第75話 正義を為すもの
”冒険者の宿”に戻って第一声は、
「あれ? ちょっと見ないうちに空爆でも受けた?」
であった。
京太郎たちが愛した宿の最上階は今や見る影もなく、巨人に少し囓られたみたいなデザインに成り果てている。
もちろん当たりは野次馬で人だかりができていて、なんだか布一枚だけ羽織って身を寄せ合っているカップルまでいた。彼らを押しのけ押しのけ、京太郎は前に出る。
――どうやら心配したとおりになったな。
ってかこの事態、どう決着すべきか。こちらはどちらかというと被害者側だ。とはいえ、この街の司法に頼っているような暇もなかった。
――こうなれば『ルールブック』で手っ取り早く直してしまいたいところだが。……そろそろ、ギャンブルで一山当てた”探索者”、という設定も厳しくなってきたな。
今後はどこか小さな島国の大金持ち、みたいな設定に切り替えていくべきかもしれない。
むしろ、実際にこの世界のどこかにオリジナルの国家を生み出してみる、という案はどうか。国民は人間に見せかけたロボット、みたいにして。……ふむ。
メリットに対してリスクが高すぎるか?
“勇者”に目をつけられる可能性がある以上、しばらくは慎重にことを進めなければなるまい。
そんな詮無いことを考えながら、
「すいませーん、失礼します」
”冒険者の宿”の入り口をくぐる。
と、ガタイの良い身体にピチッとしたスーツを身にまとった、ハゲ頭の男が頭を抱えていた。
「おお……京太郎さん……何がどうなってるんです、この状況?」
「どうもこうも。私も良くわからないのです。恐らくは昨日”マジック・アイテム”を盗もうとした者の関係者ではないかと思いますが……通報は?」
「もちろん済ませていますよっ。こんなんじゃあ商売あがったりだ」
「でしょうね」
京太郎は腕を組み、
「私も、この宿には世話になってます。とりあえず部屋の修復費用はお任せを」
「えっ」
男は目を丸くした。
「……いや、さすがにお客様にそこまでしてもらう訳には」
「ご安心を、金は唸るほどあるのです」
といってもステラの金だが。
まあ、もし今後、彼女の所持金が足りなくなることがあったとしても、ちょっとくらいなら『ルールブック』で追加してもインフレーションの種にはなるまい。
とはいえ、客観的に考えていまの台詞は失敗だと言えた。それではいかにも嫌味な成金の台詞ではないか。
ホテルマンとしての矜持を刺激されたらしく、男は不快そうに眉を上げた。
「お大尽は結構ですが、――それでは新しく家を買った方が安く付きますぜ」
京太郎は一瞬眉間を揉み、
「わかってる。……実を言うと、こうした損害の修復専門の”マジック・アイテム”持ちが友人にいるだけなんですよ。彼に頼めばそこまで高く払わずに済む」
「えっ、そんなツテが?」
「はい」
これは口から出任せだった。とにかくそういうことにしておけば『ルールブック』を使いやすいと思ったのである。
「その代わりと言ってはなんだが、できるかぎり私たちを煩わせるようなことを少なくしてもらえないかな。我々はこれからアル・アームズマンの屋敷に向かうから、今から来る”保護隊”の人にもそう伝えて欲しい」
「アル……というと”保護隊”のお偉いさんの?」
「ああ」
「わかりやした」
「それにもちろん、今後の宿泊費には迷惑料を上乗せしてもらって構わない。外で震えているカップルから慰謝料を請求された場合もツケておいてくれ。――我々は、この宿をとても気に入っているんだよ」
男はようやく機嫌を直し、えびす顔になって手を差し伸べた。
「今後ともごひいきに」
▼
部屋に戻ると、京太郎は見る影もなくなった我が家に嘆息する。
『あ、おかえりー』
まず、悪びれずに手をひらひらと振るステラのほっぺたをむにっと引っ張る。
『ひゃめひぇひょー』
彼女の反射速度を持ってすれば、それを躱すことなど容易であったろう。それをわざわざ受けたということは、彼女なりに反省している、と言えないこともない、……かもしれない。
「まったく、……もっとうまいことやる訳にはいかなかったのか」
『ひゃっへ、ひゃひゃひ、ひゅっほふひゃのひくなっひゃって』
手を離す。ぽよんとステラのほっぺが揺れた。
『悪かったわよぉ。……つい愉しくなっちゃって』
「愉しい、か」
『うん』
とてもではないが理解できない感情だ。ゲームとか、スポーツの世界でならそういう風に思うこともあるが……、これは現実である。京太郎にとって戦闘行為は、”不愉快”と”理不尽”をそのまま形にしたもののように思えた。暴力における事態の解決は、ありとあらゆる交渉を試みた結果、やむを得ず起こりうる現象である。
