郎って野郎が責任を持つってさ」
「………………ふむ」
そして三十秒ほどの、間。
「では、乗ろう」
一度出した応えは、明瞭だった。
どうせこのまま放っておけば、じわじわと犠牲者は出てくるだろう。
それに。
「今回に限ってはあの、――妙な東洋人に賭けると決めているのだ」
すると、美しき”人狼”は皮肉そうに笑って、
「奇遇だね。実はアタシもなんだよ」
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