第133話 塩化の条件


「ばっ…………ッ!」


 京太郎は目を剥く。実を言うと、万に一つでも彼女が危機にさらされる可能性を考えていなかったのだ。

 それだけステラを信用していた、というのもある。


「ばかな……っ、ステラ!」

「もう一度言います。慌てないことです。――攻撃の手は止まっている。つまり、何らかの理由で次の一手は打てないということ」

「しかし……っ!」


 これでは、当初の予定が大幅に狂う……いや、そんなことよりも。


「これ……どうみても死んでるようにみえるぞ?」

「ご安心ください。グラブダブドリップは基本的に、不法侵入者に対して裁判なしで処刑するような国ではありません。彼女は一時的に動けなくなっているだけ。――心配なら、彼女の口元に手を当ててご覧なさい。ちゃんと呼吸してるはずですよ」


 言われるがまま、そうしてみる。

 確かに、僅かな空気の流れが感じられた。


「そうか……良かった」


 胸をなで下ろす。もし彼女に何かあったら、”魔女”に殺されても文句を言えない。


「それで、敵影は?」

「見つかりません。これだけ拓けた場所でそうだということは、恐らくは施設の中からの攻撃ですワね」

「例の、――ロトとかいうやつか」

「はい」


 京太郎は眉根を寄せて、


「仕方ない。――『ルールブック』を戻してくれ。とりあえずヤツを倒すためのルールを……」


 一瞬、ラットマンは言われたとおり本を取り出そうとしていたが、


「ダメです」


 それをソフィアが遮った。


「……何?」

「この程度の危機であれば、例の本は必要ありませんワ。あなたの器量で切り抜けてくださらないかしら」

「む」


――どういう意味だ?


 京太郎は首を傾げる。

 危機的状況であるというのに、ソフィアは実に落ち着いていた。ひょっとすると彼女には”しばらく攻撃を受けない”という確信があるのかも知れない。


「しかし、我々は街を救うという義務がある。できれば最速で、最適の解を選びたい」

「申し訳ありませんが、――いけません。どうやらあなたは、未だ信頼に値しない異邦人であることをお忘れのご様子」

「なんだって?」


 そこでようやく、脳天気な京太郎の中に一つの疑念が生まれる。


――まさかこの状況、何もかもソフィアの策略か?


 可能性はなくはない。


――いや。だとするともっと早い段階で裏切るはず。


 京太郎は落ち着いて、深呼吸する。

 これまで、危険な取引は何度も経験してきた。このパターンの場合は、……。


「まさか私を、……試したいのか?」


 ソフィアは少し目を細めて、頷く。


「いや、余裕ある時ならいつでも試してもらっていいけど、今、そういうのは……」

「逆です。余裕のある人間なら、いくらでも自分を偽ることができる。今なら、本当のあなたを知ることができる」

「ううむ……」

「結論から言います。私は、あなたのいう理想――”魔族”と協力し合える世界を望んでいます。――こんな、いつまで経っても終わらない殺し合いの連鎖は、いずれどこかで断ち切らなければならない」

「ふむ」

「だがこれまでにも、理想を唱えるだけの愚者は山ほど現れました。――あなたもその一員でないことを証明してもらいたい」

「その試金石が……この、”魔導施設”攻略だと?」

「はい」


 きまずい沈黙があった。

 ラットマン、ジョニー、ソフィアがこちらに向かい合っている。

 ちょっとだけ遅れて、空気を読んだサイモンがそろそろと京太郎の側に付いた。


「私が勝つ条件は?」

「さっき言ったでしょう。私と、私の仲間を無傷で施設に連れて行くこと」

「君らの手伝いは?」

「ちょっとした助言と、雑魚のつゆ払い程度なら」


 つゆ払い、か。


「それは、例えば、……」

「今から証明しましょう」


 ソフィアの視線が、施設中央にある大樹に向く。

 そこから、十騎の鎧が、くの字に並んで出陣しているのが見えた。


「まあ、奴らそのものは大した脅威ではないが……」

「問題はロトの術、――例の塩化現象が発現する条件。そうでしょう?」


 ソフィアは、教師のようにわかりやすく課題を口にして、京太郎を見た。


――やれやれ、なんて日だ。


 すでに、ちょっと泥に汚れたスーツのことなどこれっぽっちも気にならなくなっている。


――昨日までののんびりした日々よ、一刻も早く戻ってくれ。


 日を見ると、ちょうど頭の上にある。夕飯時だ。

 だが、いつもと違って食欲はまったくわかない。


 そこで、死霊の騎士たちの口上が聞こえた。


「やあやあ、音にこそ聞け。近くば寄って目にも見よ。我こそは、ロトの騎士団が一人。名は神に奪われしものなるが、その武勇は魂魄となりても永久不滅。では、腕に覚えのもの、手合わせ願おう」


 京太郎は、とりあえず動き回ったときに攣ったりしないように両肩、両腕をぐるぐる回し、その後、両手首をストレッチして、アキレス腱をきゅっきゅと伸ばす。


「旦那、どうしやす? あれくらいの手合いなら、俺が……」

「それよりまず、塩化現象の謎を解かなくては。……ステラだけが塩になって、我々が無事なのは理由があるはずだ」

「謎、と言っても……」

「ソフィアを見ろ。――先ほどまで戦闘態勢を取っていたというのに、いまの彼女たちは落ち着いている。恐らくだが、”探索者”なりに塩化の条件を理解したんだ。つまり……」


――何らかの理由があって、ステラは塩の柱となった。


 考えろ。

 考えろ考えろ考えろ。


 凡人でも、年に一度くらいは賢人も舌を巻く発言をすることくらいある。

 今日がその日であってくれ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る