「ま、……仕方ないか」
とはいえ、そういう行為を好む人種がいるのを否定するつもりもなかった。
これまで、ステラの性質には守られたこともある。彼女のそういうところは結構、頼りにしていた。
平和主義を貫くと、長期的な交渉において不利益を伴うことがある。
かといって闘争を好みすぎるのも考えものだ。周囲から孤立しかねない。
大切なのはバランスなのである。
▼
アリアは、相変わらず芋虫みたいな格好でベッドの上に転がっていた。
何を見せられたのか、すっかり意気消沈している。
京太郎は”スタン・エッヂ”を取り出し、彼女の縄を切ってやった。
「……どういうつもり、です、か?」
「もっと早くこうすべきだったんだ」
京太郎は眉間を揉む。
とはいえ、よく事情も知らない昨日の段階で彼女を手離すわけにいかなかったのも事実。
あるいは、素直に”国民保護隊”に引き渡すべきだったか。
――もちろんその場合、あれこれ事情を聞かれるなどして色々面倒だった、というのもある、が。
「とにかく、君がいるとややこしくなる。お兄さんを蘇生させて逃げなさい」
あるいはもうとっくに逃げた“蟲使い”とやらが蘇生を済ませているかも知れないが。
「え?」
「お兄さん、ラピュータ? とかいう名前の国まで逃げる算段してたぞ。さっさと合流しないと置いてかれてしまうかもな」
「でも……」
「こっちのことはもういいから」
アリアは、なんだかヘンテコな顔をして、
「あの、あの……あなた、何者なんですって?」
京太郎はもう、大雑把な気持ちでそれに応えた。
「正義を為すものだ」
「正義……?」
その言葉に不吉な意味が含まれているように後ずさる。
彼女は、少し言葉を言いよどんでいたようだったが、
「あの……ええと。では、……あなたの手で、例の”巻物”をケセラたちに返してもらっても、いいですか? ここを去るにしても、借りっぱなしは嫌なので……」
「わかった。そうしよう」
「それと……その。もう、悪いことしないので、できれば、また……」
「悪いが信じられない。――さあ、さっさと行くんだ」
冷たく言う。この場合はそれくらいでちょうどいいだろう。
それきり彼女は、恐るべき猛獣から逃げる乙女のようにして、その場を去って行くのだった。
▼
「ふう……」
アリアを見送って、深く嘆息する。
京太郎は辛うじて無事だった部屋の隅っこにあるテーブルに座って、『ルールブック』を開いた。
【名称:アマノジャクなシロアリ
番号:SK-12
説明:”管理者”とその仲間たちがもたらした破壊を修復するために生み出された機械生命体。蟻に似た形をしている。その体内には分子を材料として新たな物質を作り出す装置があり、それを利用して破損箇所を自動修復する。その能力はすさまじく、一晩あればエンパイア・ステートビルを建てられるほど。
普段は人間の目には見えないが、常に管理者たちの周囲で待機していて、必要とされた際は猛烈な勢いで働き出す。とはいえ、気持ち悪いことになると嫌なので、ある程度は空気読む機能をつけてほしい。例えば囓ったクッキーを自動修復するとか、そういうことはなしで。】
「これでいいかな?」
呟くとすぐさま――ざざざっと、京太郎たちの足下を”シロアリ”たちが這い回った。
その総数はとてもではないが数えられない。ただそれは、海辺にある細かな砂がさらさらと床を流れていくようにも見えた。
『ひえっ――! なにこれ、なにこれ!?』
ステラがぴょんとテーブルの上に乗っかって、悲鳴を上げた。同じく京太郎もちょっとだけコレ失敗だったかなと思っている。
なんとなく、さっきの羽虫の群れを思い出しながら筆を取ったせいでこんなことになってしまった。
とはいえ、”シロアリ”たちは実に働きもので、なぜこれまでこのルールを追加してこなかったか自分でも不思議に思えるほどだ。
部屋は、まるでビデオの逆再生を見ているかのよう。
もの凄い勢いで修復されていく破損箇所を眺めながら、いつしか三人は息を呑んでいた。
『……やっぱすごいわね。……あんた』
ステラは感心して、下の階と繋がっていた大穴が塞がっていくのをのぞき込んでいる。
京太郎は苦笑しながら、
「私がすごいんじゃない。『ルールブック』がすごいだけだ」
いつものように、そう応えた。
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