第64話 アホの子

 ソフィアとはその後、すぐ別れることになった。

 彼女自身、あまり長く”ギルド”を離れているわけにはいかなかったこともあるが、何より京太郎の退社時間が近づいていたためだ。

 ”冒険者の宿”に戻った三人は、一人用とは思えない巨大なベッドの上で歪な川の字を作る。

 もうこうなってくると兄妹のような気安さで、ステラは嘆息した。


『ひとつ、聞いて良い?』

「ん?」

『本気であの、――ソフィアとかいうやつを味方につけるつもりなの?』

「そうだね。彼女なら、人脈人柄能力共に申し分ない」

『そうかしら』


 ステラは頭をもしゃもしゃ掻く。


『あいつには一つ足りないものがある、――動機よ』

「動機……か」


 だがそれを言ってしまうと、この世に存在する”人族”全員と手を組めないことになる。


『それでいいじゃない。味方は”魔族”だけで固めるべきだわ。同じ”魔族”なら裏切らない』

「そうとは限らないよ」

『そうよ。だってこっちには”終末”を防ぐっていう明確な目的があるんだから』


 京太郎は少し鼻を掻き、


――火事場において、みんながみんな良心に従って行動できるならその理屈は通る、が。


 現実はそうではない。

 仲間を増やすリスクは、種族とは関係なく平等にあるのだ。

 京太郎はその場であぐらをかいて『ルールブック』を開く。特に意味のある行動ではない。ただなんとなく、考え事をする時はこの本を開く癖が身についていた。


――もちろん、良心に従わない手もある。


 『ルールブック』の力で彼女を傀儡にする、とか。

 ついでにスケベな頼みも聞いてもらおうか。エロ同人みたいに。

 一瞬、京太郎は本気でそれをすることを検討していた。もちろんそれは、嫌味な上司を頭の中でぶん殴るのと同等の行為ではあったが。


――落ち着け。外道に身を落とせば、仲間の信頼を失うぞ。そうなると、短期的にメリットがあるように見えても、長期的には不利だ。


 京太郎は、一時的な欲望よりも今の心地よい仲間とのふれ合いを優先している。とはいえ彼も男だ。毎日ウェパルのような美人と接しているうち、腹の内へと溜まっていくドロドロとしたものは確かにあった。

 実を言うとこの一週間、ちょくちょく頭の隅っこに浮かんでいる考えがある。


――一度くらいなら、『ルールブック』を個人的な欲望の解消に使ってみてもいいのではなかろうか。


 たとえばそう、メイド型のドスケベロボみたいなの作ってみるとか。

 一度そういう発想に至ってしまうと、そう簡単に振り払えるものではない。

 京太郎は眉間を揉んで、どういうデザインがベストか真剣に考えた。

 自由に容姿をいじくれるアンドロイド的なのがいいか、とか。

 なんならアニメのキャラクターをモチーフにしてみるべきか、とか。

 そもそも自分にとって理想の女性像とは何か、原点に立ち返ってみる、とか。

 シムはそんな京太郎の表情を肯定的に捉えたらしく、


『そこまで深く思い悩まなくとも、……、その……ぼくも、ソフィアさんを味方につけるのは、それほどの悪手とは思えませんです、はい。協力者は多いに越したこと、ありませんし……』

「うむ。……うむ? なんか言った?」

『ええと……いえ、何にも』

「フム……」


 京太郎は構わず、初恋の想い出について考える。

 その時だった。こんこん、とドアが控えめにノックされたのは。

 ぱっと起き上がろうとするシムを抑えて、京太郎は自ら応対に出た。

 ドアを開けると、燃えるような赤い髪の少女が立っている。


「あのその、……どもども……ですって」


 アリア。――確か名字はヴィクトリアだったか。

 エロいメイドロボについて考えていた手前、京太郎はちょっと気まずく視線を逸らした。


「やあ。いらっしゃい」

「お邪魔です?」

「いや、そんなことないけど……」


 時計を見る。終業のベルが鳴るまであと十分もない。時間が潤沢にあるわけではなかった。


「すぐ出かけなきゃいけないから、ちょっとしか用件聞けないけど。どうかした?」

「あのその……ええと。その。……や、約束の品を……」

「約束の品?」

「空を飛ぶ”巻物スクロール”の……」

「ああ、あれね」

「すいません。……あれからバサラにすっごく怒られちゃって、髪の毛むしられちゃって。今日中に手に入れられないとその、晩ご飯抜きって……」


 なんだそれ。京太郎は苦笑する。


「先週入ったばかりの新人メイドに、さっそく尻に敷かれているのかい」

「わ、私、不器用なんです。お皿とかすぐ割っちゃって面倒かけて、その、……はい。後輩のお尻に敷かれる毎日です」

「仕方ないな。――もう粗末に扱うんじゃないぞ」

「は、はい!」


 京太郎はさっそく『ルールブック』を開いて、今朝大きくバッテンした箇所を書き直す。

 

【管理情報:その14

 管理者は好きなときに既知の”マジック・アイテム”を取り出せる。この力によって生み出された道具は無限に再利用可能。】


 ちょっとだけ内容を書き換えて、便利なようにしてみた。

 そして、前回同様に”巻物”を一枚取りだし、


「はい」

「……助かります」


 それをエプロンのポケットに入れて、なんだか恥ずかしそうにもじもじした後、大きく深呼吸。

 そして、


「あっ! あれはなんだ!?」


 部屋の奥の方を指さした。

 反射的に全員そちらの方に向く。その次の瞬間、アリアがもの凄い勢いで『ルールブック』に飛びついた。


「へ?」


――そんな、古典的な……。


 同時に、


【管理情報:その7

 ルールブックはかんりにんいがいさわれません。さわるとビリッとしびれます。】


 いつだったか速筆で書いたルールが発動し、


「うにゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 アリア・ヴィクトリアがその場で痙攣を起こして倒れた。


「きゅう…………」


 そして小動物のような声を発し、意識を失う。

 ”冒険者の宿”の一室。京太郎たちが拠点に使っている部屋が、しばし沈黙に包まれた。

 シムも、ステラも、あまりのことに言葉を失っている。


 しばらくしてステラがぽつりと言った。


『この娘、ひょっとしてアホなのでは?』

「ううむ…………」


 京太郎は時計を見る。終業が近づいているのに、ややこしいことを……。


「仕方ない。万一のため武装解除して拘束しておいてくれ。そのあとはステラの部屋で軟禁しておくように。対応は明日の朝考えよう」

『りょーかい』

「……もし今晩中にアルの手の者が彼女を引き取りに来たら、素直に引き渡してやっていい。争う必要はないからな」

『うい』


 とはいえこの一件、アリアのスタンドプレイに見える。仲間が助けに来る可能性は低いかもしれない。

 ベルが鳴ったのは、その次の瞬間であった。

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