第132話 ソドムの伝説
確かにソフィアの言葉は正しかった。
施設内中央部に見える建物は、近いようでいてとてつもなく遠い。昔兄がモンゴル旅行に行ったとき、車で一時間飛ばしたにもかかわらずお世話になったゲルの遊牧民が手を振っているのが見えた、という(めんどうくさい)土産話を思い出した。
――兄貴、か。
そういえばあの人は、旅行の話を好む。
だが、とてもではないが、この冒険について話すことはできないだろう。言ったらあの人のことだ、心の病院送りにされるに違いない。
だが、友だちならどうか。
時々思う。
この出来事の何もかもを、廻谷浩介あたりに話したらどうなるだろうか、と。
あいつなら、半笑いで受け止めてくれる気がした。
もちろん、何もかも信じてくれるわけはないだろうが……。
『ねえ、一つ、良い?』
そこで、ステラがちょいちょいと袖を引っ張る。
「なんだ」
『退屈だわ』
「我慢しなさい」
子供のような発言に、京太郎は眉をしかめる。
ステラはぷんすかして、
『そうじゃなくって……あたし、この場に本当に必要? ってこと。ソフィアとかいう女がなんだか大層なこと言うから付いてきたけど、……あの、死霊ども? 程度のやつらが相手なら、あたしの手伝いなんていらないでしょ。どーせこっち側だと傷つかないんだからさ』
「そうかな」
『そーよ。……それより、外のワイバーン退治に動いた方が、あたしのパフォーマンスを十分に活かせると思うんだけれど?』
「ぱふぉーまんす、ね」
そこで口を挟んだのは、――ラットマンであった。
『シツレイシツレーイ。ソレ、マチガーイ。アナタタブン、ヒツヨウヨ。ツヨイヒト、ヒツヨウヨ』
ぎょっとしてステラが振り向く。
『あなた、”魔族”の言葉……』
『ムカシ、オボエテ、チョットダケネー。……チョットダケダカラ』
そこで恐らくは言語を切り替えて、
「人間の言葉で良いかな?」
まったく、どの言葉も日本語に翻訳されるというのも考えものだ。各種言語が入り交じる映画の日本語吹き替え版のようなもので、なんだか困惑する。
「まあ、いいけども」
「助かります」
そういえば、いつの間にか人間の言葉を話す時のステラの妙な訛りが消えている。
彼女も彼女なりに、日々学んでいるということだろう。
「この先に、あなた方がいう”無敵”ルールを貫通する可能性がある敵が一つ。そいつは、先ほどの死霊どもの親玉とでも言うべき存在でござる」
「ふーん」
じゃ、期待できないわね……と続きそうな口ぶりだ。
「ステラどのは、”ソドム”と呼ばれる街をご存じで?」
「知ってるわ。あれでしょ、神の怒りを買って滅ぼされた、大昔の人間の街」
「そうそれ。――その時の”人族”は、極めて邪悪な風習に囚われていたのです。……例えば同性愛を禁止したり、身分差のある恋愛を罰したり、と……」
「ふーん」
「”ソドム”にいた者たちは、ことごとく天罰によって滅ぼされたと聞きますが、――その街には、とある義士がいたのです。その人はかなり自由な恋愛観を持つお方で、なんでも実の娘との間に男子をもうけたとか。……というわけで、そのものだけは許されたのです」
「ほうほう」
「つまりその義士は、神による加護を受けた魂魄、ということ。――つまり、例のあの本の力も上回る可能性が高いのでは?」
「なるほどねぇ。……それで、そいつの能力っていうのは?」
「不明にござる。それはいわゆる、お国のトップシークレットというやつで。ただ、施設の守護に特化した力、だとか」
「ほへぇ~」
とはいえ。
”勇者”リカ・アームズマン、”世界樹囓り”ニーズヘグと続いて、これ以上厄介な相手が現れるとも思えない。
万一ヤバい相手が現れても、この強化した”焔の手袋”でどーん! 終わりっ! である。
それに、奥の手はまだ二つもある。
”
その効能は、確か……。
と、ぼんやり思いをはせていたのが悪かったのだろうか。
こつ、と、足下にあった少し大きめの石に蹴躓く。普通に。注意していれば自然と避けられるものを。これが歳を取るということである。
「げぇっ!」
前のめりにばったり倒れて、ぞっとして素早く起き上がる。
異世界の街に来てもっとも不愉快なのは、とにかく道が汚いこと、その一点に尽きた。
何せこの世界の交通手段といえば基本的に馬か驢馬。あるいはそれに似た各種なぞの生き物。
そしてそうした生き物を移動手段に使う際における当然の帰結として、道路は動物の糞だらけになる。何せ奴ら、排便したくなったら時と場所を選ばない。それでもこの世界の平均的な基準において、グラブダブドリップはかなり掃除の行き届いた街であるが、それでも道ばたに大量の馬糞が放置されがちであるという事実は変わらなかった。
――またクリーニングに出さなければ。
苦い想いで一杯になりながらハンカチを取りだしていると、
「何やってんのよ、もーっ……」
ステラが土埃を払うのを手伝ってくれる。こういう時は、ちょっとだけお姉ちゃんぶるのが彼女の癖だ。
「すまない。――あ、くそ、べたっとしたものが……」
その次の瞬間だった。
ステラの日焼けした手が、ピタリと止まって。
『――うぅッ!?』
彼女の手先が、白い砂のようになって硬質化するのを見る。
その現象は、毒のようにステラの全身を侵食していき、その両腕から肩、胸回りと広がっていった。
「ど……どうした?」
『これ、……まずいッ! なんかの攻撃を受けてるッ!』
目を白黒させている京太郎とステラ。
慌てて彼女に手を当て、「――治れッ」と叫ぶが、どうやら効果はない。
「なんだとっ!?」
それ以外の全員は、すでに戦闘態勢を取っていた。
「……どうか慌てないで。――一時的な塩柱化現象です。死にはしません」
「どういう意味だ?」
「ここの守護者が使う術、ということですよ」
「さっき言ってた、”ソドム”の義士とかいう……」
「はい。――伝説に名を残す彼の名を、”ロト”と言います」
「ロト?」
「はい」
全員、四方に気を配る。だが敵影らしきものは見えない。
つまり相手の方がロングレンジの攻撃が可能だということだ。
だというのに、ソフィアは冷静だった。
この程度の危機、日常茶飯事だと言わんばかりに。
「ステラ……ッ!」
『く……参ったな。ごめん! 足、引っ張った……役に立てなくて……!』
その言葉を最後に、”魔族”の姫はあっさりと塩の柱と化す。
それ以上は、どう呼びかけても、――彼女はぴくりとも動かなかった。
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